第76話 獲物の解体

 軽く血抜きをしたイノシシを肩に乗せて歩いていく。

 野営地までそこまで遠くない。少々重いが、休憩なしでたどりつけそうだ。


「アニキ、よくそんなの持てるね」


 アッシュが乗せたイノシシを見上げながら言う。

 たしかにこの大きさのイノシシを担げる者は、そうそういないだろう。


「おまえも大きくなったら持てるさ」


 根拠はないが、とりあえずそう言っておく。 


「いや、ムリだよ。どう成長してもそうはなんないよ」


 まあ、そうだな。重いものを担げる者と行動を共にしたからといって、自分も同じになるはずもない。


「それでいいじゃないか。わたしと同じことをする必要はない。持てないならそのぶん知恵を使えばいいだけだ」


 できることが必ずしもいい結果に結びつくとは限らない。

 できないからこそ知恵を絞り、別の方法を思いつく。その方が何倍もいい。

 重いものを持てたとしても、それは自分だけだ。

 誰もが運べる手法を思いつけば、全体の効率は格段に上がる。

 人類はそうやって発展してきた。


「ふ~ん」


 ところがアッシュは気のない返事だ。

 イマイチ刺さらなかったようだ。若者は難しいな。


 やがて野営地が見えてきた。

 火おこしやらなんやらと、リンに説明しているフェルパの姿がある。


 そっちはそっちで学びの機会だな。

 持ってきた携帯燃料はなるべく使わないよう伝えている。

 昔ながらのやり方――すなわち地下五階にある資源だけでどう乗り切るかを考えながらやっていくつもりだ。


「お! 帰ったか……ってオイオイなんだそれ」

「うそ! 肩になんか乗ってる」


 野営地へ近づいたところで、私の肩に乗せたイノシシを見て、フェルパとリンが驚いていた。


 なにと言われてもイノシシだが。

 荷台がないからこうして担ぐことになっただけだが。


「アッシュが仕留めた。燻製くんせいにすれば数日分の食料になる」


 今日食べきれない部分は保存食にしておこう。

 食料にゆとりがあれば、こころにもゆとりが生まれる。


「ほう、アッシュがねえ。やるじゃないか」

「へ~、ちょっと見直したわ」


 フェルパとリンは素直に褒めていた。

 対するアッシュは「ちょっとってなんだよ」と呟いていたが、表情を見るにまんざらでもなさそうだ。

 よかったな、アッシュ。


「これから解体していく。フェルパ、川は使えるか?」


 あの蛇みたいなのがいれば川は使えない。

 汲んだ水で処理するしかない。だが、それは避けたい。しっかりと処理しないと腐敗や病気の原因になる。


「ああ、問題ない。ここいらの支流は川底も浅く、脅威となる魔物も泳いでこれない。血を洗い流すにゃもってこいだ」


 それならば安心だ。

 予定通りここで解体できそうだ。

 とはいえ少し下流にいく必要はあるがな。

 猛獣や魔物に血の匂いを嗅ぎつけられでもしたら厄介だ。


「アッシュ、行くぞ。肉の処理のしかたをしっかり覚えるんだ」


 狩りと解体はセットだ。絶対に覚えてもらわなきゃならない技術である。

 拠点にいつでも戻れるとは限らない。その場で処理する方が圧倒的に多いんだ。


「なんか親子みたい」

「ハハ! たしかにな」


 下流へと向かう我らを見て、フェルパとリンがなにやらヒソヒソと話している。

 聞こえているぞ。

 つまらんことを喋っていないで作業に集中してもらいたいね。


「しかし、よくあんなデカいの担げるよな。人間なのかあれ?」

「たぶんロバより力持ちよ」

 

 遠ざかるにつれ、そんな彼らの言葉もやがて聞こえなくなった。





「ここにしよう」


 アッシュにそう告げると、肩からイノシシをおろした。

 川には砂利じゃりが増え、その隙間を水が薄く流れている。

 奥には幅も狭く、底が見えるほど透明な水の流れもある。

 理想的だ。

 敵対生物がいないことが一目でわかるだけでなく、イノシシを下に置いても流れていかない。穴を掘ればしっかりと水もためられるだろう。


「まず汚れを落とす」


 砂利の上に置いたイノシシに、桶で汲んだ水をかける。

 毛皮についた葉っぱやドロを流していくのだ。

 これが解体前の下準備となる。


「次は木に吊るす」


 ロープでイノシシの両足をくくると、手ごろな木の枝に引っかけ吊り上げる。

 なかなか大変だ。なにせ私より重いのだ。普通に引いても持ち上がらない。

 木の幹を支えにして、腕力で吊り上げるしかない。


「それがまずムリ」

「だから私がやっている」


 アッシュがなにやら言っているが、ムリなことぐらい分かっている。

 あくまで手順だ。大きさが変わってもやることは変わらない。

 普通はこんな大きな獲物なんて狙わない。自分のさばける大きさを狙うんだ。

 そのときの参考だと思ってくれればいい。


「どんな獲物も手順はだいたい同じだからよく見ておけ。つぎは内臓だ」


 解体用のナイフで腹を裂いていく。

 まず取り出すのは肝臓、心臓、腎臓。これは新鮮だから食べられる。色を見て病気がないかどうか判断する。


 つぎは胃やら腸やらの消化器系だ。

 これらは捨てる。だが、やぶかないように丁寧にだ。

 中身が肉につけばそこから汚染する。注意が必要だ。


「アッシュ。捨てるときは穴に埋めるんだ」


 魔物や猛獣を呼び寄せないための配慮のひとつだ。

 野生生物は鼻がいい。けっきょく嗅ぎつけられるが、その可能性を少しでも下げる。やらないよりやったほうがいいに決まっている。


「つぎは洗浄と冷却だ」


 吊ったイノシシをいったん下す。

 そして川に漬け込むと、血やら脂やらを洗い流していく。


「アッシュ、その窪みの穴を広げておけ。イノシシがしっかりとかるようにな」


 砂利を流れる川の部分。くぼんで水が溜まっているところにイノシシをひたす。

 冷却だ。

 死んだばかりのイノシシはまだ温かい。

 臭みを抜くためにもしっかりと冷やしてやる必要がある。

 ほんとうは死んで体が固まるのが解けるまで冷やしていたほうがいいのだがな。

 二日ほどか。

 それまで待っていられないしな。

 今はすこし待ってから肉の切り分け作業にうつるとするか。

 ああ、そうだ。その前に手足を切り落とし、皮を剥がねばならないな。

 皮は今回は捨てるか。

 活用するには時間が足りない。乾燥させナメしてなどのんびりやってられないからな。


「けっこうメンドウなんだね」

「そうだ。本来は手間がかかるものなんだ」


 ジャンタールでは食材としてでてくるものも、誰かが処理したものなのだろうか?

 それとも、その状態として突如発生させる技術でもあるのか。


 ……わからんな。考えても答えは出ない。


「冷やしている間、これを食うか。うまいぞ」


 食べるのはさきほど取り出した心臓、肝臓、腎臓などの臓器だ。

 新鮮な今なら焼いて食える。

 狩りをしたものの特権だな。


「なんか気持ち悪い」


 まだ血色の良い臓器を見てアッシュが顔をしかめる。

 え~、これ食べるの? などとブツブツ言っている。

 箱庭育ちだな。まあ、それもしかたがないことか。


「焼けばまた変わってくるさ。匂いだってな」


 アッシュの肩をポンと叩くと、かまどの準備をしているフェルパたちのところへ戻るのだった。

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