第98話 半球体の施設
列をなすゴブリンたちからゆっくりと遠ざかる。
彼らの行動には興味があるが、いつまでも見ているわけにはいかない。
ゴブリンが増える可能性があるからだ。
ゴブリンは夜行性だと思っていた。
いぜん攻め落とした集落で見たときは、たしかにそうだった。
だが、ゴブリンが農業をしているとなると話は別だ。
植物は日の光で成長する。
それに合わせて世話をしている可能性があるのだ。
狩りをする者は夜行性のままで、農業をする者は昼間働いているのではないか?
だからいま、うろついているゴブリンの数が少ない。そう予想できる。
ならば、急がねばマズイことになる。
目指す金属製のドームはまだ先だ。
日が昇る前にたどり着かねばならない。
音を出さぬように注意しながら、可能な限り速く駆けた。
木々の間を抜け、用水路を飛び越えていく。
やがて、崖の上から確認できた半球体のドームが見えてきた。
あれか……。だが、いるな。
ドームのすぐ手前、建物を守るかのようにゴブリンが立っている。
数は六。手には金属製の剣と盾、首には動物の角を加工した何かをヒモで吊り下げていた。
吊り下げているのはおそらく笛だ。危険を感じたら仲間に知らせるためのもの。
見張りか。
となると、ここはやはり重要施設に違いない。守るべきなにかがある。
あるいは、中に誰かいるかだ。
逃げ込み立てこもられてしまった。
外から開ける術がなく、出てきたところを捕まえるべく、ああして取り囲んでいるとも考えられる。
アシューテがいる可能性が高まってきた。
ここは外せない。しっかりと調べる価値がある。
とはいえ、どうしたものか。
ここから見えるゴブリンの数は六なれど、それはあくまで見えている範囲でだ。
建物の反対側が見えない。じっさいはもっと数が多いだろう。
チト厳しいな。
あの笛を吹かれる前に全部倒しきるのは不可能に近い。
からめ手でいくしかあるまい。
少し距離をとると、フトコロより歯をいくつか取り出した。
ゴブリンの歯だ。その数、12。これで一気にカタをつける。
歯を地面に落とすと呪文を唱えた。
土中からボコリボコリとゴブリンが湧きだすのだった。
ズキリ、こめかみに痛みが走った。
ム? なんだこの痛みは?
……一度に召喚しすぎたか? どうやら数に限界があるらしい。
なおのこと急がねばな。
すばやくゴブリンに指令を出す。
一匹をおとりに、他は背後に回って同時に襲わせるのだ。
「スマンな」
オトリ役のゴブリンの肩にナイフを刺した。
襲撃されて逃げてきたってシナリオだ。これで説得力が増すだろう。
好みではないやり方だが、そうも言ってられない。
ゴブリンが施設を回り込むように散っていく。
それからしばらくして、オトリ役のゴブリンがヨタヨタと歩き始めた。
フラリ、フラリ。フラリ。
オトリ役のゴブリンは、ときおり倒れそうになりながらも、施設にむかってあるきつづける。
名演技だ。
それに気づいた見張りのゴブリンが怪訝な顔を見せる。
いけ!
木の影から一斉にゴブリンたちが襲撃をかけた。
わたしが召喚したゴブリンたちだ。ここから見えないが、施設の反対側でも襲撃しているに違いない。
虚を突かれた見張りのゴブリンは、笛を吹く間もなく死んでいった。
素晴らしい戦果だ。
安全と思われる場所で、いきなり同種が襲ってきたことによる混乱もあったと思われる。
つぎは死体の片づけだ。剣、盾、笛、歯を奪って茂みに隠す。
それからゴブリンたちには奪った装備をそれぞれ身につけさせ、施設を守るように立たせた。
これで確実に時を稼げるだろう。
施設の周りをグルリとまわる。
金属でできた外壁には凹凸がなく、入口もない。
予想はしていたが、こいつはチト手こずりそうだ。
丹念に調べていく。
まずは外壁に唯一ついているナマリ色のプレートを見る。
金属製で壁にピッタリとはりついている。
プレートには『security room』と書かれていた。
残念ながら読めない。が、いまのところとっかかりとなりそうなものはこれだけだ。すみずみまでしっかりと調査していく。
あった! これだ!!
プレートには厚みがあった。小指のツメほどの厚さで、側面に赤い塗料でなにやら文字が描かれていた。
『F』だ。こいつはアシューテが探索するとき使うものだ!
いる!
アシューテはこの中に!!
コンコンと剣の
これで伝わればいいが。
コン、コココン――
楽器を奏でるように叩きつづける。
この旋律はアシューテがよく口ずさんでいたものだ。
知るのはわずかな人間のみ。これで私が来たと伝わるはず。
コン、コココン。
壁を叩き続ける。
中まで音が響いているか分からないが、とにかく叩き続ける。
ダメか?
東の空を見ると、のぼりかかった太陽が、あたりを照らしはじめていた。
いったん引くべきか? いや、見張りのゴブリンを殺してしまった以上、次の機会などいつになるか分からない。
そのとき――
壁からヌッと手がでて、私の腕を掴んだ。
アシューテか!
見えるのは白く、細く、美しい人間の手。
私がグイとその手を引くと、壁の中から美しくも懐かしい女が姿を現すのだった。
――――――
「一年ぶりか? 元気そうで何よりだ」
イスに腰かけ、女に語りかける。
女は部屋の奥へと向かい、グラスに氷を落としている。
ここは施設の中。
女に手を引かれ、中へとズブリと入ったのだった。
施設のなかはそれなりに広く、部屋もいくつかあるようだった。
いまいる部屋は、縦横あるいて十歩ほどの空間で、中央には本棚と机があり、その周囲には木のイスと布がはられたソファー、奥の壁にはぼやけた姿しか映さない巨大な黒い鏡が飾られている。
「ええ、おかげさまで元気。でも、最後にあなたに会ったのは三年前。相変わらずの用心深さね」
女はこちらに歩いてくると、グラスを手わたしてくれた。
バーボンか。琥珀色の液体から甘い香りがただよってくる。
「性分でね。とくに美人の誘いには気をつけるようにしている」
女の姿はアシューテそのものだ。
赤い髪にブラウンの瞳。話し方もあのころと変わっていない。
それでも確証が持てるまでは、気を許すわけにはいかない。
なにせここにアシューテがいるとの情報を伝えたのはセオドアだ。
やつにはゴブリンの幻を見せられたばかりだからな。
「ふふ、まだ美人と言ってくれるの?」
「ああ、もちろんさ。君はあのころと同じく美しい」
そう言ってグラスに口をつけた。
だが、酒は飲まないでおいた。確信に至るまでは、もう少し時間がかかりそうだ。
「パリト。ありがとう、来てくれて。じつは食べ物がもうなくなりかけてたの。さっきちょうど、そこの本でも齧ろうかと思ってたところ」
冗談の言い方も同じだ。
もう間違いないだろう。彼女はアシューテ、やっと見つけ出せた。
「では、本にとっても私は命の恩人だな。どんなお礼がもらえるか今から楽しみだ」
「ふふ、本のお礼。どんなものかしらね? ためになるお話でも聞かせてくれるのかしら?」
アシューテが無事でよかった。まあ、彼女は強い女。そこまで心配してはいなかったがね。
しかし、気になることはたくさんある。どうやってここに来たか、どうやって手紙を送ったかなど、不明な点を聞いておきたい。
「本とお話しするのはまた別の機会にさせてもらうさ。まずは君の話だ。順を追って説明してくれるか?」
「ええ、そうね。あれは――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます