第29話 殺し屋、スリを追いかける昼


 翌日、プルムの買い物についていく事になった。


「……じー」


 昨日、アリスと二人きりになった後から、プルムは嫉妬とか憎悪とかがごちゃ混ぜになった眼で睨みつけてきてくる。

 

「プルム。そのジト目について理由を聞こうじゃないか」

「アリスさんとは本当に何も無かったんですよね」

「何もって……何が?」

「例えば、キスしたりとか、おっぱい揉んだりとか、果ては裸で同衾したり」

「天地神明に誓って事実無根だから、公共の場で堂々と言うのは止めてもらおう」


 エレンも秘書として一緒に仕事している時、どこか素っ気なかった気がする。若干失望したような目をしていた気がする。

 プルムと同じ疑問を抱いているのだろうか。ただ、エレンは男なのだから、そんな理由で責められる筋合いはないのだが。

 ただ、プルムが今こうして頭を抱えているのは何故か納得できる。子供の頃も、別の女子と一緒に居ると途端に不機嫌になったからだ。


「プルム。アリスとは本当に何も無いんだ。確かに9年間、敵国に捕まってる者同士として親しかったりはしたけど……」

「吊り橋効果って知ってますか? 9年間も吊り橋で一緒なら答えはただ一つ! 交尾したんですね!?」

「交尾って、もうちょっと言い方」


 その後数分の説得で、通常状態のプルムに戻せたのは奇跡かもしれない。

 オルガヌム家の財政を気にする、平常運転のプルムに立ち戻ると、それはそれで溜息をついた。


「この前のパーティーは反省です。柄にもなく、沢山お金を使ってしまいましたから」

「そんな事言うなよ。大成功だったじゃないか」

「アルデンテさんが言っていました。遠足は帰ってからも遠足だと。事後処理をしっかりやってこそ、成功なのですよ」


 だから今日は値切りまくってバスケットをいっぱいにしてやります。と若干セコイ決意を“ふくらみかけ”の胸に秘めた時だった。


 どん、とプルムの横を何かが過ぎ去った。

 エルフ。長い耳が、左から右へと去り行く影にあった。

 その背中を見て、ふとノヴムがプルムに尋ねる。


「ねえ、プルム。財布は?」

「えっ? ポケットに、あれ……ない!?」


 全神経から温度が抜けたように、乾いた顔のプルム。

 その視線の先で、不自然に走り抜けていく少女の姿があった。


「スられた!?」

「あの子だね」


 決して、その少女がエルフだったからという理由ではない。

 そのポケットに、見覚えのある財布が見えたからだ。

 

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 路地を駆ける少女だったが、苦い顔をしてブレーキをかける。

 先回りしていたプルムが、小さい体を精一杯広げて待ち構えていたからだ。


「残念ですが私もハーフエルフです。実は走ったりが得意なのですよ!」


 少女は構わず強行突破しようと再度スタートを切ったが、直後に何かに足を引っかけて転ぶ。

 少女も、プルムも何故突如転んだのか理解できない。出来るはずも無い。

 体勢で隠したノヴムの右指から、空気の塊が穿たれていたなんて知る由も無い。

 

 立ち上がろうとした少女の両腕を掴んで拘束し、かつ財布をプルムへ投げ渡す。

 普通であれば、後は役人に付き渡すだけだ。だが痩せこけた顔を見ると、どうしても同情心が先行する。


「君、名前は?」

「……ラン」

「理由を話してくれないかな。役人に任せるかどうかはそのだ」

「上から目線だな、人間!」


 ランは罪悪感を微塵も感じていない様だった。

 エルフを差別してきた人類代表課の如く、ノヴムに憎悪を籠めた顔で睨み返してきた。


「なんて言い草! 泥棒の癖に……!」

「黙れブス!」

「ぶ、ブス……」


 プルムもそこまで傷ついたわけではない。しかし初対面の少女に急に言われると、少しは怯みたくもなる。

 ランはまた親の仇のようにノヴムを睨む。


「私は社会の為にスリをしてんだ! 間違ってんのは私らじゃない! 間違ってるのはこの社会だ、お前達みたいな貴族だ!」

「社会の為って……何を言ってるんだ?」

「お前達がいいものを全て奪ってるんじゃないか! すべてを独占し、俺達には何も残さない!」


 穴だらけの衣服。まだ12、3歳の少女らしくない、煤だらけの汚れた顔。

 貧富が拡大した産業革命の時代における被害者の様相。

 “いいもの”を全て奪われ、何も残らなかった少年少女の悲鳴だった。


 このような考え方をしているのは、ランだけではない。

 路地裏にしか居場所のない子供達は、得てしてこのような考え方をしつつ、明日を生きるために犯罪に手を染めている。

 

「……それに、ノルマに間に合わない」


 と、微かな本音が見え隠れした直後。

 パチィン、と。

 平手打ちの音が聞こえた。

 プルムが、若干痛そうに掌を抑えていた。


「何すんのよ!」

「ノヴム様を馬鹿にしないで」


 自分がブスと言われた時は、少し顔をしかめる程度だったのに。ノヴムを貶された時は、それこそ自分事のように本気で怒っている。一方でランの境遇に理解を示そうと、必死に彼女の眼を見返している。


「あなたが社会の何を見てきて、世界からどんな差別を受けたかは知らない。それでも、ノヴム様を馬鹿にすることは許さない」


 それでも、譲れない物がある。これから対等に話していく上で、必要な儀礼だった。

 

「ノルマって何? 泥棒のノルマを、誰に対して果たすの? 果たせなかったらどうなるの?」

「……アンタみたいに偶々貴族の庇護下に入ってる裏切者なんかには分かんないわよ! 私達最底辺に生まれた亜族の苦しみは!!」


 怒号で返すと、ノヴムの拘束を振り解いて逃走を図ったのだった。

 心配そうに見つめるプルムに、思う所のあったノヴムもまた落胆の吐息をつく。


「……法は、法によって守られる者にしか、守られない。だからあの子は、法をそもそも何とも思っていない」


 何故なら、彼女にとって法とは存在しないから。

 無法地帯。法によって守られることが無いから、守ることをしない。

 法とは、守る代わりに国家から安全を保障される仕組み。以前プルムに語った内容の続きである。


「エルフを始めとした亜族は特に、確かに法を守っていたら生きていけない人達がいます。それ自体は、とやかく言う資格は私にはないと思っています」


 確かにランは、プルムの事を裏切り者と言った。

 エルフかハーフエルフかの違いで、プルムも亜族に入るのに、生きている境遇が違い過ぎた。

 ランからみれば、プルムは『境遇と運が偶々良かっただけの世間知らず』なのかもしれない。


「それでも。ノヴム様があーだこーだ言われるのだけは、絶対間違ってます」


 プルムの握り締めた拳が、その重みを雄弁に語っていた。

 

「ありがとう」

「当然の事です」

「少し寄り道していいかな……“ノルマ”っていうのが気になる」

「私も、そうでした」


 ノヴムとプルムは、ランが逃げた方向へと駆け始める。

 スリがノルマって、嫌な気配しかしないから。

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