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2024年2月2日 12:08
こんにちは。非常に印象深いお考えを述べておられるので思わず反応してしまいます。前後の脈絡や歴史的経緯をよく把握していない、見当違いな意見かもしれませんが、私個人は小説ってほとんど主観とか考えなんだと思っております。三人称の場合、どの登場人物にも多かれ少なかれ自分が入っている感じです。あるいはそうでない場合も、過去に自分が観察した他人だったり、こういうことをやらせてみたい他人だったり‥‥‥etcたくさんのパターンがありますが。地の文に関しては、私の場合歴史モノなので何かの説明をすることになりますが、そこに主観が入ることもあれば入らないこともあります。例えばある史実が起こった原因を説明しようとすると、それは「私の考えた原因」あるいは「私が賛同しているところの、誰かの考えた原因」であって、そこに主観が入り込んでいないとは言い難いことになります。ということで主観を排除したいという五色ひいらぎさまの姿勢は、なかなかに刺激的です。(あるいは主観の意味をまったく取り違えているかもしれませんが‥‥‥)
作者からの返信
コメントありがとうございます。文章がわかりにくかったようで、ものすごい誤解を招いてしまって申し訳ないです。言いたかったのは、「作品世界にいない人間の」主観を入れたくない、という話でした。言い換えれば「登場人物の主観だけで話を進めたい」ということです。三人称に不可避的に紛れ込んでくる作者視点がどうにも気持ち悪い、という話でした。
こんにちは。
非常に印象深いお考えを述べておられるので思わず反応してしまいます。前後の脈絡や歴史的経緯をよく把握していない、見当違いな意見かもしれませんが、私個人は小説ってほとんど主観とか考えなんだと思っております。
三人称の場合、どの登場人物にも多かれ少なかれ自分が入っている感じです。あるいはそうでない場合も、過去に自分が観察した他人だったり、こういうことをやらせてみたい他人だったり‥‥‥etcたくさんのパターンがありますが。
地の文に関しては、私の場合歴史モノなので何かの説明をすることになりますが、そこに主観が入ることもあれば入らないこともあります。例えばある史実が起こった原因を説明しようとすると、それは「私の考えた原因」あるいは「私が賛同しているところの、誰かの考えた原因」であって、そこに主観が入り込んでいないとは言い難いことになります。
ということで主観を排除したいという五色ひいらぎさまの姿勢は、なかなかに刺激的です。
(あるいは主観の意味をまったく取り違えているかもしれませんが‥‥‥)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
文章がわかりにくかったようで、ものすごい誤解を招いてしまって申し訳ないです。
言いたかったのは、「作品世界にいない人間の」主観を入れたくない、という話でした。
言い換えれば「登場人物の主観だけで話を進めたい」ということです。
三人称に不可避的に紛れ込んでくる作者視点がどうにも気持ち悪い、という話でした。