第9話 銅貨二枚じゃ暮らしていけない

「ドン! おはよう!」


 次の日の朝、寝ていると突然、顔全体に柔らかな温かみを感じた。


 目を開けるとどうやら手荒く起こされたらしく、カノの妹であるサニが俺の顔を抱きしめている。サニは俺に頬擦りしながら言った。


「よかったぁ、ドンがいてくれて。カノが明日いなくなってるかもしれないなんていうから不安だったんだ!」


「今、何時だ? まだ早いだろ」


「六時だよ! 昨日の夕食のいい匂いがするから早く起きちゃった!」


 俺はあくびをしながらベッドから起き上がろうとするとサニは俺の肩に飛び乗った。


「サニは高いところが好きなんだよ!」


「おっサニはカノに似て運動神経抜群なんだな」


 サニを肩車したまま広間に行くと、カノも起きていて、魔石が組み込まれたコンロでお湯を沸かしていた。


「ドン、おはようございます。今、お茶淹れますね」


 朗らかな笑みを俺に向けるカノの頭上にはやはり昨晩見たままの古代文字が浮かんでいる。そしてどうしても、(王命により性交 婚姻 奴隷化 可能)という文言に目がいってしまう。


 全く異端スキルっていうのはつくづく道徳に反する能力が多い。王命だかなんだか知らないがそんな力でこんな美しい子と関係を持ったりしたら、王家の権力を使って女を抱くレイモンド王子と同類になるじゃないか。まぁ流石に、夫や恋人の目の前で好みの女と交わり、その事後処理を聖騎士団に押し付けるレイモンド王子の下劣さには遠く及ばないにしても。


 そんなことを考えているとカノは頭を傾けた。「なんだか、深刻な顔をしてますね。私にできることならドンのためになんでもしますから、悩みがあるなら話してくださいね」


「いやいや大丈夫! 気にしないでくれ。そういえば、カノも早起きなんだな」


「今日は依頼があるので、バッチリ早起きしました」


「依頼? どんな依頼だ。俺も手伝おう」


 カノが答えるよりも先にサニが俺の髪をわしゃわしゃしながら言った。

「猫探しだよ! カノもサニも猫探しの名人なんだ!」


「猫探し?」


 猫探しの依頼者は敗者の街区の住人で報酬は銅貨2枚とカノが説明してくれた。俺はサニを椅子に座らせてから言った。


「他には何か依頼はあるのか?」


 カノは俺の前に湯気立つコップを置いた。

「今日はその依頼だけですね」


「銅貨2枚の依頼が一件だけか」


 この古い廃墟は住居費がかからないとはいえ、食費だけでも銅貨2枚はかなりキツい。まともな食事にありつくともなると、少なくとも一日あたり銀貨一枚、つまり銅貨十枚は欲しいところ。カノとサニはポジティブそのものだけど、二人がこれまで相当苦しい生活をしてきたのは間違いない。異端者は公認ギルドに所属できないだけでなく、一般の商店などで雇ってもらえることもできないから生活に苦労すると聞く。つまり、それは新米異端者である俺も同じことだ。


「でもそんなに痩せているってことは、薬は盗むのに食いものは盗まないんだな。カノの尾行と索敵の能力があればそれも簡単そうなのに」


 カノは胸を張った。

「当たり前です。困っている人のために薬を盗むのは慈善行為ですが、自分らのために食べ物を盗んだりしたらそれは泥棒ですから」


「いやいや、俺からしたらどちらも泥棒なんだが、ってまぁいい」


 とにかく今のままだとジリ貧だ。騎士団時代に貯めた俺の所持金にも限りがあるし、早いうちにもっと大きなクエストを引き受ける必要がある。


「ともかく闇ギルドミチーノファミリーのドンとしての最初の一歩は猫探しってことか」



 簡単に朝食を済ませると、それぞれバラバラになって敗者の街区で猫を探すこととなった。


 朝早いせいもあって人気は疎らで、反対にたくさんの猫たちがあちこちで毛づくろいをしている。この中から特定の猫を探すのは想像以上に苦労しそうだ。


 街を行ったり来たりしていると少しずつ日が明るくなってきた。人の往来も増え始め、どこで集めてきたか分からないような萎れたカブやニンジンを道端に広げる露天商も目につく。視線を遠くに向けると、王族らが住む巨石城が朝日に照らされている。ほんの数日前だったら白金の甲冑を着て、城近くの駐屯所から朝の巡警に出発してたはずなのだから不思議なものだ。


 時折、サニとカノに出くわすが二人もまだ猫を見つけていないらしい。

「経験上、敗者の街区より遠くに行くことは稀なのですが、サニと一緒に見てきますね」


「俺はもうしばらくこの街を探してみよう。街の地理関係も頭に入れておきたいからな」


 こうしてカノとサニと二手に別れて猫を探すことになったが、俺は嫌な違和感をずっと覚えていた。


 誰かに付けられているような感覚。コソコソ付けられているというより、後ろを見るとあからさまに俺の後ろを歩く少年の姿がある。


 歩くスピードを早め、咄嗟に暗い路地に足を向けた。鼻を刺すような臭気と、地べたでうたた寝をしている酔っぱらいの姿。裏路地を進むほどに敗者の街区全体を包む荒んだ空気はより濃いものとなっていく。


 二回道を曲がったところで足を止め、しばらく息を潜める。やはりこちらに向かってくる微かな足音。俺はタイミングよく一気に動いて、相手の手を掴んだ。


「俺に何かようか? セネカ・フォレスト」


 セネカは大きく眼を見開いた。

「すごい俊敏な動き。昨日も思ったけど、やっぱりお兄さん、只者じゃないでしょ」


「お前もな」


 そういって、俺が抑えたセネカの手に目を向けた。セネカが握るのは細身のナイフ。わずかに俺の防ぐスピードが早かったが、もう少し油断していたらそのまま刺されかねなかった。なるほど、世間を騒がせただけあって優秀なナイフ使いらしい。


「狙いはなんだ?」


 セネカは何も答えずに俺の手を振り解いてからナイフでサッと切りつけてきた。俺は地面で眠る酔っ払いに注意を払いながら、軽いステップでそれを避ける。


 しばらく俺はセネカの斬撃を交わし続けた。騎士だったら捕縛すれば済む話だが、今は一般人だ。なるべくなら手を出したくない。俺は声を上げた。


「なぜ俺を狙う! 理由を言え!」


 セネカは動きを止めた。

「賞金だよ。太っちょピットがお兄さんを痛めつけて街から追い出した住民に賞金を出すって言ってるんだ」


 太っちょピットって誰だ、と一瞬考えてから昨日会った巨漢かつ非力の男を思い出す。少し会話しただけで面倒な男だと言うことはわかっていたが、ここまでとは。「それで、賞金っていくらなんだよ」


「銀貨一枚だよ」


 俺はその言葉にガクリときてしまった。銀貨一枚。つまり一日の食費分の賞金首とは情けない限りだ。お駄賃レベルじゃないか。


 その時、セネカの髪がふわっと逆立ち始めた。

「お兄さんには恨みはないけどお金が必要なんだ」


(このガキ、銀貨一枚のために異端スキルを発動しやがったぞ……)


 俺は仕方なしに鞘から長剣を抜いた。「できるだけ手加減するが、万が一怪我を負わせても知らないからな」

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