第20話 殺し屋、お姫様に呼ばれる朝

 街往く人に女王と聞けば、どんな想像を植え付けられるだろう。

 豪華な王宮で、お菓子と茶を啜り、社交パーティーで舞うイメージか。

 だとすれば、そんなイメージは今すぐ打ち消したい。


 玉座とは、千差万別に濁った悪意を見せつけられる特等席でしかなく。

 女王とは、所詮は建前の名誉であり、大概その背後に糸を操る黒幕がいて。

 王宮とは、空飛ぶ鳥にさえ思い馳せてしまう、息苦しい監獄でしかない事を。

 

 そんな生き方が嫌で、男装をしてまで王宮から逃げ出した。

 女王として、一人の人間として、世界に何が出来るかを探すために。

 真っ白な世界しかない玉座から、15歳の少年として下界に降り立った。


(悔しい……)


 結局何も出来ないまま、地上の深淵の養分にしかなれないなんて――。


「エレン、エレン!」


 呼びかけられ、エレンは目が覚めた。ノヴムの顔が天井との間にあった。

 辺りを見渡すと、“地下水脈アンダーグラウンド”の惨殺死体が広がっていた。


「俺が来た時には、皆死んでた。さっき、龍の面を被ったのが出ていくのを見た」

「龍の面……そうだ! ボクの事をリヴァイアサンが助けに来て……!」


 助けに来て、何か空気の層に纏われた後、謎の眠気が来て昏倒させられたのだ。

 今思えば、凄惨な血塗れの光景を見せないための配慮だったのだろう。

 とはいえ今こうして見てしまったので、気分が悪くなりそうだ。


「とにかく、外に出よう」


 ノヴムが気を回し、エレンの肩を抱えながら共に出る。

 

「ノヴム殿はどうして、ここへ?」

「実は君が妙な集団に連れ去られていくのを偶々見ちゃったんだ。で、色んな人に聞いて、目星を付けたらビンゴだった」

「……怖くはなかったのか?」

「怖かったけど。このまま何もしないで、君がいなくなる方が怖かった」

「大袈裟だな。ボクらはまだ出会ったばかりだよ。そんな風に言われる資格はない」


 肩を借りたまま、エレンは俯いた。

 

「ボクは、何も出来なかった。何かを成したくて、ボクは街に出たのに」


 ノヴムの服へと伸びていた手が、ぎゅっと縮む。

 悔しさが、共振する。

 

「……ただね。成したい“何か”が俺には分からないんだ」

「どういう事?」

「ただ漠然と、世界に貢献しなきゃという焦りだけがある。でも、その手段が分からないまま、街にその答えがあると妄信して、猛進してしまった」


 猛進した先に在ったのは、無駄に命を失う危険だった。


「ボクは何もできないまま、死ぬところだったんだ……」

「君はもう、したよ」


 エレンの肩を抱き寄せ、勝利を分かち合いながらノヴムは笑った。


「貴族相手に、乞食の男を守った! 化物から、子供を守った!」

「それは……」

「その勇気を積み重ねた先に、きっと『何か出来た』があるんじゃないかな。俺は、そう思う」

「ノヴム殿は、本当に優しいんだな」

「確かに、君の事はまだ分からない。今まで街に出た経験が少ないというのは分かる。だからこそ、『何かを成したい』という一歩目で諦めて欲しくない」


 エレンが見たノヴムの横顔は、太陽のように眩しくて、そして温かった。

 向いた笑顔に、心臓のポンプを押される。


「その手伝いなら、俺はする」

「……」

「というか、させて欲しい。俺もまだ分からないんだ。オルガヌム家として、貴族として、この世に本当は何をするべきなのかって」


 少しだけ困ったように、頬をかく。

 その一挙手一投足にエレンの意識が奪われる。視線誘導。気絶前に薄れゆく意識の中で、リヴァイアサンがそんな事を言っていた気がする。

 これが、視線誘導なのだろうか。

 心の視線が、ノヴムから離れない。


「おっと」


 転ぶ程に心ここに在らずだった。

 結果受け止めたノヴムだったが、手の位置が悪かった。左手が、エレンのお尻に触れる。

 

「ひゃあぁ…………んんっ!」

「あ、ご、ごめん」


 熱湯に触れたかのように、ノヴムの手が引っ込んだ。背徳的な何かを感じてしまった。

 普通の男相手には感じない筈の、捻じれた純情な感情である。


(ものすごい、ものすごいイケナイ気がする……! 同じ男なのに……でもお尻、なんというかヒップラインが……)


 まるで女性のお尻にでも触れたかのような、危険ながらに魅了される感触に戸惑うノヴム。

 しかしパニック度で言えばエレンの方が凄かった。眼を回して今にも崩れ落ちそうだ。


(お尻触られた……! こっちはガードしてないから、感触が直に……っ! 殿方の手つきは、こんなにも……っ)

 

 二人して想定外の感情に翻弄され、あたふたしている所に足音が聞こえた。

 スーツを身に着けたスラっとした女性で、ただの歩行でさえ無駄がない印象だった。


「私はアルデンテ。あなたが肩に背負ってるその人の、従者でございます」


 指差す姿は、暗にエレンを差し出せとノヴムに指示している。

 かなりの実力者だ。仮に戦闘になったら一苦労するだろう。


「ノヴム、本当だ。彼女なら大丈夫だ」


 エレンの口調にも嘘は感じられない。自分の足で歩き、アルデンテの下へ歩く。

 並んだ姿は、従者主人の関係というよりは、保護者だった。

 

「ノヴム。今日は本当にありがとう。一歩目がノヴムと一緒で良かった」

「……そう言ってもらえると冥利に尽きるよ」

「またね。直ぐに二歩目を、一緒に歩こう」


 王女としてのエレーナリアを隠す少女と。

 殺し屋としてのリヴァイアサンを隠す青年は、そこで別れた。



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 翌日。

 朝食でいつものパンを口に咥えながら、大衆紙に書かれた“地下水脈アンダーグラウンド”の全滅記事を追う。

 王女誘拐の目的は伏せられている。下手な混乱を招きかねないと話し合った結果、“というのもあるが、恐らく王宮の圧力があったはずだ。

 

(しかし、“地下水脈アンダーグラウンド”は確かな実力を持った諜報機関だった筈だ。それが、何故エレンを誘拐するなんてめんどくさいプロセスを経たんだろう。結局王女も捕まってないし。心当たりがあるかエレンに聞くの、忘れてたな)


 エレンも不思議な少年だった。

 恐らく王宮の人間だという事は想像できる。特に王女周りは、情報のヴェールに覆い隠されている。

 例えば王女の付き人。の遊び相手になる以上、付き人も外に出ることが出来ない。

 もしエレンが王女の付き人だとしたら……。

 

(箱入り娘とは言うけど……実際、ずっと内側に居た人間が外に出たら、自分の常識と世間の正義との温度差はどれくらいなんだろう)


 エレンはずっと、とんでもない温度差の中で戦い続けたのかもしれない。

 そう思ったら、一層彼に協力したくなった。

 これはリヴァイアサンとしてではなく、ノヴム個人として。


「ノヴム、様……」


 外に居た筈のプルムが入ってきた。

 驚愕してもしきれないというような、あんぐりと口を開けていた。


「どうしたの?」


 何かがプルムの脳内で動いていた。

 とてつもない奇跡を見て、脳がマヒしていたようだった。

 そして、やっと声が出る。

 


「門の前に馬車が止まってまして。

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