第69話 調子のいい男
ガサリと音がした方に目を向ける。
するとそこには、人の形をした何かがいた。
身長は私の胸ぐらいで、服は着ておらず、全身真っ白。目や耳や鼻など一切なく、そのかわりに大きな穴が開いている。
おおよそ人とは思えない奇妙な物体であった。
……いつの間に。
奇妙な人型との距離はわずか十歩ていど。まったく気配を感じなかった。
まさかこの距離まで接近を許すとは。
ブルリ。
奇怪な人型は体を薄気味悪く震わせたかと思うと、両手を伸ばしてきた。
と同時に体が縦に割れ、なかから鋭い歯のようなものをいくつも覗かせる。
体全体が口か。
さぞかしたくさん食べるのだろうな。
悪いが食料になる気はない。
私は不自然に伸びてくる腕を切り落とすと、間合いをつめ横なぎの剣を放つ。
一瞬ぶにゅりと抵抗を感じたが、奇怪な人型をきれいに両断した。
切断した上半身は回転して落ちる。顔に開いたいくつかの穴から血のようなものがドププと漏れる。
仕留めたか? いや、まだ安心するのは早い。
追い打ちとばかりに両断された上半身、下半身それぞれに剣を数度突きいれた。
この手のどこが致命傷になるか分からない物体は、念入りに破壊しておかないとな。
「大将、もういい。死んでる。ジェムまでバラバラになっちまう」
もう少し破壊しておこうかと思った矢先、フェルパに止められた。
そうか、ジェムか。これまでと違い、死体から自分で取り出す必要があったな。
「丁寧に殺しすぎだ。もう原型が残ってねえよ」
フェルパは奇妙な元人型に近づいてくと、残骸の中から足らしきものを拾いナイフを突き立てた。
「コイツは足の裏にジェムが埋まっていてな」
フェルパの言葉通り、皮膚の切れ目から黄色のジェムが姿を見せる。
ほう、そんなところにジェムが。
教えてもらわないと、なかなか発見が難しそうだ。
ジェムは心臓近くにあると言うが、全身口なら、その心臓があるかすら不明だからな。
「フェルパ、お前は先ほど精霊がどうとか言っていたな。コイツがその精霊か?」
精霊の橋渡しだったか? 向こうに渡ったか、こちらに来たかが問題だとも言っていた。
「いや、違う。こいつはナナシだ。いつの間にか忍び寄っている厄介なヤロウだよ」
違うのか。
しかし、厄介なのはフェルパの言う通りではある。
迷宮ならいざしらず、広い場所でこの気配のなさは脅威だ。
無防備なところを襲われてはたまったものではない。
今後はより注意を払う必要がありそうだ。
「反応が速いのは助かるんだが、速すぎてついていけねーよ。精霊はほら、あっちだ」
ブツクサと文句を垂れるフェルパが指さす先には、凍った川の上をのっそりと渡る人型の木がある。
あれが精霊?
「あっち行っちまうな。とりあえず一安心か。何の精霊かは知らんが魔法を使う厄介なヤロウだ。出来れば避けたい相手だね」
これまた厄介な相手か。そんなものばっかりだな。
たまには楽に勝てそうな相手を見つけてもらいたいね。
これでは探索するのもジェムを稼ぐのも難儀しそうだ。
精霊とやらはこちらに気付いた様子もなく、ぎこちない動きで橋の上を渡っていく。
よく見れば白い息を吹きかけ、氷の橋をさらに強固なものへと変えているようだった。
そうか、あの精霊は物を凍らせる魔法を使うのか。
橋も彼らが作った物。その様子を精霊の橋渡しと呼んでいるのだろう。
「弱点はあるのか?」
フェルパにたずねた。
いまは大丈夫だが、いずれ戦う場面に出くわすかもしれない。
いざというとき慌てぬよう対策は練っておきたい。
「おいおいおい。戦う気か? やめとけ、あいつらはな――」
「あ!」
声を出したのはアッシュだった。
すぐさま彼の視線の先へと目をむける。
川を渡る精霊のすぐ横、水面が大きく盛り上がっていた。
なんだ? と思ったのも束の間、巨大な蛇がザバリと顔をだし、そのままパクリと精霊を飲み込んでしまった。
蛇の大きさは尋常ではない。
精霊が作った氷の橋ごと丸飲みだ。
