【完結】群青カタルシス

千鶴

第1章 浅倉潤

プロローグ

 最後の晩餐はカステラだった。白い小ぶりな皿の上、長方形に切り分けられて鎮座する黄金色のそれは、焼き目の上部にザラメが散りばめられている。

 私はすっかり丸まった肩を今一度伸ばし、鼻から長く息を吸った。目を瞑り、膨らんだ肺にたっぷりと香りを入れたところで瞼を開く。

 

「いただきます」

 

 皿の横に置かれたフォークを手に取ると、私の両隣に立っていた刑務官の男が二人、一斉に私の方へと身体を向けた。その視線は私がフォークを持つ右手に釘付けである。

 

「速やかに食すこと。誤解を招くような所作は控えなさい」

「はい」

「食後の飲み物に希望はありますか」

「紅茶を、お願いします」

 

 私がそう返事をすれば、私の左側に立っていた刑務官が部屋を出て行く。その行方を無意識に目で追った私は、扉が閉まると同時に部屋全体を俯瞰した。

 六畳半ほどの空間。壁は四方コンクリート。私から見て西に扉、東に刑務官の男、後方南の壁は背中に圧迫を感じるほどに近く、目の前の小さなテーブルを挟んで北側には仏壇の棚が置かれている。

 

「早く食べなさい」

 

 フォークを持ったまま静止する私を見て、刑務官が抑揚のない声を発した。

 私は頷き、左端から三分の一ほどの所にフォークを差し込む。ふかふかなカステラは一瞬沈み、小さな気泡をフォークが通過していく感触を愉しんでから、切り分けたカステラを刺して口へと運んだ。甘い。一口食せば、ものの数秒で残りのカステラは胃袋に落ちた。

 刑務官は完食した皿をフォークと共にすぐさま持ち上げると、再び声を出す。

 

「所持品は全て焼却処分で間違いありませんか」

「はい」

「遺書は不要。面会希望者もなし。そうですね」

「その通りです。ありがとうございます」

 

 座ったまま刑務官の顔を見上げれば、私と目の合ったその男は顔面を硬直させて唾を飲み込んだ。表情は恐怖、そして憂い。何故ありがとうなどと? そんな疑問を顔に映していた。

 これから死に逝く者を見送るというのは、たとえ仕事と割り切っていても精神に負荷のかかることと思う。気苦労をかけて申し訳ない、そう言った意味でのありがとう、だった。

 

「まもなく教誨師きょうかいしが部屋に来ます。懺悔をするも雑談をするもご自由にお任せします。そのあと部屋を移動し、そうするともうこの部屋には戻りませんので、お手洗いを済ませたければ今のうちに。簡易トイレを用意します」

 

 その時、部屋の扉が二回ノックされた。

 刑務官が扉を開けに向かえば、入ってきたのはスーツの男。男は右手に紅茶のカップ、左手に簡易トイレの箱を持った状態で、よたよたと身体をやじろべえのように揺らしながら私の側までやってきた。

 

「はいこれ、紅茶だよ。少し冷めてしまったかもしれないが許して欲しい。ああ、ついでにトイレも持ってきたからあとはこちらに任せていただいて結構ですよ。外に居てくだされば、話が終わり次第声を掛けますので」

 

 テーブルに紅茶を置いてから男が刑務官に告げると、刑務官は承知しました、と頭を下げて部屋を出ていく。扉が閉まったことを確認すると、男は私に振り返ってにこりと微笑んだ。

 

「さてと、それじゃあ始めましょうかね。わたくしの名は宗胤しゅういん教誨師きょうかいしです。歳は四十。あなたは?」

「はい。私は浅倉潤あさくらじゅん。歳は二十九です」

「そう、浅倉潤さん。知ってますとも。二十九というと、わたくしの妹と同い年です。なるほどなるほど」

 

 宗胤と名乗ったその教誨師はその場にしゃがみ込み、持ってきた簡易トイレの蓋を開けて何やら中身を探っている。その口調と声色が妙に明るくて、私は若干戸惑った。

 

「では浅倉さん。あなたは何かわたくしに話したいことはございますか。ええと、今日は令和六年二月二十九日だから……おや。今年は閏年でしたか。どおりで特別なわけだ」

「あの」

「うん、突然なにか話せと言われても難しいか。でしたらまずはわたくしが話しましょう。そうだな……互いを知るには兎角、身の上話が定石か。教誨師というのはですね、宗教家が成れる職業なんですが、これが職業とはいっても収入はゼロでして」

 

 宗胤は簡易トイレから取り出したコの字型のプラスチックを、部屋の入り口のドアノブにかませる。ガチャガチャとノブを上下して扉が開かないことを確認すると、輪っかに結んだ紐をノブに引っ掛けた。

 

「でもね。受刑者やあなたのような死刑囚・・・の方とお話をすることを、わたくしはずっと意味とやりがいのある仕事だと心得ていまして。それが今日こんにちまでのわたくしの生きる糧になっているわけです」

 

 淡々と話をしながら作業を続ける宗胤。ノブに引っ掛けられた紐はなにやら装置のようなものを通した後、私が座る位置から北側の壁に祀られている仏壇の観音扉にぐるぐる巻きにされた。紐がたわむことなくピンと張っているのを確認すると、宗胤は満足げに一つ頷く。そうして再び私を見た。

 

「ですが今日、その糧は崩れ去る。あなたという一人の人間のせいで」

 

 椅子に座ったまま、私はぼうっと宗胤を見上げた。焦茶色の光沢のあるスーツに青いネクタイ、首に紫の輪袈裟わげさを掛けた彼は背筋を伸ばして凛と佇む。短髪に切り揃えられた黒髪は清潔感があり、四十には見えないほど若々しい。

 

「あの。その装置って」

「爆弾です」

「やっぱり」

「おや。思ったより冷静ですね」

「まあ」

「死ぬことは怖くありませんか」

 

 一瞬の沈黙。だが直ぐに私は首を横に振った。

 

「もとより今日、私は死刑を執行される身ですから」

 

 変わらない。首を絞められて死のうが爆弾で死のうが、どちらだって構わない。

 

「だから不思議なんです。放っておけば私は勝手に死ぬのに、何故わざわざこんなことを? それにこの距離で爆弾が爆発すればあなただって無事では……」

 

 そこまで口にして私は言葉を止めた。

 なるほど。これはシナリオか。爆弾は偽物。このイベントは私が死ぬ前に今一度、なんらかの心境の変化を期待して行われている催しなのだ。

 人を殺しておいて。被害者に関連する人々の人生を滅茶苦茶にしておいて、心穏やかに死ぬことなど許されない。

 これは私に与えられる最後の罰に違いなかった。

 

「そうですね。爆弾が爆発すればわたくしも死んでしまうでしょう。でもよいのです。わたくしの命と引き換えに事実が明らかになるのなら、それで」

「事実?」

 

 宗胤はテーブルを挟んで向かいの椅子に腰掛けると、そっと右手を左胸に添えた。

 

「浅倉潤さん。これからわたくしがお話しするのはあなたの人生について。あなたがどう生き、どんな道のりを経てこの部屋まで辿り着いたのか。一緒に振り返っていただきます」

 

 私は一瞬考えたが、直ぐに納得して頷く。

 罰なら受ける。どんなことも受け止める。

 

 私は顔を上げると宗胤の目をじっと見つめた。ちくたくと秒を刻む音だけが鳴るその部屋で、静かに懺悔を始める。

 

「……私は人を殺しました。三人、殺しました」

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