第6話 殺し屋、妹のようなメイドに泣かれる夜
「ノー、ヴー、ムー、さー、まああああ!?」
帰ったら、プルムにしっかり怒られた。
「なんですかドラゴンって! そんなのいなかったじゃないですか!」
「ごめんごめん」
「今まで何してたんですか!? ランド侯爵に何をされるか分からないんですよ?」
「えっと……ランド侯爵はね」
もうランド侯爵に怯える必要は無いんだよ。
と、安心させようとした時には、瞑った瞼から透明が零れていた。
「ぷ、プルム?」
「本当に、私心配してるんですからね……! 心配なんだからぁぁ!」
しゃっくり塗れの、外聞を気にしない嗄れた声。
縋る悲痛に過去を見た。幼き日のプルムを見た。
彼女の振動する後頭部が、ノヴムの心をノックする。
「だって10年前、いきなりいなくなっちゃったんだもぉん! あの時本当に、もう会えないんだって、ずっと帰ってこないんだって悲しかったんだからぁ……」
プルムは昔から、気丈だった。
プルムは昔から、よく笑っていた。
プルムは昔から、くだらない事でうるさかった。
プルムは昔から、くだらない嘘に騙されやすかった。
プルムは昔から、泣き虫だった。自分の為に、泣いてくれていた。
メイドであり、妹みたいな幼馴染の色褪せぬ顔に、月光が色彩を付与する。
反射する腫れた目は、ノヴムの奥を擽る。
10年前、ノヴムは父の死と同時に、とある理由で行方不明になっていた。
1年前、帰ってきたノヴムはプルムと再会できた。
9年という長い時間も、彼女の優しい心までは上書きできなかった。
「ごめんね。大丈夫。もう居なくならないから」
頭を撫でる。昔と同じで、撫でやすい位置に彼女の白い髪はある。
すると、少しだけ震えが止まる。昔と変わらない。
プルムがいるから、“家”なのだ。昔と変わらない。
『今まで、何してたんですか』
その質問にだけは、答えられない。
プルムにだけは、言えない。
“リヴァイアサン”――外道を殺す外道に自分は変わり果ててしまったなんて。
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「フンっ! フンっ!」
台所に戻るや否や包丁を片手に取り、見えない相手にイメージトレーニングを始めるプルム。素人丸出しの動きである。
「えっと……何やってるの?」
「決まってるでしょう!? ランド侯爵が不当に立ち退きを要求しようものなら! その時は天国のお父さんとお母さんに代わり、例え心臓をもがれようとも、ノヴム様を御守りしながら、差し違える覚悟でいますっ。フンっ! フンっ!」
「あ、ああ、その必要はないと思うよ」
ぽかんと、とするプルムに「だから包丁置いてね」と苦笑いでネタ晴らし。
外では既に騒ぎになっている事だから、伝えても怪しまれない。
「えっ、ランド侯爵、殺されたんですか!?」
「あと、最近の連続殺人事件もランドの仕業だった。ランドの家も、流石にここまで悪名が広がってしまったら、もうどうしようもない」
「良かった……と喜び辛いですね。“リヴァイアサン”のやっている事は、間違いなく悪なのですから」
迷いを振り切れないと言った様子で、口をもごもごさせるプルム。
「……ごめんなさい。正直、ノヴム様の昼の話を聞いても、リヴァイアサンがやってる事を否定しきれない自分がいます」
「そんなもんだと思うよ。ただ、心に留めておくだけでいいのさ。リヴァイアサンは、正しくないんだって事を」
「でも、一つだけ正しいと思えることがあります」
言いたい事を言えてスッキリしたのか、まだ少し腫れた目で笑顔を見せてきた。
この笑顔を見る度に、10年前に、まだ“みんな”がいた頃に帰ってきた気がする。
「それは今日もノヴム様と一緒に、夜を過ごせるという事です」
「プルム……」
「今日はどこにも行かないですよね?」
「うん、いかないよ」
どこかになんて行きたくない。本当は、どこにも行きたくない。
プルムとの平穏が詰まったこの屋敷に、ずっといたい。
食卓が恋しい。
「あのさ。一緒に食べない?」
ふいに零れた本音を取り戻そうと、紅潮して口を噤んだ。
覆水は盆に返らない。散った命と同じで、出た言葉は戻らない。
だから、素直に最後まで言う事にした。
「いつもプルム、俺が食べてる時仕事してるから。偶には一緒に食べたいなって」
「えっ、いいんですか!? じゃあ早速夕食を用意しますね!」
「俺も手伝うよ」
プルムの顔が咲いた。好きな顔だった。
今度はその横顔を見ていたくて、一緒に料理をするという名目で着いていく。
その際に見えた無防備なメイド服の背中。無邪気なクリーム色の後頭部。
今日、この背中は一歩間違えれば、血塗れになっていたのだ。
「……」
ランドを吹き飛ばした時、全細胞が針で刺されたような痛みを覚えていた。その後、プルムに取り繕うのは苦労した。
その痛みには、身に覚えがあるから。
“家族”が死んだときの、恐怖をそのままなぞっていたから。
怖かった。怖かった。怖かった。
「というか……そもそもこれって結婚してるのと同じなのでは……?」
と乙女モード全開の本音が漏れている事も聞こえないまま、後ろからそっと抱きしめようとする。
だが、止まった。
血濡れた自分の掌で、彼女を後ろから抱きしめる資格など、今更あるだろうか。
あるわけが無い。
もうノヴムは、プルムとは別次元で生きているのだから。
王国の腐敗を殺戮する、外道として死に果てるしかないのだから。
「よかった。何も無くて。今日も君と過ごせて」
だから、そう言うのが精一杯だった。
「何か言いました?」
「うん。やっぱり君、10歳くらいにしか見えないなって」
「ひ、酷い! だから私は結婚適齢期ではないと!?」
「何の事?」
これ以上は望まない。
シチューを作りながら膨らませる頬を見れたから、いい。
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