事件勃発
寮に帰ってきた私は、夕飯を終えてお風呂に入り、自室でひと心地ついていた。
「よし、そろそろ試験勉強開始しようかな」
気合いを入れて机に向かおうとした時、テーブルの上に置いた靴の箱が目に入る。
「……ちょっとだけ、履いてみようかな……」
気になったままだと、勉強に集中出来ないし……よし! 履こう! 履いてみよう!
そう決めて、私は箱から靴を取り出し、ゆっくり足を入れてみる。
「――うわっ! 何コレ⁉」
履いている実感がない程の軽さ。紐を通し終えても、まるで窮屈さがない。通気性もよく、羽毛を踏みしめているかのような優しい感触。全てが新感覚で感動してしまう。
「明日、お店へお礼を言いに行かなきゃ」
何か手土産を用意したほうが良さそう。何なら喜んで貰えるかな?
「――って、いけない! 試験勉強しなきゃ!」
ここは我慢して勉強に集中しよう。私は紐を緩め靴を脱ごうと試みる。
「……あれっ……?」
紐が、まるで接着しているように固まって解けない。仕方がないので強引に靴から足を引き抜こうと頑張る、けれど――。
「……あれっ⁉ ど、どうして……⁉」
小さな子でも一人で出来る、靴を脱ぐという行動が……何故かは分からないけど、出来ない!
「嘘! 嘘嘘嘘嘘嘘ッ⁉」
足首を掴み乱暴に引っ張る……けれど脱げない!
まるで靴が身体の一部になってしまったよう。
「やだ……! やだやだやだっ!」
涙ぐみながら犬崎さんの言葉を思い出す。
呪われた靴――失われた両足。
血の気が引いた次の瞬間、私の意志とは関係なく靴が暴れ始める。
「ど、どどどどどどどうなってるのっ⁉」
靴に振り回される私の脚。そして、ついに――。
「ととととと、止まって止まって! 止まって‼」
反動をつけた脚は私の身体を強制的に起こし、正面にあった部屋の窓を粉砕! 猛ダッシュで窓の外へ出ると、一気に三階から天に向かって――跳躍!
「いッ、いやあぁぁああッッ⁉⁉」
地面に落下された自分の姿を想像するが、その通りにはならなかった。私の身体は空を駆け、先に見えるビルの屋上へと着地する。すると靴は再び跳躍を行う。高さも距離も、数十メートルを越える程。これはもう『跳ぶ』というより『飛ぶ』だ。
「ななななになになにッ⁉ あはっ……あはははは! すごいすごい! 楽しい‼」
星空の海を泳ぐ。最初は怖かったけど、慣れてしまえばこっちのもの。無邪気にはしゃいでみるものの、私はすぐ致命的な事態に直面する。
「これ……どうやったら止まるのかな……?」
更に、さっきから足に鈍い痛みが走っていた。
「これって、もしかしてヤバイ……?」
再び怖くなってきた私は懐から携帯電話を取り出して犬崎さんに繋ぐ。携帯を入れておいて本当によかったと思う。
『なんだよ、うっせぇな』
電話が繫がると、犬崎さんの面倒臭そうな声が聞こえてきた。
「犬崎さん、大変なんです! 聞いてください!」
私は犬崎さんに事情を説明。
『箱の中に、そんな物が入っていたのかよ……』
「ど、どうしたらいいんですか⁉ どうしたら脱げるんですか⁉」
『今から向かう。どこにいるか教えろ』
――数分後、私の前に犬崎さんが現れた。
「未夜!」
ビルよりも高く跳んでいるのに、犬崎さんは並走してくる。既に銀髪灼眼の『
「犬崎さん……助けて……さっきから……苦しくて……足も、痛い……し……」
「その靴、ロザリィって女から譲ったと言ったな」
「そ、そう、です」
「あの女……とんだ厄介事を!」
犬崎さんは、お姫様だっこの形で私を支える。
「……え? ちょ、何を……!」
「動きを止める! 意識を繋ぎとめていろ!」
そのまま急落下し、ビル屋上に着地。床に大きなヒビが入り、ようやく私の動きが止まった。しかし、それを抗うかのように私の足は暴れ始める。
「このヤロ……! 動くなっつの――ぐはっ⁉」
私の右足がオーバーヘッドキックのような形で弧を描き、犬崎さんの頭へクリーンヒットさせる。
