第31話 どん底
■ ■ ■
県道から外れた細いあぜ道を歩く。明充の足取りは重い。
部活中に後輩から放たれた一言が、頭を支配していた。
「金子先輩って、すっげえ道具大事にしますよね」
最初は、手にしたストップウォッチのことを言われているのかと思った。先月新調されたそれを、明充は誰よりも丁寧に扱っていた。
しかし後輩の目はストップウォッチではなく、明充の足元へと注がれていた。
気づいた瞬間、かあっと顔が熱くなるのを感じた。羞恥が明充の体を駆け巡った。
後輩は、ぼろぼろのシューズを履き続ける明充を馬鹿にしていたのだった。買い替える余裕がないのだと、見透かしたような目だった。
だからどうした。古いシューズを履いていることで、お前に迷惑をかけたか。
後輩の胸倉をつかみ、怒鳴り散らす。
そんな空想を裏切って、明充は引きつった笑みを浮かべた。
「あー……はは、まあね。道具は大事だからな」
期待した反応が返ってこなかったからだろう、後輩はしらけた顔で明充の傍から離れた。
家まであと少しというところで、異臭を放つ物体が見えてくる。数日前から、道の脇に小型の冷蔵庫が不法投棄されている。
昨日はうっかりそこから漏れ出た液体を踏んでしまい、通学靴を汚した。同じ失敗はしない。明充はできる限り道の端に寄って歩いた。
前方に、人影が立っている。
人影が動き、「明充」と声を発した。一瞬、誰だかわからなかった。相手は金色に近い髪をして、黒色のシャツを着ていた。
須田望だ。
俺を待ち伏せてたのか? 明充は訝った。
「今帰り? おつかれー」
望は何事もなかったかのような顔で話しかけてきた。
明充はその横を無言で通り過ぎた。
「あ、待って明充、聞いて」
呼び止める望の声を無視して、歩き続ける。
望が追いかけてきた。
「待って、俺、明充にちゃんと謝りたいんだ。ごめん」
本当にごめんと繰り返す望の声に、何やら切羽詰まったものを感じた。
少し悩んだ末、明充は足を止め、振り返った。
「謝るってことは、自分が何をしたか自覚あるんだ?」
「うん……」
望は目を伏せた。
「俺、明充に最低なことしたよな……」
「本当に悪かったと思ってる」そう言う望を、明充は睨みつけた。
「今さら謝ってきて何? 俺のことなんか忘れて、今まで遊び回ってたくせに」
明充と望が仲たがいしたのは、中学に進学して半年ほど経ったときだ。
その頃、望は部員でもないのに頻繁に陸上部の練習に顔を出していた。
望の声援を受けると、不思議と明充のタイムは縮まった。自己新記録を出すたび、望は自分のことのように喜んでくれた。
ある日、真新しい箱を押し付けてきて、望は言った。
「俺から明充にプレゼント。今履いてるやつ古くなってるみたいだしさ、今度の記録会はこれ履いて参加してよ」
箱の中身は、有名スポーツブランドが出しているシューズだった。自分ではとても手が届かない、高価なものだ。しかし、望からすればどうってことない代物なのだろう。望の家は不動産業を営んでいて、羽振りがいい。毎月小遣いもたくさんもらっていると聞く。
望が笑う。
「これ履いて走ったらさ、きっとすごい記録が出せるよ」
明充は手にした箱を、地面に叩きつけた。
「いらねえよ、こんなもの!」
「え……」
望はぽかんとした顔でひしゃげた箱と、そこから転がり出たシューズを見下ろした。
「あ、なんで……?」
「馬鹿にすんじゃねえ」
明充は低い声で言った。
望は顔を赤くすると、震える手でシューズを拾い上げ、
「ごめん……」
逃げるように明充の前から去って行った。
以来、望は練習を見に来なくなった。それどころか学校にも寄り付かなくなり、夜な夜な派手な連中と遊び回るようになった。
「明充とちゃんと話をしておかないとって思ったんだ」
今、一年半ぶりに明充と望は視線を交わしている。
「哲朗、ついこの間死んじゃったんだよ」
望は言った。
「え、はっ?」
明充は息を止めた。
「哲朗って、あの鹿沼哲朗? 前にこの辺住んでた?」
「うん」
「え、いや、嘘だろ?」
「本当」
「そんな……」
信じられない。一体哲朗の身に何があったのだろう。事故か病気か。身体は小さかったが、哲朗はなかなかしぶとそうな奴だった。ならば、原因はなんだ?
そもそも望はどこで哲朗の死を知ったのだろう。なぜこのタイミングで俺にそれを告げるのだろう。
己の中の憤りも忘れ、明充は説明を求めた。そして、望が哲朗と再会してからの話を聞いた。
哲朗は自殺だった。
「バケモノの呪いのせいだよ」と望は言った。
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