第13話 殺し屋、メイドを看病する朝
プルムが風邪を引いた。
「くちゅん! ノヴム様すびばぜん……でぼ体は動きますじ、私はだいじょうぶです! 買い物が出来てない、掃除が滞ってる、このままでは……私はだいじょうぶです! まだまだやれます! 父と母から、この家の事を任された身として、24時間365日働けますくちゅん、くちゅん、くちゅんっ!!」
「鼻水だらだらで、くしゃみしまくって言われても説得力が無いんだよ」
医者からも安静にって言われたでしょ、と抵抗するプルムをベットに沈める。
「ほら。こんなに熱もあるし」
と言いながら、額を合わせる。
「ふ、ふわああああああ」
眼を大きく開いたまま、真赤になってプルムが固まってしまった。
布団で口元まで隠して、ノヴムを見つめる眼だけが小動物のように出ていた。
「駄目です、ノヴム様、移りますよぉ……」
「いいよ。移して直しな」
ひんやりとしたタオルと氷をプルムの額にバランスよく載せていると、何やらもごもごと呟きだした。
「うぅ、うぅ……」
「大丈夫? 魘されてるよ?」
「えへへ……ノヴム様に……看病されてる……」
「大したことは出来てないよ」
布団からはみ出た眼は、いつもより可愛く、そしてあどけなく見えた。
なんだか胸がくすぐったくなる。昔から妹としか見ていない筈なのに。
「ちょっと栄養になるもの買ってくるよ。林檎とか、食べれそうなもの切らしてたしね」
誤魔化す様に、ノヴムが理由を付けて一時退避をする。
譫言はノヴムがいなくなってからも続く。
「待ってパジャマのボタン外しちゃ駄目……自分で拭けます……私達まだそんな関係じゃ……こんな胸じゃがっかりさせちゃう……せめて胸大きくなってから……」
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林檎は百薬の長。
自分が病気になった時、そんな風に格言めいた事を口にしながら、隣で林檎を向いていた女性を思い出していた。
あれは確か、10年前。
父が死んだ後、ほんのわずかな期間だけ、母となった“先生”との物語――。
「なんだ!? このガキが!」
「何度だって言ってやる! お前達はこの人を虐めているようにしか見えない!」
林檎の売っている店の傍で、言い争いが繰り広げられていた。
貴族が、金色のポニーテールを蹴り飛ばしていたのだ。
(男、だよね……?)
金色のポニーテールから一瞬女性と見間違えたが、服装から見て少年だろう。
とはいえ、体は細いし、声も少し高く、顔も非常に中性的で整っている。
「乞食をしている人間など、本来は檻に入れられてもおかしくないのだ! 蹴りで済ませてるだけマシと思え!」
「ひ、ひぃぃ……」
少年が庇っていた乞食らしき男は逃げた。後には貴族と泥まみれの少年だけが残っていた。
当事者がいなくなったというのに、一触即発の状態でにらみ合っている。
「それなら檻に入れるべきだ。決して君達貴族の玩具にしていいものではない!」
「なんだガキ……俺らが誰か知ってるのか? 俺達は由緒正しき――」
「まあまあ、もうそこまでにしようよ」
ノヴムが二者の間に入り込んだ。貴族の視線が移ると、舐め切って油断した顔つきになる。
「なんだ、魔術もまともに使えない没落貴族じゃないか」
「俺の事はどうでもいいとしてさ、今あまり問題を起こさない方がいいんじゃないかな」
「何を!?」
「だって君達、シフォンの悪行を知りながら出資しようとしてたんだから」
貴族たちの顔から血の気が引く。周りの視線が、一気に針のように鋭くなる。
アキレス腱を晒され、居たたまれなさがじんわりと滲む。
「い、いくぞ」
人目を避けるようにして、そそくさと逃げ出した貴族の後姿は、同じ貴族として情けなささえ感じた。
「一々家名に頼らないと喧嘩も出来ないのかな」
「済まない。助けてくれたこと、礼を言う」
少年は礼を言うと、ノヴムの視線を追う様にして、貴族が去っていった方向を眺める。
「しかし残念だ。貴族とは、道端では不当に自分の権威を見せびらかしているのだな」
「そうなんだよ。って、同じ貴族が言っても説得力が無いけれど」
「何? 説得力がない? 貴方は貴族なのか?」
「一応。ノヴム=オルガヌムといいます。ただ家はほとんど没落してて、貴族院でも存在感は全くないけどね」
「ボクはエレンだ。しかし貴方のような貴族こそ、この混迷の時代を引っ張るべきだ」
(ボク……か。やっぱり女の子だよね)
そう言ってくれると冥利に尽きるよ、と丁度店が隣に在ったので、プルムの隣で剥く分の林檎を買うのだった。
「林檎を買いに来たのか?」
「侍女が風邪引いちゃってね。林檎は百薬の長って、昔教わったのもあって」
「ノヴム殿は侍女の為にも優しいのだな」
「侍女っていうか、実際のところは妹みたいなものなんだけどね」
「それは理想的な関係だな」
「エレンはこの辺の子かい?」
「ああ。ボクは一般人だ」
一般人、を強調するエレンの言い方に僅かな疑問符が湧く。そもそも、この辺に住む人間は熟知しているつもりだったが、エレンは知らない。
泥にまみれる事も厭わず、乞食を助けたこの少年は何者なのだろう、と何か探る質問を投げかけようとした時だった。
「ぎ、ぎゃああああああああ!?」
悲鳴。それも一人二人ではなく、千差万別の複数の叫び。
発声源を見ると、人間を軽々と超越する巨大な影が、太陽に晒されていた。
銀色の体皮。よく見れば深々茂る体毛で隠されていた。しかし皮膚も体毛も、筋骨隆々な肉体までは隠しきれていない。その巨大さたるや、ノヴムが二週間前に殺害したアルマゲ―すらも凌いでいる。
筋肉と、獣のような顔面に似つかわしい爪は、暴れる度に地面や壁を抉っていた。先程の貴族も爪の餌食になって、殆ど千切れている状態で横たわっていた。
――つまり、人間でも亜族でもない。
すると、その種族はただ一つ。
「魔物……! ワーウルフか!?」
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