『錯詞殺曲』編

『散り逝く花弁 風に流され 悠久の空へ遠く

その儚き御霊を己に遷しながら


いずれ果てる この身体 貴方に抱かれながら

朽ちて逝けたら


ウツツ言葉に出来ぬなら せめて夢の中で

突き刺さる刃 解き放てぬなら いっそ奥まで


悠然たる私の心 掻き乱すのは いつも貴方

この手を引いて腕絡ませて 決して楔を離さないで


漆の黒 心を知る度新しい 痛みを刻まれ

傷の数だけ 貴方に近づける事を知った


動かぬ四肢 されど怯えないで

動かぬ瞳 されど閉ざさないで


やがて果てるこの身体 貴方に包まれながら

朽ちて逝ければ』



 ライブハウスはオーディエンス達の熱気によって湧いていた。


「MI・HI・RO! MI・HI・RO!」


 舞台中央に立つ女性の名を叫ぶ。声を涸らしながら、拳を振り上げながら。


「thank! 皆、愛してるよ!」


 飛び散る汗を輝かせ、聴きに来た全員へ向けて手を振った。ライダースの皮ジャンを着込み、クモの巣をあしらったようなレースのミニスカート、スタッドの付いた厚底ブーツを履いた彼女の名は――安倍 ミヒロ。人気バンド『LITTLE GARDEN』のボーカルである。


 舞台袖へと引っ込んだミヒロを、一人の男が拍手で迎えた。


「お疲れ。今日も最高だったよ」


「ありがとう、西村さん」


 ライブハウス『バンキッシュ』のオーナー、西村である。


「もはや名実共に、ウチの稼ぎ頭になったな」


「若手バンドの追撃が激しいからね。うかうかしてられないよ」


 ミネラルウォーターを手渡され、一気に飲み干すミヒロ。


「メジャーデビューも時間の問題かな。音楽会社から声かけられてないのか?」


「全然。ウチは問題児を飼ってるし、なかなか厳しいよ。じゃ、お疲れ」


 控え室の扉を開けた瞬間、パイプ椅子が壁に投げ付けられた。


「もういっぺん言ってみろ! アァ⁉」


 言ってる先から……と、ミヒロは頭を抱える。メンバー内のいざこざは日常茶飯事。特にライブ終わりとなれば、必ず。


「いつまでもミヒロに頼りきったままじゃダメだと言ってるだけだ!」


 いがみ合っているのは、ドラムの森本もりもと大輔だいすけ


そしてギターの臼井うすいりょう


 我関せずで帰り支度をしているベースの松本まつもとゆう


 ミヒロを含め、この四人がLITTLE GARDENの全メンバーである。


「毎度同じ事言いたくないけどさ……喧嘩するなら外でしてよ」


 ミヒロは男性だらけの控え室だというのに、服を脱いで上半身を露わにする。しかし、それを咎める者も動揺する者もいない。これも日常茶飯事だ。


「あぁ、ミヒロ……お疲れ。この後、打ち上げをするつもりなんだが」


「疲れたし、遠慮しとく」


「そうか……」


 大輔とミヒロが話をしている最中、涼は「ケッ」と悪態をつきギターを背負って部屋から出ていこうとする。


「涼、お前も参加しないつもりか」


「オマエがいないのなら出てやらぁ」


 乱暴に扉を閉めて、涼は姿を消す。そんな姿を見ながら大輔は「困ったヤツだ」と呟く。


「優も参加しないのか?」


「……今からバイトだから」


 そう呟き、去っていく。


「結局、俺だけか。まぁいい、西村さん達に声かけて、次のライブ日程を決めるとするか……」


「ごめんね、しんどい事をいつも任せきりにして」


「薦んでやっている事だから、気にするな」


「うん、ありがと。んじゃお先に。お疲れ様」


「気をつけてな!」


 ミヒロはリストバンドを付けた手を上げて挨拶、そのまま部屋から出ていった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「――ただいま」


