第65話 シンデレラ・リナギ

 急に車内が暗くなって、コンコンと音がなる。助手席側の窓ガラスを叩く音であった。李凪が振り向くとそこにいたのは見覚えのある人物であった。

「帰れ」

 そこにいたのは、公安の柴崎であった。ピシッとした背広を着て一人でこの場に訪れた。

「じゃあカードよこせ」

 柴崎は助手席のドアを開けて乗り込んだ。李凪は前を向いたまま、ドアポケットに入れてあった角形封筒を外から見えないように柴崎に渡した。

 太ももの上に角形封筒を置かれると、柴崎は目線を下へ降ろしてから足と足の間に挟み、二本の指で隙間を作って中を覗いた。

「確認した」

「そう」

 用事はこれだけであるが、柴崎は中々降りようとしない。李凪は何か焦れったく感じていた。

「今日の夜は空いている?」

「今日は非番」

 まるで溜息の延長のように李凪は答えた。

「じゃあ、そのまま空けて置いて」

 柴崎はそう言うと、助手席のドアを開けた。降りて歩道を駅の方向に向かって歩いていくつもりであろう。何か足りないような終わり方に李凪は声をかけて止めた。

「局まで送る」

「じゃあ、頼む」

 柴崎は歩道に出した片足を車内に入れて、助手席のドアを閉めた。柴崎がシートベルトをすると同時に李凪はシフトレバーを動かし、車を発進させた。道路はさほど混んでいない。

 片側二車線の通りから出て、車は昔首都高速があった場所を通る。戦争によって倒された高架橋は横倒しのまま放置されていたが、復旧することなく解体された。その為、かつては陰になっていた道路にも今は日差しが降り注いだ。

 柴崎は妙におとなしかった。助手席に乗れば誰しもがそうだろうか。車は進んでいくうちにどんどん交通量は増えて、流れも徐々に悪くなっていた。

「今は下北の方だっけ」

「それは三十年前。今は新橋の方」

 新宿を破壊された余波は警察組織にも及んでいる。JSSのように地下に組織の拠点を置く必要はない。

 知らない人間を乗せて同じ空間にいることが、李凪にも少しずつ息苦しく感じていた。思っていたよりも間が持たない。そして柴崎は別に何かあることであった。出会ったときから少しずつ視線が変わっている。より近づいていた。

「ここでいい」

 そこは公安の施設から少し離れた位置であった。李凪は路肩に車を停めて、ハザードランプを点滅させながら停車した。柴崎は降りる手前で李凪の方を向いて「七時にさっきと同じ待ち合わせで」と口にした。李凪はまぬけな目で頷いた。

 柴崎が降りた後、李凪はウインカーを右だけつけて、車の流れが切れることを待っていた。

 何台かスピードを上げて走り去っていく姿を目で追い、李凪は後ろにいないことを確認して左車線に入っていった。

 李凪はその後七時まで様々な場所に立ち寄って時間を潰していた。午後六時半過ぎになると車をさっきと同じ通りの路肩に停車させた。事実、時間を潰せる程何か用事があるわけでもない。

 車内に内蔵された時計が6:55を表示された頃であった。反対側のミラーに柴崎の歩いている姿が映った。今度はノックしない。車の横に立つと、助手席のドアを開いて中に乗り込んだ。

「ここから少し先に行くと行きつけの寿司屋があるんだ。前に先輩に連れて行ってもらったとこ」

 李凪は車を走らせた。雲が八割を占めた空の下で車は柴崎の道案内の下、慎重に進んでいった。

 着いた場所は人気の少ない通りであった。駅の近くであるにも関わらず、空き店舗の多い通りである。唯一この通りで営業しているのは、この寿司屋のみであろう。

 李凪は一度店の前を通り過ぎた。柴崎は首をかしげながら李凪の方を向いていた。店に入らずに駅の方まで真っ直ぐ進むと、李凪は近くにあるシャッターの前で車を停めた。

「降りて」

「だいぶ通り過ぎたけど」

「車を停める場はないからね」

 そう言って李凪は、シャッターを両手で上げていった。開閉した先には車一台分が入るスペースがある。

 目を丸くした柴崎は何から聞くべきか分からずにいた。李凪は乗ってきた車をバックさせて駐車した。壁にある操作盤のボタンを押してから外に出ると、シャッターが閉まった。中からエレベーターが動くような音が聞こえる。

