第7話 太っちょピット

 敗者の街区。ここは聖騎士団管轄外の貧しいスラム地域だ。その名の通り何かの故あって身を持ち崩したものたちが住むこの地に今の俺が足を踏み入れるとは皮肉でしかない。


 実際に王都育ちの俺でさえ足を踏み入れたのは一度や二度しかない。カノは慣れた足取りで俺にこの街区を案内してくれた。


 強い風が吹けば崩れ落ちてしまいそうな掘っ建て小屋、ガラクタのようなものが置かれた商店、昼間から赤い顔をした親父が肩を寄せるうらびれた酒場が並び、貧しい身なりをした人々だけが目に入る。印象としては健康状態もそれほど良くない人が多い。彼らはカノを見かけると愛想よく声をかけた。


「カノちゃんが届けてくれた薬のおかげで病気はだいぶ良くなったよ。本当にありがとうな」


「どういたしまして。依頼の報酬はブルックさんが仕事に復帰されてからで構いませんので」


「相変わらずお金にはしっかりしてるなぁ、カノちゃんは」


「もちろん報酬はしっかりいただきますよ。それではブルックさん、お大事になさってください」


 そんな会話が終わった後、俺はカノに尋ねた。

「薬を届けたって、カノは薬学にでも精通しているのか?」


 カノは平然と言った。

「まさか。王都の中心街にある薬屋でブルックさんの病気に効く薬をちょいと貰ってきたんですよ」


 ……一瞬混乱してから俺は声を上げていた。

「それって窃盗じゃねぇか!」


「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。ここの街の住民にとって正規の薬は高価で手に届かない代物。それを私のスキルを使って安価に届けてるのですから言わば慈善事業とも言えますよね。レオンさんは元聖騎士だというのに慈悲の心はないんですか?」


 俺ははぁと一つため息をついた。


 なるほど。カノのいう闇ギルドとはこういうことか。合法、非合法に限らずここ敗者の街区で便利屋のように依頼を受注し日銭を稼いでいるというわけだ。ますます治安を守る存在であった元聖騎士の俺が関わり合いになってはいけないと理性が告げているが、一つ気になっていたことがある。


「君とサニの両親は? いつからこんな生活をしてる?」


「親なんていません。私たちはずっと二人で暮らしてきました」


 やっぱりそうか。カノとサニのやせ細った体を見たら二人が孤児なのは一目瞭然。その事実が確定するとどうしても俺の心は揺れ動いてしまう。こんな生活をしていたらゆくゆくは聖騎士団に捕まるか、闇ギルドに目をつけられて幹部らのペットにでもされるのがオチだ。カノがいなくなったら小さなサニとってそれは死を意味する。


 出会ってばかりではあるけれど姉妹のエルフを放っておくことも気が引けた。さて、どうしたものかと考えていると思わず目を見張ってしまった。


「ドン、どうしたんです?」


「いや、ちょっときになることがあってな」


 ちょうど通り過ぎた端正な顔立ちをした少年の頭上にもカノと同じように何か文字が浮かんでいるのだ。やはり文字の周りには靄がかかっていて何が描かれているのかは読み解くことができない。


 俺は戸惑いつつ通りをすぎてく少年の頭上を眺めているとカノは感心したように言った。


「おっ、さすがはドン。お目が高いですね。あの子はここで暮らす前は裏の世界で有名な異端者だったという話ですよ。闇ギルドと何かのトラブルを起こしたみたいで、今はここでひっそり暮らしてますが」


「あの少年が裏の世界で有名な異端者? 名前は?」


「名は確かセネカ、セネカ・フォレストです」


 どこかで聞いた名前だと思考を巡らすと、騎士団時代に見た手配書が頭に浮かぶ。

「ってセネカ・フォレストって言ったら切り裂きセネカのことじゃねぇか! 犯罪歴持ちだぞ!」


 切り裂きセネカはいっとき世間を騒がせた異端者。主に貴族など上級社会での暗殺を担っていたという話だが、そういえば最近は話題に上がっていなかった。あの切り裂きセネカがこんなうらぶれた街で過ごしていたのか。


