結末

 目を開けると、そこは空ではなく天井だった。


「目が覚めたか」


 聞き慣れた声がした方向へ目線を向けると、犬崎さんの姿が見えた。


「……ここは? 私は……」


「事務所だ。運が良かったな、身体にも異常は見受けられないそうだ」


 自分の足元をみると、靴が履かれていなかった。裸足という事は……私は解放されたんだ。


「ありがとうございます、犬崎さん……」


「俺が助けたワケじゃない。それより、コイツはどうすんだ?」


 犬崎さんが手にぶら下げて見せたのは、羽付きのシューズ……猫妖精ケット・シー。


「いっそ燃やしてしまうか。こんな面倒な代物」


「燃やすなんて……ダメです、やめてください」


「何故だ? あと一歩遅かったら、オマエ……」


「分かってます。分かっては、いるんですけど」


 身を起こして、私は犬崎さんからケット・シーを受け取る。


「気を失う瞬間……もしかしたら、ずっと感じていたのかもしれないんですけど……『この子』の気持ちが私の中に流れこんできたんです。走って跳んで動き回るのが楽しいって気持ち。きっと、私を困らせる気なんてなかったんです」


「じゃあ、どうするっていうんだ?」


「キチンと履いてあげたいと思います。この子も、それを望んでいるだろうし……大事にしてあげたいんです」


ぎゅっと、懐に靴を抱き抱える。犬崎さんは、「やれやれ」と言って少し呆れ顔をしていたけど、ついには「好きにすればいい」と言ってくれた。


「ありがとうございます。それに何かあれば、また犬崎さんが助けてくれるし」


「ケッ。何度もいいように使わされてたまるかっつの。次回からは有料にしてやるから覚悟しやがれ」


「ふふふ……あ、そういえば。赤い靴の件はどうなったんですか?」


「あれはもう解決だ。明日、依頼者に報告する」


「靴、見つかったんですか?」


「見つからねぇが、事件現場に血の臭いとは別に野犬の臭いが残ってやがった」


「それって、つまり」


「おそらく、すでに残っていないだろうな。犬やカラスに食われた後だろう」


「呪いの原因は分からず終いって事ですか」


「いや、それも解明している」


「えっ?」


「パーキンソン病を聞いた事はあるか?」


「聞いた事だけ……詳しくは知りませんけど」


「1918年、ジェームズ・パーキンソンによって付けられた病名だが、脳が出す運動の指令がうまく伝わらなくなる病気だ。病状の一つに突進現象……歩きだしたら止まらなくなるというものがある」


「依頼者の女性は、病気だったという事ですか?」


「彼女は大きな発表会を控えていたと聞く。母親からの期待も大きく、そのプレッシャーたるや余程のものだっただろう。発症原因として取り上げられるものに、極度の不安や悩みというものがある。それに最近、体調が悪かったという情報も入っている。パーキンソン病についで、パーキンソン症候群というものもあるが……これはインフルエンザ等の感染後に起こるウイルス脳炎の合併症で起こる場合もある。変性疾患や薬、または神経伝達物質の作用を阻害したり遮断する毒物によっても起こったりな」


「えっと、すいません。よく分からないんですが」


「つまり今回の原因は、依頼者の親にあるって事だ。自分の娘に期待する余り、大きなプレッシャーを与え続けた。更には娘の体調を気遣う事なく無理をさせて、こうした症候群を生んだ恐れがある」


「……そんな……」


「どこかで、何かが狂い始めたのかもしれねぇな。これを機に少しは子供を労わる事を覚えれば幸いなんだが、こればっかりは、どうだかな」


「皮肉な話ですね……」


「そろそろ夜明けか。とんだタダ働きだったぜ」


 大きな欠伸あくびをしながら、そんな事を言う犬崎さん。でも、私は知っている。自分が眠っている間、ずっと心配して目覚めるのを待ってくれていた事に。


「素直じゃないなぁ」


「何か言ったか?」


「なんでもありませんよーだ」


私は少し幸せな気持ちになりながら、白け始めた窓の外を眺める。今日も一日が始まる――って、何か私……忘れてる気が。


「――あぁああぁあああぁああああッッッッッ‼‼」


「な、なんだ⁉ いきなり大声出しやがって!」


「きょ、今日! 期末試験なんですよッ! べ、勉強してない!」


「おぉ、そりゃぁご愁傷さん」


「なぁにを気楽に言っちゃってるんですかぁあ‼ 成績が悪かったら、仕送りが減るんです!」


「クックッ、ざまぁないな」


「そうなったら、ここにも来れなくなりますよ⁉ どうするんですかッ⁉」


「そりゃいい。せいせいするぜ」


「ムッキーー‼」


――ハッ! こんな所で油を売ってるワケにはいかない! 家に帰って、登校時間までに少しでも勉強しなくちゃ!


「でも、こんな時間だと寮の門が閉まって――」


 私は抱きかかえたままのケット・シーに目線を落とす。そうか、これさえあれば……!


「こうしちゃいられない!」


 私は羽付き靴を装着し、一言添える。


「お願いね、ケット・シー」


 おもむろに事務所の窓を開けて犬崎さんに「お邪魔しました!」と挨拶をする。そして窓の縁を蹴飛ばし、跳躍! まるでスーパーヒロインになったかのように、一瞬でその場を後にする。


「……アイツ、いい根性してんな……」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




――後日談。


 勉強は深夜までやるよりも早朝からした方がいいという話もありますが……危機感極限状態の私は恐ろしい程の集中力を発揮しつつ試験勉強を行い、なんとか親が納得する点数を取る事に成功! その結果、仕送りを減らされる事もなかったのです。めでたしめでたし……で、終わるハズ……でした。


 試験終了後。寮長さんに粉砕された私の部屋の窓を発見され、こっぴどく怒られた上に反省文を書かされ、更には一週間トイレ清掃という過酷なペナリティーを課せられる事に。


 靴が勝手にやった事ですとは言えるハズもなく、

私は本日もトイレ掃除に励むのでした……。


……しくしくしくしく……。

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