「チッ……!」
思わず手を離してしまう犬崎さん。私は空中を三回転させて地面に降り立つと、片足立ちのまま素早い蹴りを放つ。
両手で防御する犬崎さんだけど、信じられない事に私の蹴りは彼の身体を吹き飛ばしてしまう。
「け、犬崎さん……!」
「未夜、よく聞け。その靴は呪われているんじゃない。正確には『その靴そのものが怪異』なんだ」
「……この靴が、怪異……?」
「そいつは猫妖精『ケット・シー』……今のままだとケット・シーの力にオマエの足が耐えられねぇ。悪ぃが靴は諦めろ」
犬崎さんの両手の爪が伸び、黒く変色していく。私にはそれが凶器のように見えた。
犬崎さんの放つ殺気にあてられたのか、それとも猫というだけあって危険予知する能力に特化されているのか。靴は踵を返すと、再び床を蹴って跳躍。
「待ちやがれ!」
移動速度なら犬崎さんの方が優っているように感じるが、跳躍力に関してなら靴が優っていた。ヒラリヒラリと犬崎さんの攻撃を避けながら、それでも疾走をやめないケット・シー。
「も……もう……ダメ、かも……」
だんだん私の視界が白くボヤけてきた。
「未夜ッ!」
意識が失いかけた瞬間、靴の動きも止まる。羽を失った私の身体は、上空から落下していく。
「くっそッ! 間に――合えッ‼」
犬崎さんは落下する私を抑えようと駆ける。しかし障害物せいで、なかなか距離は縮まらない。
こちらへ向けて必死に手を伸ばす犬崎さんの姿が朧気に見えた。私も彼の手に触れようとするが、指一本動かす事が出来ない。
「と、ど、けぇえッ‼」
一瞬、犬崎さんの指先が私の身体に触れるが――
掴むまでに至らず、すり抜けてしまう。
「未夜アァアァアッッ‼」
万事休すと思われた、その時。一陣の風が吹く。
虹色の風は滑るように接近すると、私の身体を受け止める。
「あらあら、危ない所だったわねぇ」
虹色の風の正体、それはケット・シーを与えた雑貨屋女店主ロザリィさんだった。
「……ロザリィ……」
「久しぶりね、フェンリル。何年ぶりかしら?」
ロザリィさんは両手で優しく私を抱えると、犬崎さんに手渡す。
「……とりあえず、礼を言う」
「こちらこそ、ごめんなさい。まさか、こんな事態が起こるなんて」
「原因はなんだ?」
「解放された喜びで、つい暴走してしまったという所かしら」
「それで俺が納得するとでも?」
「そうね、余程の事だわ。この子の能力を、ここまで発揮させられるなんて」
犬崎さんの眼と髪が黒色へ戻っていく。
「もしかして、この子……」
「余計な詮索をするな」
犬崎は器用に片手で私を抱きかかえると、懐からガムを取り出して口に入れる。
「フフ……まだ『それ』に頼っているのね」
「関係ねぇだろ。それより、もう二度と未夜の前に現れんな」
「独占欲? それには従えないわ、だって約束したんだもの。今度会った時は、お話をして頂戴って」
「……………………」
「そう睨まないで。ゾクゾクするじゃない。それに、この子……ケット・シーも二度と今回のような暴走をする事はないでしょうから。人間の世界ではこう言うんでしょ? 備えあれば憂いなし」
「……チッ……」
「後の事はお任せするわ。久しぶりにお話が出来て嬉しかった。気が向いたら、お店にも顔を出して頂戴ね。歓迎するわ」
手をヒラヒラと動かし、その場を離れようとするロザリィさん。そんな彼女を犬崎さんは「おい」と言って呼び止める。
「赤い靴の件だが」
「貴方も気付いているんでしょ? 最近頻繁に起こっている事件と、その関連性」
「……………………」
「気を付けるに越した事はないわ。これは忠告ではなく、私からのお願い。それじゃね」
そう言ってロザリィさんは、景色に溶け込むように姿を消す。
「……まさか、な……」
呟く犬崎さんは、怒りとも悲しみとも言えない複雑な表情をしながら夜空を仰いだ。
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