 それにしても、もやがかった文字が浮かんで見えるのはカノとセネカの二人だけ。二人に共通するのはもちろん……


「異端者か」


 スキルが発現して今の俺は誰が異端者かどうかを判別することができるのか?そうだとしたら、やはり異端スキルの鑑定につながる歴史に残るような稀有なスキルなのだが。



 その時、通りで誰かと誰かが揉み合っている気配を感じた。昨日この性格で痛い目にあったというのに俺の足は賑やかな声がする方に向いていた。

「ドン、どこ行くんですか?」

「どうもいざこざが起きてるようだ」



 騒ぎのほうへ行くと案の定、俺としては看過できない光景が広がっていた。


 この街では珍しくでっぷりと太った男が地面に倒れる老人を足でなん度も蹴り付けている。老人は無抵抗のまま蹴られるたびに小さく声を上げた。


「カノ、あの太った男は何者だ?」


「酒売りと金貸しを営む、通称太っちょピットという男で、この街を牛耳っている人物です。いつも借金を返済できない住人を見せしめのためにああやって虐めるんです。ここの住人は体が貧弱なので抵抗できなくて」


 なんにせよ、ピットという男を止めようと一歩踏み出すとカノは俺の手を掴んだ。


「ドン、ピットさんに目をつけられない方がいいですよ。かなり面倒な人なので」


「そうは言っても、ほっとけんだろ」


 俺とカノが話していると、不意にピットが蹴るのをやめて、こちらを向いた。ピットはニタァと相好を崩す。


「誰かと思えば、そこにいるのは俺のかわい子ちゃんじゃねぇか。カノ、相変わらず痩せっぽちでかわいそうになぁ」

 どうもピットとカノは知り合いらしい。カノはなぜだか俺の背中に隠れてしまう。


 ピットは大きな巨体を揺らして近づいてきた。


「隠れることねぇじゃねぇか。前から言ってるだろ。俺の女になればあんな不吉なお化け屋敷に住む必要はねぇし、妹のサニにだって腹一杯食わしてやるって。毎晩、可愛がってやるから、さっさと俺の女になれよぉ」


 カノは俺の腕を掴んで小声で言った。


「行きましょう。相手にしたくもないですから」


 ピットは俺の存在に気づいたようだ。


「うん? なんだ? 見慣れねぇ顔だな。俺はよそ者が嫌いなんだよなぁ」


 ピットはそう言いながら俺の腕を掴むカノの手に視線を向けた。一度、眉間をピクリと動かしたかと思うと、みるみるうちに顔は真っ赤になっていった。そして、体をワナワナと震わせながら大声を上げた。


「俺の目の前でカノとイチャイチャするとはどう言うつもりだぁああ!」


 次の瞬間のピットの短い足がこちらへ飛び込んできた。蹴りはまともに俺の脛に入り、次に拳で頬を殴られた。ピットはその巨体を揺らしながら次々と俺に打撃を加えた。


「情けねぇなぁ! ビビって動けねぇじゃないか! お前らも加われ!」


 ピットがそう呼びかけると、取り巻きの男たちが俺を取り囲み、同じように拳を振るった。


 傍目から見たらリンチ状態だろう。だが俺としてはどうリアクションをしていいかも分からなかった。


(この弱々しい奴らがこの街を牛耳ってるのか?)


 そう、男たちはあまりにも非力すぎて、いくら殴られろうが全くのノーダメージなのだ。冷静になってみると、ピットの取り巻きは骨が浮き出た貧弱な男たちだ。ピットにしても脂肪を揺らすだけの情けない体。


 ずっと任務で王都中心の闇ギルドに所属する凶悪な連中と相対してきたこともあってか、ピットたちの非力さにはちょっと拍子抜けしてしまう。下手に手を出したら大怪我を負わせてしまうかもしれないので、気が済むまで殴らせておこうと思っていたら、カノが俺の体を守るように身を挺した。


「やめてください! このお方を怒らせたら大変なことになりますからね!」


 流石にカノには手を出せないらしく男たちは手をとめた。肩で息を吐くピットはニヤリと笑った。


「こんな腰抜けが怒っても怖いことなんてねぇよ! ビビって反撃さえできねぇんだから!」


「ピットさんが大きな顔できるのも今のうちですよ! いいですか、この方は泣く子も黙るあの王都聖騎士団に所属していたんですからね!」


 カノがそう言うと、ピットらは一度キョトンとしてから笑い声を上げた。

「聖騎士団に所属していたぁ? 聖騎士団に入れるのは貴族出身か天才的な身体能力の持ち主だけだぞ。そんなすげぇ奴がこの街にいるわけねぇじゃねぇか。カノ、お前は騙されてんだよ」


 俺は嘲るピットを無視して地面にうずくまる老人に持っていたポーションを飲ませてやった。

「どんな理由があるにせよ老人を蹴ったりするな」


 ピットは吐き捨てるように言った。

「俺に指図するな、嘘つき野郎! ここで暮らしたいならこの街のドンのピット様を怒らせないよう気をつけろよ!」

 そしてピットは取り巻きを連れて意気揚々と去っていった。

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