第8話 殺し屋、ブラック経営者に反論する昼

『昨日、シフォン第二工場の一部労働者が、契約に違反して違法に工場を占拠。暴力によって経営者を脅した為、速やかに鎮圧された』


 本日の朝刊より。

 その横に小さく書いてある死亡人数まで読み終えたノヴムが、オルガヌムの屋敷にて深く溜息をつく。

 プルムも記事を読んだのか、隣に座り厳しい顔色になる。

 

「……このシフォンって人、ノヴム様が言っていた法律違反の経営者ですよね?」

「最低賃金とか、児童を働かせるとか、労働時間超過とか。ただ、役人は取り締まる気が全く無い。労働者がストライキを起こしたのは事実だけど、その殆どの人間が殺されたらしい」

「そんな……しかしこの記事、全面的にシフォンが被害者みたいになってますね。シフォンだって、法律違反を数えきれない程しているというのに」

「金を積まれたんでしょ」


 公的な浄化能力は見込めない。シフォンはこれで懲りるどころか、新しい工場を建てようとしている。

 労働者という被害者を、増やそうとしている。


(シフォン……早めに始末するべきだった……)


 『怪しそう』だとか『法に反しているように見える』なんて段階からいきなり殺しはしない。

 間違いは許されないからだ。殺した命は二度と戻らない。故に、“情報提供者”に頼りきりではなく、自分が納得してから“リヴァイアサン”になる。それがノヴムのルールだった。

 だが、時折手遅れになってから、ブラックリストに載る事もある。


「ノヴム様、お客様です」


 屋敷に入ってきたのはシフォンだった。


「近くに寄ったもので、挨拶に、と」


 ハットを外して一応の礼儀をしたシフォンを、無下にはせず客間まで案内した。

 プルムが茶を出したのを皮切りに、シフォンが口を開く。

 

「さて、ノヴムさん。新事業への協力の話、考えて頂けましたかな」

「別に俺が何かしなくても、他の貴族分で十分に賄えますよね。シフォンさんも知っているでしょう。俺の家はあまり大きくない」

「一昔前は貴族院でも発言力のある、強力な一族だったと聞いてますよぉ? 10年前、お父様が不慮の死を遂げるまではね」


 シフォンがここに来た理由は何となくわかる。

 牽制だ。“労働者達の非業の死”、即ちシフォンが“やるところまでやる人間”だと脅した上で訪問する事で、ノヴムが屈服する所を見たかったのだ。

 たかだが没落貴族に、一昨日の工場見学で意見されたのが癪に障ったのだろう。


「シフォンさん。何も労働者を殺す事は無かったんじゃないかな」


 ノヴムは目前の経営者の企みを理解した上で、敢えて真正面から戦いに移る。

 リヴァイアサンではなく、ノヴムとして。


「あなたも聞いたでしょう。ストライキをした愚かな労働者共は、武器を取って私を脅してきたんですよ。経営には良くあることでね、私も護衛を引き連れていなかったらどうなっていた事か。しかも労働力が減ってしまった。私だって被害者なのです」

「暴力に訴えるストライキを良しというつもりはないですよ。しかし、聞いた話ではストライキに参加した労働者は、武器も持たず労働環境改善を訴えただけとも聞いてますよ」

「ノヴム殿、大衆紙はお読みでは無いのですか?」

「何もあれは真実を示すものではないですよ」


 呆れた顔で、両肩を竦めるシフォン。ノヴムの追及は止まらない。

 

「労働法違反。環境汚染。そして人殺し。その罪を神の下に認め、償う気は無いのですか」

「没落貴族のくせに。しゃしゃり出てんじゃねーぞ若造」


 おっと失礼、とシフォンがわざとらしく口を噤む。

 しかし着いてきた部下も、同じ様に侮蔑の笑い声を零している。


「あのねえ。労働法とか、あんなのどこも守ってませんて。経済を知らない、バカな政治家が創った悪法でしかない。そもそも破った所で、役人とは持ちつ持たれつな関係なものでね」

「それが本音ですか」

「ノヴム殿。貴族が国を我物顔出来たなんて、どんだけ昔話をしているんですか。私に肩入れしておいた方がいいと思いますよぉ? 特にあなたのような小さな貴族など、労働者一人程度にしか匹敵しない。替えは幾らでもいる」

「そうかもしれませんね」

「ところで、そこのハーフエルフ」


 嗜虐的な目線が、ノヴムの傍らで立っていたプルムに向けられた。


「今のうちにこんな萎びた貴族の家は出た方がいいぞ。折角活きのいいエルフの体なんだ。娼婦になりたくなきゃ、ウチの工場にでもきたらどうだ?」

「結構です」

「……ふん。人間未満の癖に。後から職が無いって泣きついても知ら――」


 首元にナイフを突きつけられたように硬直するシフォンを見て、ノヴムは殺意が漏れていたことに気付く。

 プルムを傷つけるような発言を聞くと、昔からこうだ。


 先祖代々には申し訳ないが、別にオルガヌム家が幾ら罵倒されようが構わない。

 だが、命を軽々と労働に帰る目前の豚は許しておけない。

 プルムを人間未満などと罵る目前の豚は、許しておけない――。

 

「プルム。客人はお帰りのようだ。お見送りしよう」

「……はい」


 落ち込むプルムの肩を叩きつつ、半ば追い出す様にしてシフォンたちを門の外まで“お見送り”した。

 馬車の扉が開くと、気圧された事実を上書きするようにノヴムを鼻で笑うシフォン。


「今に見てろ! 時代錯誤の底辺が!」


 その時だった。

 集団を擦れ違わんとしていた、見知らぬ一人の少女が不意にシフォンへ近づくのが感じられた。

 殺意。暗殺者ではなく、素人の足取り。

 ノヴムからは、その小さな手に、錆びた煌めきが見えた。

 

「おっと」


 偶然ぶつかったフリをして、少女の行く手を遮る。

 プルムより少し小さいくらいの背丈。まだ9歳くらいの子供だった。


「なんだぁ?」


 馬車に足を踏み入れていたシフォンは、ただ女の子が転んだだけのようにしか見えていない。

 自分を殺しに来たなんて、露とも考えていない。


「ああ、女の子が一人転んだだけですよ。お騒がせしました」


 ふん、と小馬鹿にする笑いを合図に、馬車は過ぎ去っていく。


「プルム様、血が!」

「軽い傷だよ。それよりも……」


 掌に書かれた赤い線を隠して、後ろめたそうに視線を逸らす少女と向き合う。

 錆びた包丁は、既に回収している。もとより、これ以上何かをする気は無いだろう。

 

「君はこの前、工場にいた……リセちゃんだったかな」

「……ご、ごめんなさい、お兄さんを傷つけるつもりは、ありませんでした」

「どうしてシフォンを殺そうとしたのか、話を聞かせてくれるかな」


 途端、悔しそうにリセの瞼から涙がこぼれた。


「お父さんと、お母さんを殺したアイツに……復讐したかった」

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