外部調査

「犬崎さん、知ってますか? ミヒロさん、メジャーデビューが決定されたらしいですよ」


 カップ麺をすする犬崎に向かい、未夜は尋ねた。


「メジャーデビュー?」


「ええ。更に来月にはアルバムも発売されるとか」


(……どういう事だ? 退院から一ヶ月も経過していないのに)


 嫌な予感がした犬崎は、食べるのを止めて誠へ電話をかけてみる。


 呼び出し音が続いた後で、電話に出られないアナウンスを聞かされる。だったらと誠が勤める会社に電話するが……。


「大橋誠は、会社を辞めた……?」


 横で話を聞いていた未夜にも動揺が走る。


「犬崎さん、どういう事ですか……⁉」


「分からん。とにかく彼女のアパートに向かうぞ」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ミヒロのアパートに到着し呼び鈴を鳴らすが反応はない。扉に手を掛けるが、当然施錠されていた。


「だが問題ねぇよ――っと」


 犬崎はキーピックを使い、数秒で鍵を開けてしまう。更に革手袋を装着する辺り、もはや素人の動きではない。


「入るぞ」


 ゆっくり扉を開けると、前回とは異なる種類の臭いが二人を襲う。


「何というか、まるで香水の瓶を軒並み撒き散らしたような……」


「行くぞ」


 まっすぐミヒロの部屋に向かい進む。廊下と部屋を隔てる一枚の扉を開けると、そこには――。


「――――大橋、さん……⁉」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――数日前に遡る。


 ミヒロは気絶した誠の体を椅子に座らせ、縛りつけた。本当なら浴室に連れていきたかったが、想像以上に重かったので断念する。


「――……?……ッ⁉ ンンーッ! ンーーッ‼」


 意識を取り戻した誠が暴れ始めた。ガムテープで口を塞がれている為、言葉になっていない。


「誠がいけないの。頼みを聞いてくれないから」


「んんッ! んんんッ⁉」


「でも大丈夫、曲が出来るまでだから。私だって、こんな事したくないんだよ。だって私は誠を愛してるから。必要としてるから」


「んんんッ‼ んん‼」


「でも仕方ないじゃない、誠が協力してくれないと私の夢は絶たれてしまうんだから」


 ミヒロは誠の太腿にナイフを突き刺す。


「――――ッッ‼‼⁉」


 激しく体を揺する誠。床に鮮血が飛び散る。


「あぁ……誠ッ! 私は……なんて事を……!」


 ナイフをペンに持ち替え、床に散らばった紙へ文字を書きなぐっていく。


「降り注ぐッ! 曲が! 最高傑作の予感がする! ひひ……ひひひひひッ‼」


 そんなやり取りが数日続き、五曲目の新譜に取り掛かろうとした時である。


「……誠? 誠?」


 誠の動きが突然止まった。いくら声をかけても反応がなく、嫌な予感がして彼の心臓に耳を押し当てるが……動きが、ない。


「……誠……? 誠⁉ 嘘ッ! そんなワケない‼ ちゃんと止血はした! 水だって与えた! 誠が、誠が死ぬわけ……ッ! う、うあぁあああッ‼」


 ひとしきり泣いた後、ミヒロは覚束ない足取りで外に出ていた。


「……誠……どこにいるの……? 貴方がいないと私は……私の曲は……」


 街を彷徨っていると、ショーウインドウに飾られたマネキン人形が目に留まる。


「……飾られているマネキンが欲しいんですけど」


 声をかけ、振り返った店員を見てミヒロは驚く。


「……優? なんで、ここに」


 優は無表情で「……バイト中」と答える。


「丁度よかった……あれが欲しいんだけど、値段が書いてなくて」


「……あれは売り物じゃない」


「どうしても欲しいの。上に掛け合ってもらえないかしら……お願いよ、優」


 優は店長に事情を話す。ミヒロの本気が伝わり、何とか購入する事が出来た。


「重たくない……? 大丈夫……?」


「平気……それより、ありがとう。最高の曲を完成させるから楽しみにしててね」


 自分よりも大きいマネキンを背負い、ミヒロは去って行く。その後ろ姿を、優は神妙な面持ちで見つめるのだった。


 ――マネキンを持って帰ったミヒロは、すぐに次の行動へ移る。土気色になった誠の顔を掴み、刃物を突き刺す。


 ミチッ……ミチミチミチミチミチ……!


 魚をおろすように、刃を滑らせていく。


 ベリベリ……ベリベリベリベリベリ!


