A氏の告白

坂本梧朗

1話完結

                                            

 ――酒場で使いすぎて帰りの電車賃をなくしてしまってね。白昼、少し遠い街で。その時は酔っていたから、面白いと思ってね。カネの苦労を知らないと言われている俺が、カネの価値を知るよい機会だと。少しはあると思っていたのに、落したか、抜かれたか、百円玉二枚しか残っていないのは、内心こたえていたけどね。


 ――酔った頭は気楽なもの、駅への道を歩きながら、行き交う女性に無心した。よくできたと思うんだが、あんな事が。〇百円くれませんか、学生、OL 、中年婦人、足は止めても、若い娘なんか、おかしそうに笑っても、カネはくれない。わずかな額なんだが。それと気づいてさっと進路を変える女もいたな。いや、男には声をかける気はしなかったね。どつかれそうでね。ま、あれも遊興の延長だったわけだな。しかし女があんまり冷たいものだから、気の大きい男の方がポンと出すのでは、という気持も、後の方ではしてきたけどね。いや、お恥ずかしいことです。歩きながら空を仰ぐと、コジキの悲哀のようなものが、ちらりと胸をよぎった。収穫なしで駅についた。             


 ――時はゆき、日も暮れる。少し焦ってきたね。夕方から仕事なんだ。何くわぬ顔で出勤しなければならない。で、買ったばかりのキーホルダーを半値で売ることを思いついた。柱の脇に身を寄せた。恥がにじりよってきつつあったが、まだ酔狂の中にいたんだ。で、歩いてくる女にキーホルダーを示しながら声をかける。これ、〇百円で買ってくれませんか。女はだれも軽くあしらって歩き去ったね。興味深げに足を止めるのもいたけど、用がわかると白けた顔して通り過ぎた。ものを売りつけるという行為のせいか、前よりも概して女の態度は警戒的で冷たかったね。それでも三十分ほどそうしてたかな。自分でもよくやると思うよ。で、仕様がないからこちらから動いてあたることにした。キオスク、地下商店街の女店員、七人位あたったな、皆だめ。可愛い顔して、あの娘らは。明るいコンコースに、カネの吸い口はあふれているが、出口は一つもない。見廻してこれが実感だったね。公安室に行かれたら――最後の菓子屋の女店員がニッコリ笑ってそう言った。           


 ――残った二百円で、とにかく電車にとび乗ったよ。乗れるところまで乗って、後はタクシーで着払いと。さすがに周りの乗客にキーホルダー を売る気力はもうなかったね。二百円分乗ったと計算し、降りてみると胸騒ぎ通り、一駅オーバーで改札不通過。あちらへ、ということで精算所の窓口へ。――ここまで来たのならお客さん、目的駅まで行って事情を話し、家か知り合いに連絡してもらいなさい、ガラス仕切の向うから駅員が、親切のつもりなんだろう、そう言った。わずか○十円見逃してくれれば、家人に知られず、恥もかかずにすむものを、と思いつつホームのペンチにUターン。夕暮れの迫る周囲を見ながら、どうなるんだろう、ていう気持で座っていた。乗りこんだ電車の座席で、酔いはようやく醒めていった。いやとても孤独な気分だったよ。車内がやけに暗く沈んで見えてね。


 ――そうだ、直接家に電話して、改札口に持ってきてもらおう、と言う考えが救いのごとく閃いたのが到着の寸前。家人に恥をさらすのは仕方がないとしても、当局の前に、あのう、と出頭するのが嫌だったんだな。ホームに降りて、改札前の赤電話へ。ちっ電話代がない、電話代さえ。その時は本当に情けなかったね。隣りにあったキオスクの女店員に、また女店員だがね、あのう十円を貸して……両替ですか、いや実はコウコウ、あ、それなら公安室の方へ、あちらですから。瞬間、公安室はカネを貸してくれるのかと思ったね。それほど彼女の答え方には躊躇がなかった。やはり公安室かと少し憤然とした気持で、俺は公安室へ歩いた。


 ――予想外だったが、そこは警察のように制服が威圧的にズラリと並んで居て、その一人の制服の前に俺は座った。書類が出てきて、住所、氏名、年齢、親の名まで書かされ、家に電話をかけるという、それは私が、は却下され、公安官が家に電話した。 受話器から家族に広がっていく波紋を、私は痛みのように感じながら下を向いていた。別にワルい事をしたんじゃないからな、畏らない俺の態度が気にくわないのだろう、自分の気持を納得させるように公安官は呟いた。俺は大きく頷いて、体を横に向け、雑踏が聞こえてくる入口のドアに目をやった。くもりガラスが明るく映えていた。 そこを開けて家人の誰かが入ってくるのかと想像すると気が重かった。雑踏が聞こえていた。自由な雑踏だった。しまった、しまった、カネさえあれば、俺もあの中の一員で、誰にも脅かされず改札を出て、何事もなかったように今頃は日常生活に復帰していた。カネがあるから自由なんだ、自由とはカネだ――

ここでA氏は急に沈黙して、不快そうにため息をついた。

――ところで、俺はね。

 吐き出すようにそう尋ねた。



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A氏の告白 坂本梧朗 @KATSUGOROUR2711

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