「これで上野に送られる」

「そうなん」

 知らないであろう情報を外部に漏らしつつ、二人は歩いて寿司屋のある建物の前まで戻った。

 建物を正面から見れば、そこは白い外装に大きなネオンがある。その端に階段が作られている。階段を降りると半地下に入口があり、まるで隠れ家のように佇んでいた。

 柴崎が引き戸を開けると、L字のカウンターに囲まれた調理場に一人の板前がいる。

「らっしゃい」

 バリトンの声が響き渡る。客は他にいない。柴崎が李凪を先に店に入れる。

「お好きな所へ」と言われると、二人は奥の席に腰掛けた。柴崎は李凪の方を向き「嫌いなものはある?」と聞いてきた。

「ない」という返答を聞くと、柴崎は「大将、おまかせ」と告げた。

 板前は頷くと、ガラスケースにあるネタを取って一貫ずつ握っていった。

 李凪の目には板前の腕が気になっていた。皮膚は首や顔と比べれば全く焼けていない姿を見て、普段どのような生活をしているのか読み取っていた。

 えんがわ、こはだ、あじの順に出された寿司を、李凪は手で取って二口で食べていった。次に出されるネタに目が動いていた。茶をすすりながら柴崎は横目で李凪の目の動きを見続けていた。

 頼んだビールが自走式ロボットによって運ばれる。柴崎はそれを受け取って一気に飲み込んでいく。この店で板前以外の従業員の姿を見たことがなかった。李凪が頼んだハイボールはいかが出されたと同じタイミングで自走式ロボットが運んできた。

「酒は好きなの?」

「それなりに」

 李凪は表面に半分浮かぶ氷に目線を注ぎつつ、半分を喉に通していく。通っていく炭酸は李凪を静かに痛めつけていた。

「実はソーダ割よりもストレートが好き」

 その口調にはどこか内面が見えていた気がしていた。だが、それは一握りの砂を掴むことと変わりはなかった。

 十四貫食べたところで板前の動きが止まった。柴崎らがいつも来るときは十四貫まで食べていたことに由来する。十五という数字にはジンクスがあった。それを気にしていた。

 李凪が食べ終わると柴崎は「先に出ていて」と言って李凪を店内から外へ出した。

「おあいそ」

 そういって柴崎は、残って財布を出して支払いをしていく。

「柴崎、タレの前では言わんけどおあいそっていうのは客が使うことじゃないんや」

「失礼しました。先輩」

 支払いが終わって店を出ると、李凪は階段の手すりに四垂れかかるようにしていた。

「酔ったの」

「いや、大丈夫。風に当たりたくてね」

 ハイボール三杯飲んだ身体は少し火照った。まるで冷たい所を探すかのように李凪はステンレスの手すりの上に身体を寄り掛かる。

「ちょっと空気でも吸うか」

 そう言うと李凪は身体を起こした。何かに反応したかのような目で柴崎を見つめていた。

 李凪が柴崎に連れていかれた場所は雑居ビルの屋上であった。正方形の一角にベンチが二つ置かれている。

 丁度南側は大きな建物がない為、街の景色が見下ろせる場所となっていた。夜の明かりは通りを照らす程度である。繁華街が近くないことでうるさくない。これも一つのポイントであった。

「こんな景色あるんだ」

「ここに来れば嫌なことも忘れられる」

 李凪はベンチに腰掛けた。熱を帯びた身体は吹く風で冷まされている。

「川内」

 李凪はすぐさま答えた。

「李凪でいい。ナギって呼んで」

「ナギ」

 李凪は上を向いて、一息ついてから口にした。

「李凪は本当の名前だけど、苗字は違うから」

 柴崎は一瞬のことに驚いた。あると思っていないことが目の前で起きていた。どこから指摘すればいいかわからなかった。

「どういうこと?」

「そのままよ」

 李凪はそういって笑みを浮かべた。柴崎の思考回路は全く繋がらなかった。





 

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