 誠の顔面を剥ぎ終えると、ミヒロは嬉しそうに『それ』を掲げた。


「誠……ずっと一緒よ。だって私達は、結婚するんだから……仕事なんかしなくて大丈夫……私が歌で養ってあげる……何も心配する事なんてない」


 ミヒロは誠の勤め先に電話を繋ぐ。一身上の都合とだけ告げて、一方的に退社を告げる。


「愛してる……愛してるわ、誠……」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 現在に戻り、犬崎は誠に声をかける。


 ――否、正確には


 これが優の言っていたマネキン人形なのだろう。キチンとした背広を着せられ、異臭を放っている。


 何よりも、顔。本人の顔面皮膚をホッチキスで縫いつけていた。恨めしげな誠の表情が、禍々しさを強調していた。


「――うぶッ……! おえぇええええッッッ‼」


 耐えきれなくなった未夜が、部屋の中で吐いてしまう。悪い予感はしていたが、こんな事なら未夜を連れてくるべきではなかったと犬崎は後悔する。


「大丈夫か、未夜」


「……だい、じょうぶ、です……すみません……」


 口元を拭い未夜は立ち上がる。誠に見立てたマネキンを視界へ入れないように。


(安倍ミヒロの仕業か……? 常軌を逸している)


 近くの机には誠の携帯電話が置かれていたが、ロックがかかり開く事は出来ない。


(すぐの解析は無理そうだな)


 誠の携帯を持ち帰ろうとした時、突然扉の開く音が聞こえた。


「――け、犬崎……さん……ッ!」


 犬崎達に緊張が走る。一人なら脱出も可能だが、未夜の状態を考えると動く事もままならない。覚悟を決めて待ち受けていると、

部屋の主が姿を現す。


「安倍……ミヒロ!」


 戦闘態勢をとる犬崎に対し、ミヒロは落ち着いた様子で話しかける。


「誠の友達? はじめまして。どうぞ、ゆっくりして行ってください。今、お茶の用意をしますね」


 ミヒロは微笑み、台所へ向かう。


「ミルクと砂糖は、ここに置いておきますね」


 紅茶を出されたが、口にはつけない。中に何を入れられているか、分かったものではないからだ。


「……え? やだ。そんな昔の話……ふふっ」


 ミヒロはマネキンに向かって話しかけている。もはや凶器の沙汰だ。


「安倍さん、貴女は誰と話をされているんです?」


犬崎の言葉に、ミヒロは不思議そうな表情をする。


「何を言ってるんですか? 誠ですよ」


「違う。それは大橋誠じゃなく、ただの人形だ」


「……失礼な事を言わないでください」


「大橋誠は殺されたんだ。恐らく、貴女に」


「……誠は、ここにいるじゃない……怒りますよ? 私、怒ったら自分でも何をするか……」


「遺体をどこに隠した? 今からでも警察に――」


「黙れッッ‼‼」


 突如、ミヒロはカバンから刃物を取り出し犬崎へ向けた。


「誠は死なない! どこにも行かない! いつも私を見守ってくれる! 協力してくれる! 誠がいないとダメなんだッ! 誠がいなければ……曲は生まれてこないんだ! だから……だからッ!!」


「だから殺したのか? そんな自分勝手な理由で」


「メジャーデビューが決まったんだ……! 幼い頃からの夢だった……! 新曲を生みださなければいけないんだ……! そうしろと言われたんだ……! なのに……なのに誠は、私の頼みを断った!」


「自分を傷つけるだけで飽き足らず、恋人を傷つけ殺害し……そこから生まれた曲を、どのツラ下げて唄うつもりだ」


「うる……さいッ!」


「アンタが今やらなければならない事は、デビューする事でも唄う事でもない。謝罪し、償う事だ」


「……ぐ……う……うぅっ……う……!」


 ミヒロは突然、涙を流し始める。


「……もう無理……私には何も残っていない……」


「……ミヒロさん……」


「彼の遺体は……もう、どこにもないわ……」


 自らの腹をさすりながらミヒロは答える。既に食された後、という事か。


「警察に自首するんだ。一生をかけて罪を償え」


 犬崎の言葉に、ミヒロは頷く。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 パトカーで連行されるミヒロの姿を遠くから眺めつつ、犬崎は持参したガムを口に放り込む。


「なんだか、悲しい事件でしたね……」


 落ち込む未夜に、犬崎は「……いや」と告げる。


「安倍ミヒロの精神異常は先天的なモノじゃねぇ。彼女を追いこみ、恋人殺害まで追い込んだ人物が、別にいる」


「え……ええッ⁉ い、一体、誰なんですかッ⁉」


 犬崎は忌々しそうに、決まり文句を言い放つ。


「……犬歯が疼きやがる……!」

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