依頼

 肉の焼けるイイ匂いが事務所に充満する。


 彼は床に転がった状態のまま、匂いの元である台所へ目を向けていた。腹は喧しく鳴り続け、ヨダレが口端から溢れ出ており正直汚い。


「もうちょっと我慢して下さいっ」


 ぴょこんと台所から顔を出したのは如月きさらぎ 未夜みや。明らかに場違いな女子高生は、エプロン姿を披露していた。


「未夜……俺が餓死したら小高い丘の上に立派な墓を建てて、丁重に弔ってくれ……」


「なんで私が犬崎さんのお墓を建てなきゃいけないんですか……はいっ、出来ましたよ~。未夜ちゃん特製の野菜炒めですっ」


 彼は待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、テーブルに置かれた野菜炒めにがっつく。


「がふがつもぐもぐッ‼」


「いただきますも無し⁉」


「――むがっ⁉ うぐぐ……み、水……!」


 喉に詰まらせ今にも窒息死してしまいそうな彼の名は、犬崎けんざき 快刀かいと


職業――探偵である。


 未夜から水を受け取り一命を取り留めた犬崎が再び野菜炒めを頬張っていると、事務所の扉を叩く音が聞こえてきた。


「犬崎さん、誰か来たみたいですよ?」


 声を掛けるが動こうともしない。未夜は「本当にもう、この人は!」と文句を言いながら玄関扉を開ける。


「はぁい、どちら様ですか?」


 そこには制服を着た一人の少女が立っていた。


「えっと、何か御用ですか?」


 未夜が優しい口調で尋ねる。少女は「えっと……あの」と戸惑いながら要件を告げる。


「ここで、探偵さんを雇えると聞いたんですけど」


「探偵さん? えっと、それって……後ろで必死に野菜炒めを頬張っている人の事ですか?」


「あ、あの……多分……おそらく……」


「犬崎さん、お客様みたいですけど」


「けぷっ……何? 客だぁ?」


「ちょ……! 私の分の野菜炒めは⁉ お皿が空になっているんですけど⁉」


「なんだ、このガキは。まさか、コイツが客なんて言うんじゃねぇだろうな」


「あ……あの……えっと」


「犬崎さん! 野菜炒めがありません! 全部!」


「やかましいぞ未夜! 野菜炒めが無くなるのは、自然の摂理だろうが!」


「そんな森羅万象、聞いた事ないッ!」


「す、すみません……お話を、聞いて……」


「まだいたのか、ガキ。とっとと帰れ!」


「何て事言うんですか! 話ぐらい聞いてあげればいいじゃないですか! 今お茶を出すから、入ってください」


「お、お邪魔します」


「おいっ、勝手に入れるんじゃねーよ!」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――十分後。机に足を投げる形で、ふんぞり返りながら爪楊枝をシーハーしている犬崎と緊張した面持ちでソファに座る女子中学生がいた。


