飯島さんのひとりごと

焦がしミルク

【ひとり弁当】


ぐうううぅ


オフィスで盛大に腹を鳴らしているのは私。

午前11時20分、昼前のこの時間は一番腹がへる。


さほどうるさくないオフィス内でかなり大きな音を出してしまったが、同僚たちは聞こえていても知らんふりをしてくれる。

私も「おなかなんて鳴ってないけど?」という顔でキーボードを叩く。

オフィスではそれが暗黙のルールであるように思う。


何か食べようかとデスクの一番下の引き出しを開くも、昨日の夕方総務の美山さんからもらったチョコレートはその場で食べてしまったことに気付く。

ため息を吐きながら立ち上がり、トイレへ向かった。


トイレの手洗い場では総務の美山葵がちょうど手を洗い終わっているところだった。

「お疲れ様です。」

声を掛けると美山さんも笑顔でお疲れ様ですと返してきた。

個室に入って座ると同時に、トイレの流水音が鳴る。スカートのポケットに入っていたスマホを取り出す。


「職場で盛大に腹が鳴ったワロタ」


SNSに短い投稿をする。ワロタとスマホをタップする私自身は真顔ですけど。

こうして個室で用を足している間に空腹は紛れるが、不思議なことに、その後席に戻るとまた腹が鳴る。

どうして鳴ってほしくない場面で腹は鳴るのだろうか。


ようやく個室から出ると、美山さんがまだ鏡の前に立っていた。リップを塗り直しているようだ。

それを横目に私も手を洗う。

3つ並んだ蛇口のうち一番水の勢いが強いところを選んでしまい、まくった袖にも小さな水しぶきが飛ぶ。


「ちょっともう、しんどくなってきました。」

はーあ、と大きなため息を吐きながら美山さんが呟いた。

ハンカチで手を拭きながらえー、どうしたの?などと聞いてあげる。

「推しの米田さん、異動してから席離れちゃって、癒やしが全然無いんです…昨日もチョコレート配りに行った時に外出していたし。今日も午前中休みみたいだし。」


米田さんとは先月まで総務にいた男性社員で、所謂イケメンという印象の私の同期だった。

米田さんの隣の席だった美山さんは米田さんを「推し」と呼び慕っていたが、米田さんがシステム部に異動になったため席が離れてしまったのだった。

米田さんのフルネームは米田大輔、苗字の読み方が「こめだ」であることと、食べることが好きだと言っていたことで、入社当時の私は脳内で

「こめだだいすけ、米大好き」

などと言葉遊びをしていた。


「まあ、しょうがないね…でも同じフロア内で良かったじゃん。」

「そうですけど〜、飯島さんは隣の部署だから近くていいなあ。」

話しながら二人揃ってトイレを出る。

美山さんの近くを歩くと香水の甘いにおいがした。若い女の子がつける甘ったるい香りに刺激されたのか腹が鳴りそうになり、必死に腹に力を入れた。


12時、保冷剤を入れまくって冷え切った弁当をレンジへつっこむ。

2分温めた後、自分のデスクに戻る。

今日も弁当の中身は週末作り置きしたおかずばかり。蓮根と人参のきんぴら、つくねハンバーグ、マカロニサラダ。卵焼きとおにぎりは朝に作ったもの。


「いただきます」

控えめな声で私は手を合わせた。

社食が安いため、昼休みになると経理部の社員は私以外皆席を外す。

ひとりになったデスクで黙々と弁当を食す。

弁当を作って持って行くことはコンビニで買うよりも節約になるのか、実感はない。ただの自己満足なのかも。

だが、自分の作った料理はそれなりに好きだ。特にきんぴらは自分好みの味の濃さにできるところが嬉しい。

つくねハンバーグは一口大のものが2個、どちらもちゃんと一口で食べる。

マカロニサラダはマカロニとピーマンのみで、マヨネーズとオイスターソースで味をつけている。


弁当のおかずは、たとえダイエット中でも自分の好きなものを入れ、午後の仕事の大事なエネルギーにするのだ。


食べながら、午前中の仕事のこと、午後にしないといけない仕事のことを考える。

このひとりで何かを食べながら考える時間は嫌いではない。


昼前の美山さんのことを思い出した。

「推し」とは呼ぶが、米田さんのことを好きなのだろう。というよりも自分のものにしたいという方が正しいか。

社内スケジュールで米田さんの予定を確認したり、さりげなく話しかけたり、そういう美山さんのいじらしい姿は見ていて可愛らしい。

若いな…と思うと同時に、美山さんとそんなに歳も変わらない自分が老け込んで見えて、わざとおにぎりを大きな口で食べた。


最後のお楽しみで残しておいた卵焼きを口に運んでいると、オフィスに入ってきた午後出社の米田さんと目があった。

「お疲れ様。」

米田さんは気にせずといったふうに声をかけてきた。

私も卵焼きを口に入れてからもごもごと「お疲れ様。」と言った。

「美山さんが席離れて寂しがってたよ。」

弁当箱を片付けながら米田さんに話しかけた。

米田さんは私の斜め前の席に座り、PCを開きながら「えー?」と言った。

「美山さんまだ親離れできないのかー。」

「親子って歳じゃないでしょ。米田くんが推しなんだって。」

「ふーん。」

二人の時、なぜだか私は彼のことを「米田くん」と呼ぶ。

米大好きくん。


あのさ、と米田さんが急に話をそらす。

「卵焼き、どうしたらそんなに綺麗に焼けるの?」

PCから目を離し、私の方を見た。

「え?」

「いつも入ってるよね、弁当に、卵焼き。黄色くてめちゃくちゃうまそう。」

「そうだなぁ…」

米田さんは食べることが好きだが、最近は作ることも始めたようだった。美山さんが「推し」の話をする時に「料理できる男の人っていいですよね〜」と言っていた。

「米田くんも100回作ったら上手く焼けるようになるよ。」

月並みなことを言い、ごちそうさまでした、と手を合わせた。

「飯島さんも100回作ったの?」

「たぶんそれ以上は作ってるんじゃないかな、ほぼ毎日だし。」

「ふーん。」


会話は短くそれっきりだった。

でも弁当について何か聞かれたことは初めてだった。


米田さんもこれからは弁当を作っちゃったりして、ここで一緒に食べたりするのかしら、

なんて。


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