第2話 数年後。

 月日が経つのは早いもので、私はすっかりムチムチになり、ジャミルはメロメロに。


 あの時の課題だった常識については、ジャミル家や他の家を知る事で補えた。

 アスマン様は善意かつ暇で、私を溺愛してくれて、凄く幸せで仕方が無かった。


 ジャミルの事を除いては。


「はぁ」

《ふふふ、ジャミルの事かしら?》


「アスマン様は何でもお見通しですね」

《何でもじゃないわ。けれど、もうそろそろ、手を切っても良いかも知れないわね》


「どんな相手でも慣れた相手は捨て難い、って、この事なんですね」

《でも悪縁を切らないと良い縁は入らないのよ、キャラバンの仕入れと同じ、手元に入る数や量に限りが有る》


「次の品の質は、また見極めないとなんですよねぇ」

《大丈夫よ、アナタは良い子だもの》


 この世界はチョイ腹黒が逆に評価されるみたいで、私みたいな子はウケが良い。

 不思議。


「あのー、どう、切り出せば良いか考えて無くて」

《ふふふ、じゃあ色々と聞きに行きましょう》


 お茶会で情報収集。

 コレのお陰でムチムチになれた面が大きいんだよなぁ、コレ維持するのが理想なんだけど、世の男性はもう少し肥えて欲しいらしい。


 マジ真逆、分んない、不思議。




 そうして数日間、お茶をしながら話を聞いて、それこそ色んな人にも相談してみた。

 けど。


「意外と難しそうですね」

《そうね、ジャミルの家が上手くいって無いなんて、少しショックだわ》


 私の母方の親戚は、それこそモロッコのキャラバンの名家で、ジャミルはココの商家。

 色恋だけじゃなく仕事でも私を必要としてるとか、何か、凄く腹が立つ。


「手酷く別れたいです」

《分かるわ、でも恨みを買うのは控えるべきで、そうね、1つ良い案が有るわ。ふふふ、何か分かるかしら?》


 多分こうやって子供を教育したから、皆が皆、立派にキャラバンで働いてるんだなと思う。

 ウチ、前世でもこう言うの無かったから。


 いや、うん、真面目に考えよう。


「逃げ出しちゃう、とか」

《正解よ、流石ウチの子ね》


 全然外れても良い発想だって言って褒めてくれるし、惜しいと惜しいって褒めてくれるし、当たったらこうして凄く褒めてくれる。

 だから私はあの家だけが凄く異常で、特殊で、だからこの世界は全然クソじゃないって思えた。


 この人には凄い恩が有る、だから、ココで恩を返したかったのに。


「離れたくない」

《ずっとじゃないわ、ジャミルが婚約破棄を心から認める時までよ。このまま破棄を告げればアナタが何をされるか分からない、だからお兄ちゃん達にも少しだけ手を回して貰うわ》


「そんな、またご迷惑を」

《アナタが幸せになる事が私への恩返し、不幸になんかなられたら寿命が縮んでしまうわ、だから先ずは無事に逃げる事。その間に何とかしておくから大丈夫、大丈夫よ、良い子良い子》


