第9話 殺し屋、復讐を誓う少女をなだめる夕方

 シフォンを刺そうとした包丁は没収したまま、シフォンを落ち着かせながらテーブルに座らせる。


「じゃあ、リセちゃんはシフォンを本当は傷つけようとしていたんだね?」


 お茶をリセの前に置くと、プルムはしゃがみ込んで同じ目線になりながら尋ねる。


「どうして、そんな事を?」

「……お父さんもお母さんも、工場で働いてて、殺された」


 やはり、とノヴムとプルムは顔を合わせた。

 昨日のストライキ弾圧にて、殺された労働者の娘だ。


「お父さんもお母さんもね、ずっと辛かったんだ。風邪ひいても、怪我しても、お金が必要だからって、無理して働いてたんだ。少しでも楽になればって、私も工場で働くことになった。でも、これ以上私が傷つけられるのは見たくないからって、他の人達と協力して、少しでも労働環境を改善してもらおうとストライキを起こしたの。それでも万が一の事があったらって、私はストライキから外されて……なのに」


 語っていく内に、リセの瞼で雫が大きくなる。歪んだ口元が、幼い悔しさと憎悪を前面に押し出していた。

 

「あんな奴、殺されればいいのに……“リヴァイアサン”が、殺してくれればいいのに……私が、殺してやりたい……!」


 涙の軌道に、ノヴムは自分の轍を見た。


(同じだ。リセちゃんも、俺と同じで家族を失ったんだ)


 “家族”を失い、全てに絶望していた10年前と同じだ。

 ノヴムはとある人間に拾われ、結果“リヴァイアサン”としての一途を辿るしかなかった。

 

 仮にシフォンが縛られていて、リセが包丁を持っているとしたら、間違いなく彼女は復讐するだろう。

 復讐は何も生み出さないとか、死んだ親は帰ってこないとか、そんな常套句は折り目だらけの顔には届かない。

 しかし、ならばどんな言葉をかけてやればいいのだろうか。

 

「辛かったね」


 迷っていると、プルムがリセを抱きしめながら後頭部をそっと撫でる。

 ……とうに血塗れの自分が、リセを救う言葉を掛けられるなんて思い上がりだったのかもしれない。

 何の罪も犯していない、太陽のようなプルムだからこそ、リセは安心して沢山涙を流している。

 

 一通り泣き終えたリセへ、ノヴムは提案する。

 

「じゃあ、あの包丁は俺が買うね。代金はこれくらいで如何かな?」

「こんなに……」


 渡したお金は、少なくともリセが驚くような金額だった。

 

「丁度うちの包丁、キレが悪くなってたもんね」

「ええ。キャベツも切れなくて困ってました!」


 プルムも意図を察してくれたのか、自信満々に頷く。

 未だ迷うリセに対し、精一杯安心させるように頭を撫でる。


「大丈夫。ウチは没落してるけど、それでも貴族だから」

「……」

「リセちゃん。とにかく生きるんだ。その方がお父さんも、お母さんも喜ぶのは間違いない」


 その後、リセは客室で眠った。今から外に放つのも、あまりに可哀想すぎた。

 昨日からずっと眠れていなかったのだろう。隈だらけの寝顔を見て、プルムが居た堪れなさそうに顔を顰める。


「まだ9歳なんですよ、この子……」

「せめて、『とにかく生きる』為の住む場所を確保する必要はあるね」


 9歳の子供でも、包丁を持てば人を殺せる。

 それでも、9歳の子供でが生きていくには、この世はあまりにも厳しい。

 “孤児院”が必要だ。

 

「リセちゃんは孤児院に掛かる必要がある。その手の事業に強い知り合いがいてね。ちょっと掛け合ってくる。プルムはリセちゃんを見張ってて」

「そういえばかっこいい事言ってお金渡しましたけど、その分、浪費は控えてもらいますからね!」

「分かってるよ……あっ、太陽がこっちに落ちてきてる!?」

「ぎゃああああっ! そんな馬鹿なっ!」


 天地がひっくり返るような驚愕と共に、茜空へとプルムの視線が固定される。

 だが数秒して嘘だと気付くと、隣にノヴムはいなくなっていた。


「ってまたいなくなってるし!」



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 とある路地裏にて、ノヴムは壁に背を預けていた。


「もう孤児院、手配してくれたんだ。ありがとうね、“アリス”」

「ええ。リセちゃんだけじゃなく、シフォンの件で親を亡くした子供は皆、私の孤児院にて引き取るつもりよ」


 壁を挟んで、女性が話しかけてくる。


「助かる」

「ほら。あーし、表向きには優しくて美しい慈善事業家でもあるから」


 リセの課題は解決した。

 そして、に入る。


「それで。シフォンについては調べた?」

るなら今日ね。シフォンと繋がってるギャング“黒鉄の蠍”の主要人物が、シフォンと屋敷で会う予定。まとめてターゲットを殺せるわ」


 ノヴムも特に感ずるところも無く、「そうなんだ」と頷く。

 ギャング“黒鉄の蠍”。シフォンの第二工場辺りを縄張りとする裏組織だ。兵士くずれや、かつて魔物討伐を専門に取り行っていた冒険者くずれが寄り固まってできた組織だ。


「シフォンは“黒鉄の蠍”を工場の監視役、監督者に据えていたようね。それで恒常的に暴力を繰り返し、支配していた。人死にが出ても、持ち前の財力とコネって奴で揉み消すって寸法」

「ありがとう、“アリス”。それさえ分かればいい」


 “アリス”――それが情報提供の分野から“リヴァイアサン”に協力する少女の名前だった。

 

「俺も直接会って話したけど、あれは黒だね」

「ノヴム。一応言っておくけど、あーしらは復讐代行じゃないよ」

「分かってる。リセちゃんが来なくても、いずれにしてもやってたよ」


 壁越しに釘を刺すような言葉を受けても、ノヴムは動じない。

 誰かの無念を晴らすために、ノヴムもアリスもここにいる訳じゃない。


「俺達“”は正義の味方じゃない。腐敗した枝を剪定する悪だ。それは10年前から、俺達“”の合言葉でしょ」

「分かってるならいいわ」


 長年の付き合いなだけあって、“アリス”とは少ない会話で済む。

 

「じゃあ、殺しの方は後は任せていい? リヴァイアサン」

「うん。真実の公表や後処理は任せるよ。アリス」


 壁の向こう側からアリスは消え、そして路地からもノヴムは消えた。

 今、ノヴムの眼下には、他者の労働で完成した城に住まう、金の亡者が住んでいる。


「リセちゃん。悪者は、俺らだけでいいんだ」

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