 誰もいない自分の部屋に戻ってきたミヒロは、明かりもつけず机へ向かう。


 ライブが終わったからと休んでいる暇などない。西村には冗談めいて言ったが、若手バンドの追撃をミヒロは本当に脅威と思っている。


「新しい楽曲を生み出して、常に観客へ刺激を与え続けないと……」


 今やインディーズ界でLITTLE GARDENを知らない者はいない程、その知名度は上がっていた。当然、ミヒロのこうした努力があったからこそ。


「立ち止まれない……こんな所で……!」


 床に散乱した作曲の成れ果てを踏み付けながら、ミヒロは譜面紙とペンを握り締め浴室へ向かった。 電気はつけず、代わりに蝋燭へ火を点す。


 狭い範囲ながら周りを確認出来るようになり、ミヒロは服を着たままシャワーの水を頭から被る。


 ペンと紙を置き、リストバンドを放り投げた。その下から現れたのは……無数の自傷跡。まだ癒えていない傷は、軽く押さえただけで血を滲ませた。


 ミヒロは傍に置かれていた剃刀を手に取り、刃を柔肌に押し当てる。新しい傷が生み出され、そこから溢れる赤の滴はタイル床を染め上げていく。


「ハァッ! ハァッ! ハァッ……!」


 頬を朱くさせ、呼吸を荒げるミヒロ。その瞳は、恍惚といった様子。


「降りてくる! 降りてくるッ!」


 興奮したミヒロはペンを手にし、一気に何かを書き留めていく。


 以前、作詞作曲に思い悩んだミヒロは友人から聞いたのである。


『そういえば友達が受験勉強してた時、自傷行為をしてみたら頭がスッキリしたんだって』


 そんな馬鹿なと最初は思ったが、藁にも縋る気持ちで試すと本当にインスピレーションが増した。死中に活の方法がミヒロには合っていた様子。


 ひとしきり作曲を終えてミヒロは浴室から出る。濡れた衣服を洗濯機に入れ、脱衣所に用意していた止血剤を塗った後、乱暴に包帯を巻いていく。


「……フー……」


 身体を拭いて部屋着に。フラフラとした足取りでベッドに滑り込むと、一気に脱力感が襲ってくる。


 朝起きてバイトに出掛け、バンド活動を行って夜に自分を傷付けて眠る。これが、ミヒロの日常。


 ――ブルルル……。


 ベッド上に転がした携帯が震え始める。だがミヒロは手を延ばさない。彼氏からの定期連絡だと分かっていたから。


「……明日の朝にでもメールを入れよう……」


 痛みと痺れを起こす手首が、むしろ心地よさを感じさせてくれた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――早朝。玄関呼び鈴の音が何度か聞こえ、ゆっくりと瞼を開ける。


 時刻は七時。起床時間より三十分早い。


 立ち上がり覗き穴から来訪者の様子を窺うと、スーツ姿の男性が立っていた。


「……参ったな……」


 渋面後、雑に身支度をして玄関を開ける。


「おはよう。どうしたの? こんなに朝早く」


 男性の名は大橋おおはしまこと、ミヒロの彼氏である。付き合い始めて三年。某有名企業に勤めており、先日プロポーズをされたばかり。だが返事は出していない。


「昨夜メールが返ってこなかったから、様子を見に来たのが理由の半分と……朝食を誘いに来たのが、もう半分かな」


 爽やかな笑顔を見せる彼に、ミヒロは作り笑いをしてみせた。


 誠はミヒロに音楽活動をやめろと言ってくる。いつまでも、そんな事をしていないで家庭に収まって欲しいと。


 至極もっともな話だった。今でこそブレイクしているが、収入は全くと言っていいほど見込めない。趣味で行うには過ぎた事であるし、先を見据えれば早めに音楽活動を切り上げ、結婚して子供を産み育てるべきだろう。当然、ミヒロも理解していた。


 だけどミヒロにとっては歌が全てである。それを簡単に切り離す事など出来ない。


(私は彼の事が好きだ。愛している。でも……音楽と比較されたら……)


 手首の事も相手は知っている。それでもいい、自分が支えになると言ってくれている。


(ズルい人間だ、私は)




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ある日の夜。ライブを終え戻ってきたミヒロは、いつものように作曲すべく浴室へ向かう。


 新曲の反応も上々だった。この調子なら、勢いをつけて全国ツアーに旅立てる。


(今が踏ん張り時、もっと曲を生み出さないと)


 シャワーを浴びながら剃刀を手首に当てる。それを一気に横へ動かすと、赤い線が生まれた。


(さぁ降りて……! 私に新しい曲を授けて!)


 ここで予想外の出来事が起こる。


「………………?」


 何も閃かないのだ。それどころか、たった今自分を傷付けたというのに痛みがない。


「……なんで? どうして?」


 再び手首を切りつける。血が溢れ排水溝へ流れていく。だが何も感じない。何も降りてこない。


「……嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ッ!」


 痛みを感じなければ……そうでなければ――。


「……曲が……作れないッ‼」


絶望に伏していた。どうすればいいのか、髪を掻き乱しながら考える。


「痛みが足りない⁉ でも度を越せば命に関わってしまう……」


 いや、そんな事を言っている余裕はない。これは覚悟の問題。新曲を待ちわびている人達の期待を、裏切るわけにはいかない。


「私の生き甲斐を失ってたまるか……!」


 作曲の為ならば何を犠牲にしようとも、両腕両脚が無くなっても、どんな悲惨な結果になろうとも、歌う事さえ出来れば――。


 ミヒロは剃刀を放り投げ、台所へと向かう。

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