 生みの親のお母さん、ごめんなさい。

 私のお母さんは、この人です。


「ただ逃げるだけじゃなくて、もっともっと良い案を考えながら準備します、ありがとう“お母さん”」




 “お母さん”。

 私がお母さんと呼ぶなと叱った事をちゃんと覚えてて、小さな声で、異国語で言うなんて。


 やっぱり、1度は呼ぶ事を許せば良かったかしら。

 でも私は数年一緒に居ただけ、産んでも居ないし育てる苦労も無かったのに、私に母親と呼ばれる資格なんて。


『母さん、サラは』

《騒がしくしないで、寝たばかりなのよ》

《ジャミルの家に甘くし過ぎたんだよ、やっぱり》

《母さんには悪いけど、子が子なら親も親だよね》


《本当に、妹の甘え癖が少しは良くなっていると思ったのだけれど》

『今は母さんを責める前にサラの事を話し合おう』

《逃げ出すだけって何か、つまんないよなぁ》

《1つ位、仕掛けか何かは欲しいですよね》


《サラも他に良い案を考えると言って、遅くまで荷造りしてたのよ》

《あ、どっかの貴族に拐われるとかは?》

《それだとサラに気が有ると誤解したままでいられるから却下》

『いや、半分は良い、逃げ出した先で娶られる事になった』


《流石、良い子ね》

《あ、半分は俺の案だからね》


《はいはい、他の貴族を関わらせるのは良い案ね》

《でしょ》

《問題は誰に頼むか、ですけど、兄さんの知り合いに乗ってくれそうな人は?》

『居るから思い付いたんだ、けれど別の問題が出る』


《何、溜めないでよ》

《その相手とも婚約し、2度の婚約破棄になった場合、ですね》

《そうね、最悪は本当に婚約し、すっかりジャミルに諦めて貰ってから破棄だとしても、ね》


『婚約は勿論、婚姻歴だけ欲しい奴が居て。ただ、やはりサラには良い相手に』

《じゃあ俺が貰う》

《無理だと思うよ、惚れっぽいのは無理だって言ってたし》

《そうね、そもそも私にはアナタ達と結婚させるつもりも無かったのだし、アナタ達を本当の兄弟だと思ってるんだもの、無理よ》


『なら、一先ずは逃げて貰い、様子次第で次に逃げるか婚約かが妥当だと思うんだけれど』

《僕は賛成です》

《まぁ、俺も》

《そうね、後は他のお兄ちゃん達にも引き続き模索して貰いましょう》


 異国の寓話か真実か、婚約破棄を告げられ逆上したお相手が、強引に関係を。

 ジャミルにそんな度胸は無いかも知れない、けれども情愛を甘く見積もる事も出来無いわ。


『もう寝て母さん』

《そうだよ、俺は夜勤だったし》

《じゃあ僕は朝番だったから寝ますね、行きましょう母さん》

《ありがとう》




 起きると、お兄ちゃんが。


「えっ、お仕事は?」

《こう言う時に休めない仕事場には勤めて無いから大丈夫だよ、おはようサラ》


「おはようお兄ちゃん」

《他のも居るけど、まぁ遅番だったから》


「あ、うん」

《念の為だよ、大丈夫、心配無いよ》


 お兄ちゃん達は全部で7人、私が可愛がって貰ってる理由の1つでも有る。

 だって上のお兄ちゃん達のお嫁さんは近くに居ないんだもん、そらこうなるよね、と。


《あら、おはようサラ》

「おはようございますアスマン様」


 あ、珍しい、ハグだ。

 お母さん、おはよう。


《ふふふ、さ、朝食を食べましょう》

「はい」


 偶にお味噌汁とか恋しくなるけど、食べてる間にどうでも良くなる。


 豪華で美味しいんだよね、ココの朝食。

 要はアレ、前菜の盛り合わせって感じ。


《レンズ豆のチョルバスープは僕だよ、どう?》

「うん、美味しい、お兄ちゃんの味がする」

《ふふ、そうね》


《母さんと同じ様に作ってるんだけれどね》

《愛情の量が違うのよ、良い塩梅で入れないとね》

「ねー」


 主食はナンみたいなパンみたいな、エキメッキ。

 1番末のお兄ちゃんは薄焼きのパンケーキみたいなラワシュが好きで、もっと薄い生地のユフカが好きなのは1番上と4番目のお兄ちゃん。


 凄い種類多いんだよね、異国から来たクロワッサンみたいなアイ・チョレイとか、ベーグルっぽいけど柔らかいアチマ。

 惣菜パンでも生地にヨーグルト入れたポアチャとか春巻きみたいなボレク、クレープみたいなギョズレメ、でピザはピデとか呼ばれてるし。


 あ、後は良く食べるのはバズラマ、ケバブサンドのアレ、ピタサンドのパン。

 シミットはドイツのプレッツェルみたいな固めのゴマパン、キャラバンの常食だから絶対に家じゃ出ないんだよね、お兄ちゃん達が居ると。


《サラ、バズラマが良かった?》

「ううん、バズラマは昨日食べた、明日はユフカ?」


《多分ね、早い者勝ちだから》


 好きな物が食べたかったら、早起きして自分で作れ。

 前の世界の親とかそうすれば楽なのに、何でしないんだろ、無駄に苦労したって子供に恩着せがましいって思われるだけなのに。


