第80話 声の主

 この声は……。


「大将、マイコニドは胞子を飛ばして仲間を増やすんだ。吸った人間はああしてキノコ人間になっちまう」


 なるほど。

 あの姿も元は人間か。胞子を吸ってああなってしまったと。

 だから人と同じように言葉を発するのか。

 

 しかし、問題はなぜ私の名を呼んだかだ。

 坑道に入ってから誰も私の名を呼んでいない。

 ここにいるフェルパは、そもそも名で私を呼ばない。

 たとえ言葉が話せようとも、知らない名は呼びようがない。


「おまえは誰だ」


 声に心当たりはあった。だが、確信が持てるまではこちらから言うべきではない。


「私よ……シャナよ」


 やはりシャナか。ジャンタールに入って一度も見かけなかったが、こんな所にいたとは。

 声のでどころを探る。

 のそりのそりと近づいてくるマイコニド――ではない。

 壁ぎわの胞子の山、必死で這い出そうとするも動けないでいる人影を発見した。

 あれが彼女だ。


「フェルパ、治療法は?」


 マイコニドに向けてスローイングナイフを投擲しながら尋ねた。

 頭部、胸部、足へとナイフは刺さったが、マイコニドは特にひるんだ様子もなく、ヨチヨチと歩いてくる。

 ダメだな。もう人としての感覚はないらしい。


「胞子を吸っただけなら街の施設で治療できる。だが、ああなったらもう手遅れだ。元には戻せない」


 そうか。

 大きく息を吸うとマイコニドに斬りかかった。

 足を切り落とし、その横をすり抜ける。


「ええ! ウソだろ!!」


 背後でフェルパの声が聞こえるが、今はそれどころではない。

 シャナへと駆け寄ってみれば、彼女は胞子で覆われとても人間には見えない。

 まるでカビの生えたミカンだ。


 胞子を吸わぬよう呼吸を止めたまま手で払いのける。

 黄色と緑が混じった白い粉まみれの顔がでてきた。美しかった以前の姿はまるでないが、確かにシャナだった。

 くちびるはヒビ割れ、目は白濁し、残された時間が少ないことも分かった。


「パリト……」


 それでもシャナは、かすれるような声で私を呼んだ。

 返事はしない。軽くうなずくと彼女を持ち上げ、肩へとかつぐ。


「マジかよ。持って帰るつもりかよ」


 ああ、連れて帰る。

 手遅れなら、それはそれで仕方がない。

 こんなところで死ぬよりかはマシだろう。魔物になるならキッチリ私が引導を渡してやる。


 わたしも胞子を吸ってしまうかもしれない。

 だが、かまわない。街で治療できるならそれでいい。


 チラリと胞子の山を見た。

 たぶん、シャナの他にも埋もれているだろう。

 不自然な盛り上がりがいくつも見られる。

 数人、いや、数十人が埋もれているかもしれない。


 すまんな。

 心の中で詫びを入れると、廃坑の出口へ向けて駆けだした。




――――――



 坑道を走り続ける。背後を振り返ると、少し離れてついてくるフェルパの姿が見える。

 飛び散る胞子を少しでも吸わないようにしているのだろう、距離をとるだけでなく布で口元をおさえていた。

 悪いなフェルパ。たぶんもう手遅れだ。

 おまえにも施設での治療に付き合ってもらうぞ。


 やがて分岐点が見えてきた。

 坑道の奥へと続く道、出口へと向かう道と二本に分かれている。

 とうぜん出口へと向かう。


 ……なんだ?

 ちょうど分岐点へ差しかかったとき、奇妙なざわめきを感じた。

 足を止め、耳をすます。

 なにかが坑道内を動き回っている?

 マイコニドが追ってきているのか?

 いや、それだけではない。

 もっと大量のなにかだ。

 それも気配を感じるのは坑道の奥の道だ。

 

「フェルパ! 急げ!」


 出口へ向けてふたたび走り始めた。

 フェルパも危険を感じたのだろう、口元を覆っていた布を捨て、しっかりとついてくる。

 その間隔はさきほどより近い。

 胞子など気にしてられない状況だと悟ったのだ。


 出口に向けてひた走る。

 腰につけたランタンが揺れて、坑道の壁をあちらこちら照らしている。


 ザッザッザッ。

 背後に迫る足音が聞こえてきた。

 速い! まだ距離はあるが、確実にこちらへ向かっている。


 前方に明かりが見えた。

 坑道の出口だ。リンとアッシュの姿も見える。


 だが、様子がおかしい。

 何者かと戦う姿が見られた。


 あれはゴブリン!