「ごめんなさい、遅くなっちゃって。とりあえず色々買ってきたけど、どれがいい?」


 コンビニの袋を持って玄関扉から現れた未夜は、机の上に無数の飲み物を置く。


「あ……では、この……オレンジジュースで……」


「おい、なんだよ俺が選ぼうとしたのによぉ」


「犬崎さんにはレシート。立て替えておいたので、お金返してください」


「それで? 何の用でやってきたんだ、ガキ」


「お・か・ねッ!」


「あの、えっと……依頼をしようと、思って」


未夜は「ツケておきますからね!」と言って自分の手帳にペンを走らせた。


「申し遅れました、私……山城やましろ 理沙りさと言います。中学三年生です」


「えっと、この依頼はお母さんに頼まれたとか?」


「いえ、私が一人で」


「話になんねぇっ!」


犬崎はガムを口に放り込み、ハンッと鼻を鳴らす。


「おいガキ。大人の世界ってのは、何をするでも金がかかるんだよ。分かるか? タダじゃ何もしてくんねぇの!」


「いくら、かかるんですか……?」


「開始二十万、解決後に十万の計三十万って所か」


「……三十万……」


「分かったか身の程知らず。さっさと帰れ帰れ」


するとリサは、カバンから預金通帳を取り出した。


「ん? これ、見ていいの?」


 未夜の問いに、リサは頷く。


「ガキの小遣いで、どうにかなる金額じゃ――」


「け、犬崎さん!」


 未夜は通帳を犬崎に向けて開いてみせる。常人では見えない距離でも犬崎には見えてしまう。


「……ひゃく、せん、まん、じゅうまん……」


 通帳は五十万円を超える数字が記載されていた。


「すごい! お金持ちなの?」


「小さい時から、お年玉とか……ずっと貯めてて」


「要件を聞こうか」


「犬崎さん⁉」


 いつの間にか未夜の隣に座り込む犬崎。その目は爛々に輝いている。


「お金で態度が変わるなんて、最低ですね」


「何を言ってる未夜。俺は純粋に困っている少女を助けたいだけサ」


「あぁそぅですか」


「それで、依頼内容というのは?」


「こんな事、探偵さんに頼むのは、間違っていると思うんですけど……お願いします、このままだと、私……悪霊に、殺されちゃう……!」


「悪霊に殺される? それって一体……」


 未夜に訊ねられ、リサは皆で『こっくりさん』を行った結果、悪霊に憑かれてしまった事を話す。


「なんで、そんな事をしようと思ったの?」


「それは……あの……」


 仲間内でリーダー格の池田ヒカルが「進路を決めるのが面倒くさい。将来自分が何になっているのかこっくりさんに聞いてみよう」というのが発端だという。


 ヒカルは幼い頃、母親から聞いた都市伝説に興味があり、いつかやってみたいと思っていたとか。


「そして問題が発生してしまった、と」


 呆れた表情で、犬崎が溜息をもらす。


「こっくりさん……かなり有名なオカルトですね」


「呼び名は地方によって様々だ。『御狐様』『分身娑婆ぶんしんさば』『エンジェル様』とかな」


「昔から存在しているんですか?」


「百二十年前、明治の時代にアメリカ人クルーが日本に伝承させたと言われている。起源は明らかにされていないが十五世紀ヨーロッパでは既に、こっくりさんの前身『テーブル・ターニング』を行っていたという記述がある。元々の『狐狗狸』が訛って、こっくりになったとかな」


「へぇ~」


「だが、教室で怪奇な現象にあったからなんだ? わざわざ探偵に依頼する内容か?」


「………………」


 リサは泣きそうな表情をしてみせ、犬崎や未夜に背を向け、ゆっくり上着を脱ぐ。


「りりり、リサちゃん⁉」


 動揺する未夜だが、すぐに険しい表情となる。


「……これは……」


 リサの背中は痛々しくミミズ腫れになっていた。


「こっくりさんを終えて……その晩から日に日に、こんな風に……」


 未夜はリサに上着をかけてあげる。


「これって、こっくりさんの呪い……?」


「それだけじゃないんです。こっくりさんを行った友達の梶君が……帰る途中で『地獄へおいで』って不気味な女性の声を聞いたとか……決定的なのは、参加した男子生徒の馬場君が……こっくりさんの紙を焼却する役目だったんですけど……


大型トラックに轢かれて……死んじゃって……」


 未夜は、ごくりと生唾を飲み込む。


「話をまとめると、こっくりさんに参加した仲間の内……一人は交通事故で死に、一人は『地獄へおいで』という声を聞き、そしてオマエは身体に異変が起こったと言うわけか。残る二人はどうだ?」


「ミキは、その日を境に学校に来てなくて……電話をかけても出てくれません……ヒカルは特に……何も変わってないっていうか」


「とりあえず、他の奴からも話を聞かなければ進まねぇ。案内しろ、リサ」


 犬崎は拳の骨を鳴らしながら呟く。


「おもしろくなってきやがった」

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