その後、蛇は水面に頭を沈めると、胴体、尻尾と長い体を順番に見せながら水の中へと消えていった。
目測では精霊の大きさは私より二回り大きいぐらいか。
それを小魚でも飲み込むかのようにするとは、蛇の大きさはオーガどころの話ではない。
唖然としたまま、しばしの時が流れる。
ただ砕けた氷の残骸が、ゆっくりと川を流れていった。
ゴクリとリンが唾を飲む音が聞こえた。
「ね、ねえ、フェルパ。何よあいつ」
「……蛇だ」
「そんなの見りゃ分かるわよ。何なのよあの大きさ!」
「知るか! 俺だって知らないことは山ほどある!!」
これまで比較的冷静さを見せていたフェルパだったが、いささか感情的になっているようだった。無理もない。あんなものを目の当たりにしてはな。
あいつと戦うのはムリだな。到底手に負えるシロモノではない。
せめてもの救いは水の中にいるってことだ。
まさか陸まで追っては来ないだろう。
――ただ、問題は。
「ねえ、水、どうすんの?」
アッシュの言葉に、リンとフェルパはハッとした表情を見せた。
そうなのだ。問題は飲み水が尽きかけてること。
あんなものがいる川では、おちおち水汲みなどできようハズもない。
――――――
桶にロープを結び、川に投げ込む。それからロープを手繰り寄せると、バシャバシャと水をこぼしながら桶は手元まで来た。
これではダメだな。ぜんぜん残っていない。
水汲みだ。分かってはいたが、とりあえず試してみた。
残り少なくなった飲み水の確保、是が非でもしなきゃならない。
釣りの要領でいくか?
そこらで切った木を竿がわりにして、先端にくくりつけた桶で水をすくう。
これなら、あるていど距離はかせげる。
問題点として、すさまじく重いこと、やたらと時間がかかることだ。
まあ、なにごともやってみてからだな。
手ごろな木を切って先端にロープ、そして桶をくくりつける。
それから川へと投げ込んだ。
竿を持ち上げると予想通りかなり重い。竿がわりにした木がミシミシと音を立てている。
「そんなまどろっこしいことしてないで、サっと汲んで、サっと逃げればいいんだよ」
フェルパがなにやら勇ましいことを言っている。
たしかにまどろっこしいが、危険を考慮した結果だ。
一度や二度ならそれもいいだろう。だが、人間だけじゃなくロバが飲む水も必要だ。相当数汲まねば確保できない。
「それ誰が汲むの?」
「誰がって、そりゃあおまえ……」
アッシュに的確に突っ込まれていた。
そこまで言うのならフェルパ、お前がやれって話だ。
「クジで決めよう」
ところがまさかのクジだとフェルパは言う。
意外にセコイやつだな。本当に騎士だったのか?
「調子のいい男ね」
「ほんとうはイカサマ師だったんじゃないの?」
とうぜん、リンとアッシュに突っ込まれていた。
たしかにイカサマ師ってのはピッタリだな。フェルパのために作られた言葉といっていいぐらいだ。
「いやいや、こういうのは公正にだな……」
そう言ってフェルパは袋をとりだした。
「この中にジェムを赤、黄、青一個ずつ入れる。そして、取り出したのが赤なら大将。黄色ならリン。青ならアッシュってのはどうだ?」
「フェルパは?」
とうぜんの問いだ。フェルパが入っていない。
「ムーンクリスタルが出たら俺だ」
「出るわけないじゃん!」
「カスね。アンタはカスよ」
総ツッコミだ。
楽しそうでなによりだよ。
まあ、オチもついたことだし、ひとつ提案するか。
「ゴブリンを使うのはどうだ?」
このようなことで消費するのはもったいない気もするが、一番丸く収まりそうな案ではある。
どうせ召喚のしかたで確かめたいこともあったしな。
むしろ使いどころかも知れない。
「それだ!」
「たしかにそうね」
「フェルパでいいのに……」
若干一名反対してそうだったが、提案は可決された。
ゴブリンを見張りとして召喚すると、水汲み、水が飲めるかの毒見、そして偵察とコキ使うのだった。
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