 リンとアッシュは二匹のゴブリンと交戦中だった。 

 そして、すぐそばには、いつ来たのであろうかトロッコの姿もある。


「トロッコに乗れ!」


 戦いの最中だが、ゆうちょうに構えているヒマはない。

 首筋をチリチリと刺激する感覚が、このままでは危ないと私に告げている。


「パリト! こいつらトロッコから――」


 リンと対峙するゴブリンに横から斬りかかった。

 ゴブリンはヒラリと跳躍して剣をかわすも、私はさらに踏み込んで胴を寸断した。


「いいから乗れ!」


 リンが言いたいことは把握した。

 私とフェルパが留守にしているとき、ゴブリンが二匹がトロッコに乗ってやってきたのだ。

 自然に動くのかゴブリンが動かしているのか分からない。

 しかし、トロッコはちゃんと稼働しているようだ。


 シャナをトロッコに放り込む。少々乱暴だったが、いたしかたない。

 それからすぐにもう一匹のゴブリンに斬りかかる。


 今度は楽だった。

 フェルパがゴブリンの足を突き、動きを止めたところですかさず首をはねたからだ。


「ええ、どういうこと?」


 トロッコに乗るよううながされただけでなく、見ず知らずのシャナを私が担いできたことにもアッシュは戸惑っていた。

 しかし、フェルパがトロッコに飛び乗ったのを見て、ただごとではないと悟ったようだ。

 すぐさま荷台へ駆け寄り、持てるだけの物資をかかえると、自分もトロッコに飛び乗っていた。


 チャッカリしてる!

 持った物資の中には、ゴブリンから手にいれた杖もある。


 リンももう乗っている。あとはロバか。

 荷台は捨てていくしかない。


 不安そうに坑道の奥をながめるロバに駆け寄ると、腹の下に頭を入れ、一気に持ち上げる。


「うわ!」

「すご!」


 これまた乱暴にロバをトロッコに放り込むと、トロッコの背後に回り、力任せに押しだした。


 ギッ。

 トロッコは走りだす。

 坑道の暗闇から聞こえてくるザッザッザという音は、ドドドドドという音に変化していた。


「うわわわわ!」

「ちょ、なに!?」


 音の主は、もう外の光が届くほど迫っていた。

 振り返ると、すさまじい数のゴブリンがこちらに向かって押し寄せていた。


「うおおおお」

「なに、あの数!」

「アニキ、はやく、はやく!!」


 わかっている。

 トロッコにさらに力を込めて押す。

 徐々に加速してゆくトロッコ。施設へと向かう下り坂にもう差しかかる。


 カッ!

 トロッコの壁面に固い何かが当たった。


 ゴブリンの吹き矢か。

 これはマズイ。

 地面をひと蹴りトロッコを押し進めると、さらにもうひと蹴りトロッコに飛び乗った。

 

 ドガガガ。

 ゴブリンたちが投げたのであろうヤリがトロッコに当たる音がする。

 間一髪、私は当たらずに済んだようだ。


 トロッコはグングン加速していく。

 追いすがるゴブリンたちを、あれよという間に引き離していく。


「うわー」

「凄い数」

「アリ塚つついたみたいだな……」


 フェルパの言うように、廃坑からすさまじい数のゴブリンがあふれだしてくる。

 その数はとどまることを知らない。

 二百や三百ではおさまらないだろう。


「間一髪、間に合ったな」


 もう追いつかれることはない。余裕をもってゴブリンたちを観察できる。


「間に合ってねえよ。どうすんだよ、そんなの持って帰って来てよう!」


 フェルパはシャナを指さしそう言った。

 いや、すまんな。さすがに知り合いは見殺しにはできん。

 それになぜこうなったかも聞いておきたい。

 言っては悪いが、シャナたちが自力でここに辿り着ける可能性は極めて低い。

 なにかしらの理由があるはずだ。


「ねえ、アニキ。その人誰なの?」


 雨はまだ降っている。

 シャナについた胞子を洗い流して、さきほどよりかは顔がよく見えた。


「知り合いだ。その話は落ち着いたらまたするさ」

「ふ~ん、キレイな人ね」


 リンが横からチクリと刺してきた。

 いや、そういう話ではないが。


「なあ、オイ。これどうやって止まるんだ?」


 フェルパの言葉にみな顔を見合わせた。

 そういえばこのトロッコ、ブレーキがついていなかったような。


 周囲の景色はすさまじい勢いで後ろに流れていく。

 トロッコはただひたすら加速しているようだ。


「なにかにぶつかれば止まるさ」

「すっごく、痛そう」

「上り坂になったら自然と止まるんじゃない?」


 焦ったところで、もうどうなるものでもない。

 フェルパ君、ときには割り切りも必要なのだよ。


「いいよな、ノンビリしてて。お前らはそのヨロイ着てるもんな!」


 トロッコはゴトゴト、われらを乗せていくのであった。

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