第2話 カマキリみたいな母親

 インターホンに指をかけて、祥吾が目で合図する。

 圭太は無言でうなずき返した。

 祥吾の指先が動く。


 少しして、

「どちら様ですか?」

 中年女性のものと思しき声が返ってきた。

 冷え冷えとした響きに、圭太は早くも憂鬱を覚えた。

 この声の主が、果たして隆平の母なのか。


 隆平の母について尋ねた祥吾に対し、個人の家庭環境を明かすことはできないと、教師は答えた。だが母親の存在は間違いでないと断言した。

 圭太と祥吾の記憶では、隆平のところは父子家庭のはずだった。

 隆平の父親は、再婚したのだろうか。

 隆平は現在、継母と生活しているのか。

 事情を探るため、圭太と祥吾は隆平の家へとやって来たのだった。

 最近関りがないとはいえ、友達でなくなったわけでない。隆平が悩みを抱えているのなら、何かしら力になれるかもしれない。


 自分たちは隆平の友達で、隆平がずっと学校を休んでいるのが心配になり訪ねたのだと告げる。

 すると女性はあれこれ理由をつけ、二人を拒んだ。


「隆平、どうしたんですか? 病気ですか?」

 問いかけた圭太の声は、無視された。


「あなたたちなんなの? こんな時間にいきなり訪ねて来て、迷惑だとは思わないの?」

 一方的に、インターホンの通話を切られた。


 どうしようかと、圭太は祥吾の顔色を窺う。祥吾は迷うことなく、もう一度インターホンを鳴らした。

 しばらく待ったが、相手が応じる気配はない。


「しょうがない、今日のところは帰ろうか」と圭太が口を開いたとき、玄関口に明かりがともり、家の中から女性が飛び出てきた。

「あなたたち、しつこいわよ!」


 金切り声を上げる女性は、顔色が悪く、ひどく痩せていた。骨ばった手足は異様に長く、こけた顔はカマキリを連想させる。

 関わると面倒そうなタイプだな、と圭太は臆する。直前までのやりとりで、この母親との対話は諦めていた。


 一方、祥吾は果敢にも母親へと挑んでいった。

「すみません。でも、どうしても隆平くんと話がしたくて」


「隆平は誰とも会いたくないと言っています」

「それでも、せめて隆平くん本人に、僕たちが来ていることを伝えてもらえませんか? もしかしたら気が変わるかもしれません」


 門扉を挟んで、母親は祥吾を睨みつけた。口を開きかけたがやめ、家の中に引っこんでいく。頼みを聞き入れてくれたようだ。

 よし、いよいよ隆平と話ができそうだぞ。圭太と祥吾は顔を見合わせ、ほっと息をついた。


 しかし、少しして戻って来た母親は、冷淡に言い放った。

「隆平はあなたたちとは会いたくない、話もしたくないと言っています」


「え……」

「隆平はあなたたちとは友達でもなんでもないと言っているのだけど」

「ほ、本当に隆平がそう言ったんですか?」


 とても信じられなかった。

 最近の交流はなくとも、小学校の六年間を共に過ごした仲だ。隆平の性格は熟知している。訪ねてきた友達と顔も合わせず追い返すなんて真似、するわけがない。

 あるいは、それほどまでに現在の隆平の心は荒んでいるということなのだろうか。だとしても、自分たちが隆平に何をしたというのだろう。拒絶されるようなことをした覚えはない。


「ええ、そうよ。だからもう諦めてお引き取りいただけないかしら?」

 母親の口調はいくらか丁寧になったが、そのぶん嫌味が増した。

「しつこくしたところで、友情は繋ぎ止められないのよ」


「で、でも……」

 何か言わなければと口を開いたが、それ以上言葉が続かない。圭太はきょときょとと、母親の顔と地面とを交互に見やった。


「隆平本人が会いたくないと言っているのよ。いい加減わかりなさい」

 母親は大げさにため息をついた。

「あのねえ、普通の家はこれから夕食の支度にお風呂の準備に、色々と忙しくなる時間帯なのよ。そんなときに訪ねて来て、いつまでも玄関先で駄々こねて、今あなたたちがやっていること、一般的になんといわれるものかわかる? 非常識っていうのよ。今まであなたたちは、ご家庭でそうしたことを一切教えられてこなかったのかしら?」

 そうして、吐き捨てるように言った。

「まったく、これだからがさつな田舎の教育は信用できないのよ」


「わかりました。ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした」

 祥吾が深く頭を下げる。それからちらちらと目で合図を送ってきた。いいからお前も謝れと言われている気がして、圭太もぺこりと首を動かした。

「すいませんした……」


 ふん、と鼻息をもらした後で母親は引っこみ、玄関の扉が閉められた。

 圭太と祥吾は路上に突っ立ったまま、しばらく遠野家を見上げた。二階の窓の一部に、明かりがともっていた。


「隆平の新しい母ちゃん、すげえ怖い人だったな」

 圭太は身震いをした。あんなピリピリした人と同じ屋根の下にいたのでは、隆平は気が休まらないのではないか。


 祥吾は無言で、遠野家の二階を見続けている。


「……祥吾?」

 圭太の問いかけに答えず、祥吾が突然走り出した。

「おい、どうしたんだよ」

 慌てて追いかける。


 角を曲がり、遠野家の裏手に回った。そしてまた、祥吾は二階の明かりがついた窓を見上げる。圭太もつられて目をやった。

 ふいにカーテンが揺らぎ、窓の隙間から薄く白い物が落ちてきた。


「何だ、今の……」

 首をかしげる圭太をよそに、祥吾は遠野家を囲むコンクリート塀に両腕をかけた。勢いをつけ、よじ登る。

「あ、おい祥吾、何してんだよ」


 祥吾は塀の向こう側に下り立つと、すぐさま身を屈めた。今さっき窓から落ちてきたものを拾い上げ、圭太の元へ戻って来る。


「ここじゃまずい。まだあの母親が警戒しているかもしれない。場所を変えよう」

 質問する隙も与えず、祥吾は速足で移動をはじめた。さっぱり状況がつかめないまま、圭太は後を追う。

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