「うん、ナスのペーストはやっぱりお兄ちゃんのが1番」

《1番簡単に作ってるからね》


 効率厨のお兄ちゃんのが1番、あっさりしててスパイス少な目だからマジで好き、無限に食べれる。




《あー、ラワシュならユフカ作れば良いじゃーん》

《言うと思った、明日は作るよ、何も無かったらね》

『サラと母さんは?』


《荷造りの確認、今回は最低限、後はキャラバンで運ぶ予定》

《そこも偽装しないとなぁ、情報は漏れるってのが大前提だし》

『先に荷物を目くらましに送ろう、サラの名とサラを使って』


《けどさ、本物はどうすんの?》

《僕らのどちらかが荷を送り、サラかお相手に受け取って貰う》

『どちらかは俺が決めるけれど、良いかな』


《まぁ、安全を考えるとね、うん》

《同じ箱、重さにしましょう》

『先に準備を頼んだ、俺達は朝食にしよう』


 俺が末っ子で1番サラと近いから、少し前まで勝手に俺と婚約するかも、とか思ってたんだけど。

 兄貴達には内緒で、母さんに釘を刺された。


 近いからって婚約出来ると思うなよ、サラにも選ぶ権利は有る、って。


 つかもう少しジャミルと婚約してて、破棄になったらちゃんと申し込もうと思ったのに。

 凄いムカつくわ、ジャミル。


《兄ちゃんさぁ、本当に何もしちゃダメ?》


『気持ちは分かるが、加減出来るか?揉め事を大きくしない、寧ろ治める方向に動かせるか?』


《いや、けど》

『今の時点で案が出ないなら準備に集中した方が良い、今回はマジでサラの身が危なくなる。どうしてもって言うなら六男に相談しなさい』


《はーい》


 兄貴達は妹が出来た、って喜んでたけど。

 俺と六男は婚約者になれるかもって、だから仕事も頑張ってたのに、逃げ出す事になるなんて。


 死ねば良いのに、アイツ。




《同意しますけど、死なれたらサラの中に少し遺恨を残すじゃないですか》

《そうかね?マジでウザがってたけど》


《数年経ってから、ふと死んでてくれた方が、サラは気にしないと思いますけどね》

《まぁ、そっちの方が良いと思うけど。つかモテてんのが悔しいわ、どんだけサラに協力してくれんのよ、もう荷物が揃ったわ》


《割引く必要も無かったですからね、助かりました》


 サラの為に荷物を送りたい、何か任せてくれないだろうか。

 そう言って回ったお陰で、三方へ送る荷が揃った。


 1つは北、1つは南、1つは東へ。


 サラが向かう方向は僕達も直前まで知らされない、下手をすれば辿り着いても下っ端に知らされる事は無い。

 重要な荷物程、こうして厳重な方法が取られる。


 信用と安全の為、荷物と受け取り手の為。


 こうして稀に人も送り届ける事が有る、とは聞いていたけれど。

 若輩者の僕達には、未だに経験が無い。


 それこそ五男でも、知識と補佐の経験が1回有る程度らしい。

 どうしても経験と信用が必要になり、僕ら下っ端は下手をすれば関わったかどうかも、知る事が出来無い。


 悔しい。




「超、頑張ってみた」


 新しく初めて出来た妹は、末っ子達と年の近い子で、当時は酷く痩せ細っていた。

 ただ、当時から料理は上手で、それがまた不憫で堪らなかった。


『こんなに、立派になって』

「凄いおっさんみたいな事を言う」

《本当、まだ若いんだから、その物言いは程々になさいね》

《そうそう、食べよう》

《ですね》


 七男が早々にキャラバンに入ってしまい、もう少し子育てが出来ていた筈の母さんは少しばかり気落ちし、兄達が嫁と共にココに移住するかどうかの話し合いがなされる程だった。

 けれどもサラが来た事で、母さんはすっかり元気になり、手紙も良く出してくれる様になった。


 姉妹の中でも男ばかりを産んだ母さんは、他の姉妹から少しばかり妬まれていた。


 けれど母さんとしては他の姉妹が羨ましかったのに、仲が少しずつ悪くなり、それこそジャミルの母親とは殆ど疎遠に。

 中々子供が出来なかったジャミルの母親も、その父親も少し甘いのは仕方が無いとは思う。


 けれどサラの事は許されるべきじゃない。


 織物も刺繍も詩も何もかも、子供に伝えるのは女、女は国の要で宝。

 俺達は怪我や病気をしない様に稼ぎ、子供を育てる為の外骨格、真に家を支える芯は女だ。


 その本分を分かっていれば、婚約者を疎かにする事は決して無い筈。

 だと言うのに。


「そうガン見されても私に感想は伝わらないのだけれど?」

『サラには意地でも幸せになって欲しい』

《お兄ちゃん、先ずは美味しいかを言いなさい》


『美味しいよサラ』

「でしょう」


 俺の自慢の妹は、兄弟の中でも特に出来が良い。

 だからこそ、許せない。


 絶対に、だ。

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