依頼
「どうか彼女を救い出して欲してください」
依頼者は神妙な顔で、そう告げた。探偵業を営む
(大橋誠。大手会社に勤めるエリートで、一週間前から行方をくらました彼女を見つけてほしい、か)
よくある捜索願いだが、どうも引っ掛かる。
「どうぞ」
彼らの前に、すっかり助手気取りの
「ありがとうございます」
爽やかな顔で礼を言う依頼者に、未夜は微笑む。
「警察には頼んだのですか?」
至極当然の問いをする未夜に、依頼者は頭を横に振った。
「事を公にしたくないんです。それに警察に頼んだ所で、本腰を入れてくれるとも思えませんし」
「……いいぜ、この依頼引き受けよう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「とりあえず、彼女の部屋を調べさせて頂きたい。恋人なら、合い鍵くらい持っているでしょう?」
「はい、これです」
鍵を受け取り、彼女の住所を紙に書いてもらう。
「私は仕事に戻らないといけないので同行は出来ませんが、何かあれば携帯に連絡を下さい」
「了解。それで、依頼料と成功報酬についてだが」
「あぁ、そうですね。今お支払いします。百万程で足りますか?」
七桁の数字が並ぶ小切手を満面の笑顔で受け取り、犬崎は「必ず捜し出します」と胸を叩いた。
「期待しています。それでは」
頭を下げ、依頼者は去っていく。
「すすす、すごいですね、百万円なんてっ! 私、小切手を見るの初めてです!」
テンションの高い未夜に、犬崎は鼻を鳴らす。
「貧乏人はコレだから困るぜ。俺クラスになると、見慣れちまって大変だっつの」
「その貧乏人にお金を借りてるのは、どこの誰だと思っているんですか……それはそうと、どんな人を探せばいいんですか?」
「安部ミヒロ。二十三歳のフリーターで音楽活動をしているようだ」
「安部ミヒロ……? えっ、もしかして『箱庭』のMIHIROですか⁉」
「箱庭? そんな名じゃねーよ。確かリトルなんとかっつー……」
「やっぱり! うわ、すごい! 私ライブも行った事あります!」
未夜はスマホを操作し、ミヒロの曲を流す。
「最近は活動してないと思ってたんですが、まさか失踪していたなんて……」
「とりあえず、ミヒロの家に行ってみるぞ。失踪に関する情報を掴むぞ」
「了解、すぐ支度しますね」
再びガムを噛みしめながら犬崎は考える。
(仕事内容は有り触れているが、何か引っかかる。これは引き締めていかねぇとな……)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
安部ミヒロの住むアパートに到着した犬崎達。
「105号室、ここか」
呼び鈴を押してみるが、当然応答はない。
「今回は合鍵があるので忍び込む必要はねぇぞ」
「毎回そうあってほしいです……」
扉を開けた瞬間、思わず未夜は口元を覆う。
「なんですか、この臭い……!」
一方の犬崎は特に動じる事なく、玄関傍の浴室へ向かう。
「……僅かだが血の臭いも混ざってるな」
「えっ⁉ そ、それって……!」
クンクンと犬のように鼻を動かしながら、今度はリビングへ向かう。
一見すれば綺麗に片付けられている室内。だが激臭と共に不気味な雰囲気も増す。
犬崎は迷うこと無く台所へ向かう。冷蔵庫や食器棚が並ぶ中、床の一角が四角に区切られ引き出すタイプの取っ手が付けられている。
「これは……貯蔵庫か」
躊躇なく貯蔵庫の扉を開けた、そこには――。
「キャアアアアアアアッッ‼⁉」
二畳ほどの明かりもない空間に、女性が膝を抱え横たわっていた。
どれだけ閉じ込められていたのだろうか。糞尿と血の臭いが一気に外へ開放される。
「未夜、急いで救急を呼べ」
「は、はいッ!」
随分と様変わりしているが、安倍ミヒロに間違いなさそうだ。彼女を引っ張りあげ、脈拍を確認した後で犬崎は声を掛ける。
「おい、しっかりしろ」
ゆっくりと、ミヒロの目が開く。
「意識はあるな。何があった? 話せるか?」
「――た、み……っ……ぼ……ぉ」
片言だが、犬崎にはミヒロの言葉が『痛み絶望』と聞こえた。その証拠ではないが、彼女の腕に無数の傷跡が見つかる。
「……さて、依頼人に何と報告すべきか……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「犬崎さん、本当にありがとうございます……!」
