第12話 殺し屋、メイドの膝枕で微睡む午後

 シフォンが変死体で見つかった。

 数多の悪事への関与疑惑と共に、大衆紙にて晒された記事をテーブルに置き、ソファに深く座り込むノヴム。

 視界の天井に、後悔が逡巡する。


(もっと早く、シフォンを殺していれば)


 リセの両親は死ななかった。リセが錆びた刃を握る事は無かった。

 家族を失う痛みは知ってる。死の喪失感は知ってる。

 知ってる、はずだった。


 母と父を失ったリセは、これからどうなるのだろう。

 『とにかく生きるんだ』と無責任に言った。

 凶刃に二度と触れさせたくなかった。未来に目を向けて欲しかった。

 でも、それが一番難しいと分かっていた。

 親を失った子に、この世は厳しい。

 先立つは金。スリを常習とするか。労働法の届かぬ地獄で耐えるか。

 、ただでさえ愛する家族を失った心を思うと、自分までどこかに堕ちそうになる。


 悔やんでも悔やみきれない。

 もっと早く、シフォンを殺していれば。


「ノヴム様ノヴム様! また起きるの遅い! 今日リセちゃんの様子を見に行くって……」


 腕で目を覆うノヴムに出くわして、プルムのお叱りが中断された。

 プルムが様子を覗くと、腕と頬の隙間から涙が線を象っていた。


「ごめん。ちょっと落ち着いたら、直ぐ準備する」

「……」


 何かあったんですか、とプルムは聞いてこない。

 ただ、ノヴムの隣に座り。

 ごく自然に震える青年の頭を、太腿の上に乗せた。


「ぷ、プルム?」

「お、覚えてますか? ノヴム様」


 あまりに唐突な細い太腿の感触に、平常心が削られていくノヴム。それはプルムも同じで羞恥を顔に表しながらも、ノヴムの為に膝枕を続ける。


「昔海に行ったとき、誤って洞窟に落っこちちゃった時ありましたよね」

「そんな事も、あったね」

「あの洞窟は魔物とかもいて、私ずっと怖くて動けませんでした。でも、ノヴム様が大丈夫だよ、ってずっと励ましてくれて心強かった……」


 偶々魔物に襲われなかっただけだ、と心の中で補足した。それが幼き頃のノヴムに出来る、唯一の強がりだったのだ。


「でも、ノヴム様も怖くて泣いた時、ありましたよね」

「許してよ。俺も、あの時は7歳だよ」

「ただ、私がこうやって膝枕をすると、泣き止んだんですよ。私の腰に抱き着いて、わんわん泣いて、それから涙全部出し切って」

「……えっ、それは覚えてないな」


 と惚けたが、この太腿に頬を埋める感触は身に覚えがある。

 全身が優しい羽に包まれたような、安心感。

 異性の太腿への欲求を超える、安堵感。

 子供の頃、洞窟の暗闇を打ち消すような、光。


「ただ、俺が何で泣いてるのかは聞かないの?」

「聞きませんよ、そんな事。言いたくなったらでいいですよ」


 抱擁のような声と、聖母のようなプルムの眼差しに釘付けになる。

 ずっと見られていて、恥ずかしかったのかプルムは顔を逸らした。

 その頬に、ノヴムは懺悔する。


「家族を失った時の辛さを、思い出してさ」

「……お父様の事ですか」

「父だけじゃない。“先生”もだ」


 “先生”については、眼を大きく見開いたプルムにも面識がある。

 家庭教師の、少女の事だ。まだ16歳だった。

 ノヴムにとっては、母親のような存在だった。

 彼女もまた、10年前に死亡している。


「なら、リセちゃんにとっての“先生”になりましょう。あなたは一人じゃないって、横に居てあげましょう」

「そうだな」

「それから。ノヴム様も一人じゃないですよ」

「……プルム」


 ノヴムの前髪を掻き分けてくるプルムへと、ノヴムは尋ねる。


「君は、どこにもいかないで」


 その発言に、プルムは顔を赤らめる。頭の中で『えっ、これってつまりプロポーズ!? あわわわ、やっぱりノヴム様のお嫁さんに……!?』と暴走している事をノヴムは知らない。

 プルムが必死に欲望を抑え、ノヴムに寄り添っている事も知らない。


「はい。ど、どこにもいきませんよ」


 いや、いつかはどこかに行ってもらわなければならない。

 プルムを、“リヴァイアサン”の世界と心中させてはならない。

 ノヴムはそう感じていた。


 プルムは、血の匂いがしないのだろうか。

 最近、洗っても洗っても血の匂いが消えないと考えていたのに。

 いつプルムに“リヴァイアサン”の事が明らかになるか、不安で仕方なかったのに。


 ノヴムは少し寝た。

 その瞼を見て、プルムは心配そうに顔を曇らせる。


(昨日は本当に眠れなかったんだなぁ……)



 その後、ノヴムとプルムは信頼できる孤児院にリセが入居した事を知らされた。やはり何がしかの稼ぎは必要にはなるものの、勤め先は工場では無かったことは幸いだろう。

 それからも彼女の勤め先である洗濯屋に何度かノヴムやプルムは足を運ぶことになるのだが、それはまた別の話。

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