蛙にならないキミへの感情

鉈手璃彩子

第1話

「えっ!?」


 廊下を歩きながらふと窓の向こうに目をやった友人が、突然おどろいたように足を止め、窓ガラスに額を押しつける。


「ねぇあそこにいるの、美紅みく河津かわづくんじゃない!?」


 焦ってうわずった声が聞こえてくる。だから。


「ああ、あのふたり、つきあい始めたらしいわよ。美紅が告白したんだって」


 横からさらりと教えてあげた。


「うそっ、絶対に藍衣菜あいなと両想いだと思ったのに」

「まさか。ただの友だちでしかないわ、わたしたちは」

「そんなぁ……」

「もう。どうして珠希たまきが落ち込んでいるの?」


 くすくす笑いを噛み殺しつつわたしは聞いた。と言っても、となりでがっくりと肩を落とすこの友人・珠希の思っていることはだいたいわかる。


 河津くんのことは、正直なところわたしもいい人だなとは思っていた。ユーモアがあって、場の雰囲気を和ませる、ムードメーカー的存在。でも変に出しゃばることはなく、いつも穏やか。ゴミ出しとか、戸締まりとか、みんながめんどくさがる地味な仕事も率先してこなす。見た目もすらりと清潔感のある、少女漫画のヒーロー然とした爽やかな好青年。


 そんな河津くんとわたしが、たまたま一緒に文化祭実行委員をやることになったのは、つい数ヶ月前のこと。

 この文化祭実行委員、委員会活動の中では短期集中型だけど責任は重大だ。一年生はステージパフォーマンスと校内装飾作品の展示。制作スケジュールから当日の流れまで、ふたりで打ち合わせしたり連絡を取り合う機会が多かった。先輩たちからの話を聞くところによると、文化祭成功目指して一致団結、そのまま急接近してカップル成立、なんてことも珍しくないんだとか。

 実際わたしと河津くんの仲も、悪くはなかった。お互い、クラスの異性のなかではいちばん打ち解けた存在だったと言えるだろう。


 珠希は、そんなわたしの淡い恋心の芽生えを予感して、友だちとして応援と期待を寄せてくれていたんだと思う。


 だけど文化祭を無事終え、一週間経ったいま。実際に河津くんとつきあうことになったのは、美紅だった。


「ほんとうに、お互いなんとも思っていなかったのよ」


 とわたしは軽く言いながら、先に扉を開けて、教室へと入っていく。


「なんか美紅の告るタイミング、卑怯っていうか。藍衣菜から河津くんを奪ってやりたかったのが透けて見えてモヤる」


 背中に聞こえてくる珠希の声には少なからず棘があった。


「そんなことないわよ。河津くんだって、OKしたからつきあうことになったんだし。というかそもそもわたしのものではないし、奪われることにはならないでしょう……」


 なだめるつもりで口にするも、珠希はなおも腹の虫がおさまらないらしく、


「中学のときからそうじゃん。美紅はちょくちょく藍衣菜のことライバル視してた。あの子が美術のコンクールで賞取った作品だって、藍衣菜の絵のアイディアのパクリだったし」


 そんな昔の話までもが、ぽろぽろとこぼれ出てくる。


 珠希と美紅と、それからわたしは、出身中学が同じの三人組だった。中学一年生のときから、なんとなく存在を知ってはいたけれど、三年のときにクラスが同じになって、同じ志望校を目指す者同士として。そんな理由で仲間になったわたしたちだから、性格や好みはバラバラだ。


 もともと華やかな顔立ちをしていて、ファッションも派手めだった美紅は、高校に入学してからは化粧も濃く、髪色も明るくなって、さらに垢抜けた。クラスの目立つ子たちとつるんで、SNSにネイルやコスメの画像を上げたり、ダンスの動画を上げたりすることに生き甲斐を見出しているようだ。同じクラスとはいえ、わたしとはほとんど話すこともない。かかわりの薄い存在になりつつある。


 珠希は中学の頃から変わらずザ・優等生を貫いている。高校入試も成績トップで、入学式では新入生代表の挨拶を任された。クールな信条と揺るがない正義感の持ち主で、臆さずはっきりと物申す。そこが彼女の長所でもあるんだけど、意見の食い違いで美紅とはたまに衝突を起こすこともあった。


「美紅って前からそう。まるで藍衣菜と同じものを、いやそれ以上のものを手に入れないと気が済まないみたい。きっと藍衣菜のことが羨ましいんだ」

「珠希。考えすぎよ」


 けれどたしかに、美紅はわたしと河津くんが仲良くしているのが気に入らなかったのかもしれない。とは、ちょっとだけ思う。

 ここ数ヶ月、たびたび彼女から刺すような視線を感じたのは事実なのだ。特にわたしが委員会の用事で河津くんと会話しているときに。

 そこに、わたしから河津くんを横取りしてやろうという意図があるのかどうかはわからないけれど、美紅が河津くんのことを意識していたのは間違いなかった。


「美紅はしきりに高校デビューしたいって言っていたし、ちゃんと志望校に受かってやりたいことをやれているんだから、かまわないんじゃない? 河津くんとつきあいたいなら、そうしたらいいと思うわ」

「藍衣菜は大人だね。それに優しい……」


 平凡を絵に描いたようなこのわたしのことを、珠希はしみじみと優しいだなんて言ってくれる。

 わたしは微笑みながら心のなかで「珠希のほうこそ」とそっと返す。


 三人で合格の喜びを分かち合った記憶はもはや遠い昔のことのように色褪せてしまったし、期待させるような河津くんとの恋愛的進展もなくて申し訳ないけれど、わたしとしては、珠希がとなりにいてくれるなら、それでじゅうぶんだった。


 それにわたしにはちょっとした確信があったのだ。


「あの美紅のことだから、きっと河津くんとはそこまで上手くいかないんじゃないかしら」


 こう言葉にするとやや腹黒いけれど、思わず本音が漏れてしまう。


「どういうこと……?」


 と眼鏡の奥の瞳をきょとんとさせている珠希。無理もない。わたしの頭のなかではすべての点と点が線でつながっていて、はっきりとした未来予想図ができているけれど、珠希はなにも知らないんだものね。わたしはそんな珠希に向けて、いたずらっぽくウィンクしてみせた。


「すぐにわかるわ」



 そして案の定わたしの予想通り、美紅と河津くんの交際期間は、ものの数日を待たずして終わりを迎えることとなる。

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