病院の待合室で待っていると、依頼者が開口一番に礼を述べてきた。
「医師の話では、しばらく安静にしておけば大丈夫との事です」
「……そうか。それは何よりだが……」
「どうかされましたか?」
「彼女をすぐに精神科へまわしたほうがいい」
「……どういう意味ですか?」
「結論から言うぞ。彼女は自分から、あの貯蔵庫に入ったのさ」
「……馬鹿な……何の為に、そんな事を……」
「理由は、それとなく気付いているはずだ。彼女の手首の傷、知らないわけではないだろう』
「そ……それ、は」
「このまま放っていれば、彼女はまた同じ事を繰り返す。然るべき場所で治療を受けさせるんだ」
「……ありがとうございます、しかし大丈夫です。これからは私が傍についていますから。私達、結婚するんです」
「忠告は無視、という事か」
「また時期を見て、直接お礼に伺わせて頂きます。では、失礼します」
まくしたてるように、電話は切られた。
「……馬鹿野郎が……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「仕事の電話?」
ミヒロに訊ねられ、誠は「あ、あぁ」と生返事を行う。
「ミヒロは気にせず、自分の事だけ考えればいい。動けるようになったら、二人で旅行に行こうか」
「……うん……そう、だね」
結婚をして自分が傍にさえいれば無茶はしない、家庭に収まり子供が出来れば万事うまくいく、誠は本気でそう思っている。
そんな彼をミヒロも強引とは思いつつ、自分を必要とされるのは嬉しかったし、何より愛していた。
(そう、彼に何かあれば……私は)
「……ミヒロ?」
「誠、お願いがあるの……一生に一度のお願い。もし言う事を聞いてくれるなら、私は死ぬまで貴方に尽くすわ」
「死ぬまで、尽くす……? そ、それは本当か? あぁ、何でもしてあげるさ。言ってごらん!」
「私の作詞作曲の為に、誠……貴方の身体を……傷つけさせて欲しいの……!」
ミヒロの瞳に、黒い炎が宿る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数日後、ライブハウスは沸いていた。
『MI・HI・RO! MI・HI・RO!』
待ちに待った活動再開、今日の為に作った新曲も会心の出来。しかしミヒロの心は浮かない。
何故なら、これが最後だから。
もう自身を傷つけても曲は降りて来ない。
もう恋人を傷つける事は出来ない。
だから、これを最後に……音楽活動を引退する。そう思えば思うほど、素直に喜べない自分がいた。
「Thank! 皆、愛してるよ!」
完全燃焼でライブを終え、控室に戻ったメンバーを待ち受けていたのはスーツ姿の女性。
「失礼します、LITTLE GARDENの皆さん。魂のこもったライブ、感動致しました」
女性は懐から名刺を取り出し、全員に手渡す。
「林と言います。本日は皆さんに、我が社と契約をして頂きたく窺いました」
「芸能プロダクション……?それは、いわゆる……プロ契約というわけですか?」
「その通りです」
「――う……うおっしゃぁああ‼」
涼がガッツポーズを作り雄たけびをあげる。
「夢にまでみたメジャーデビューだぜ! 断る理由なんかねぇ! そうだろ⁉」
「ですが、一つだけお願いしたい事があります」
「お、お願い?」
「三ヶ月後にデビューアルバム発売を考えております。全十二曲、未発表も三曲は入れて頂きます」
それが準備出来ないとなれば、契約は無かった事になるだろう。
「……やります。やらせてください」
ミヒロは告げた。そしてメンバー全員の顔を見つめながら、力強く頷いてみせる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の深夜。自宅に誠を呼び、ミヒロは懇願した。もう一度だけ、新曲の為に貴方の身体を傷つけさせてくれと。
「断る」
「ど、どうして……⁉」
「ミヒロはあの時、一生に一度のお願いと言った。
プロになる必要もない。君は僕と結婚して、家庭におさまるのだから」
「……なんで分かってくれないの……⁉」
「君も本気で結婚の準備を――」
ミヒロはテーブルの上に置かれた花瓶を掴み、誠の後頭部に振り下ろす。
「……なんで……なんでなんでなんでなんでッ! こんなに……こんなに頼ンデイルノニィイイ‼‼」
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