第60話 ゴブリン村の様子
「こういうのは斥候役がするんじゃないのか?」
フェルパは偵察を拒んでいる。というか、べつの誰かに押しつけている。
なんとも頼りない騎士様だこと。
「斥候役は嫌か? ドロ臭い仕事が得意ではなかったのか?」
「え、いやまあ、そうなんだが……」
サラリとイヤミを言うと、フェルパは口ごもった。
まったく。自分で言ったことには責任を持ってもらいたいね。
まあいい、最初からフェルパ一人に任せるつもりはなかった。たとえ偵察させたとして、報告内容にまだ信用がおけないからな。
みなで退路を確保しつつ、リンに任せるのが無難か。
ほんとうは、私自身がいきたいところなのだがな。
「いいだろう、斥候役はリン。村のようすを探ってもらう。ただ、外の世界になれるいい機会だ。退路を確保する意味も含め、みなでいく。出発は夕刻、それまで休息とする」
時計を見ると、まだ昼過ぎだった。
一度階段を下りて、太陽の動きと日の入りの時刻を確認しておかないとな。
――――――
息を潜めて草原を歩む。身を屈める私の鼻をくすぐるのは、緑に茂った夏草だ。
ほのかに香る青臭ささと、ときおり姿を見せる小さな虫が、なんとも懐かしく感じさせる。
前方の大きな木は、沈みゆく太陽に照らされ長い影をつくっている。
もうすぐ日の入りだ。すぐに真っ暗になるだろう。
後ろからフェルパの息遣いが聞こえてくる。
その音は、ゆっくり小さく、一定のリズムを刻んでいる。
ずいぶんと落ち着いている。さすがに経験者といったところか。
「かなり北寄りだな」
そのフェルパがポソリと呟いた。
懐中時計に目をむけると、方位を示す赤い印が北西をさしていた。
フェルパが主に探索していたのは南側なのだそうだ。だから、このあたりにゴブリンの集落があることは知らなかったらしい。
たしかに、地下四階への階段がもっと南で、そこからさらに南に地下五階への階段があるとするならば、ここは北寄りとなる。
フェルパが集落を知らなくても不自然はない。
そして、フェルパが言う「北寄り」にはもうひとつ理由がある。
この雑貨屋で買った懐中時計だ。
首から吊るせるような銀のクサリと、片手におさまる大きさの円盤。
円盤には淡い緑の光で輝く文字盤と、長さの異なる三本の針、そして、座標を示すxとyの文字列がある。
フェルパによるとxが東西で、yが南北を表すようだ。
いま表示されているのはx36.46とy225.77。
つまり、y225.77はかなり北へと進んだ場所だと判断できる。
まあ、地下五階の中心がx0y0かどうかも、端がどこかも分かっていないらしいが。
とはいえ、目安にはなるし、方位も分かるのは非常にありがたい。
わたしは、星の配置をまだ把握していない。
迷宮は地下。星を見る機会などないだろうと、覚えるのは後回しにしていた。
その弊害がここにきて出てしまった形だ。
これからは積極的に覚えていかないとな。この懐中時計は便利だが、ものに頼りすぎると、いつか足をすくわれる。
最後に頼りになるのは、けっきょく自身で得た知識と経験なのだから。
それにしても、この星の配置。
ずっと気になっていたことがある。
――月だ。ジャンタールには月がない。
星は無数に
昼間、太陽の光で月が見にくいことは確かにある。
だが、それとは違う。
月そのものが存在しない。
そんなことがあり得るのか?
とはいえ、この月が見えないことこそが、ここがまだ迷宮内だと納得できる要因でもあるのだが。
「あれか、集落は」
小高い丘に来たころ、ゴブリンの集落が見えてきた。
フェルパはわたしの脇まで来て、しゃがんだまま小さく前方を指さした。
「ああ、小さい小屋がゴブリン、大きい小屋がオーガだ」
ここから見える集落は、以前と変わらないような印象を受ける。
小屋からなにかが出る様子も、見張りをたてている様子もない。
不気味なほど静まり返っている。
ちと、気がかりだな。
やつらと戦ったのは、つい先日だ。またやってくるかもと警戒していてもおかしくないはずだが。
見張りをたてるほどの知能がないとも思えない。
これだけの住居をつくるほど、発達してしているのだから。
「アッシュはここで待機。階段までの道を確保しておいてくれ」
もし、なにかあったらすぐに退却する。
アッシュはそのための退路の確保と、追っ手を牽制する重要な役目だ。
もし、わたしがゴブリンなら、今度は逃げられないように階段への道をふさぐだろう。
アッシュを残して三人となった我々は、さらに北西へと進んでいく。
今の時点でワナは見つけていない。広すぎて効率が悪いから設置していないのだろうか?
だが、階段下りてすぐにワナがなかったことは気がかりだ。
あそこは必ず通る場所。
ワナを設置するならば、一番効率がいいはずなのだが。
まあ、ワナなんぞ仕掛けてもまた迷宮に逃げ込まれてしまうか。
捕縛ワナだとしても誰かに助けられてしまうだろうし、あまり意味がないのかもしれないな。
なにせこちらは手先が器用な人間だ。集落から距離がありすぎれば、一撃で仕留めるワナでもない限り解除してしまう。
「フェルパはここで待機。この先は私とリンで進む」
退路の確保にもうひとり置いていく。
危険があれば懐中時計で信号を送る手はずだ。
うすく光る文字盤を手で細かく遮るようにして点滅させれば、撤退の合図だ。
集落にかなり近づいた。
もうあたりは真っ暗だ。ワナが見えにくくなる。さらに慎重に進まねばならないだろう。
「リン。ムリはするな。危険だと感じたらすぐ引きかえせ」
ここから先はリンの役目だ。
外の世界にまだ慣れていないリンに任せるのは不安だが、これから先を考えるとそうも言ってられない。
慣れるならすこしでも早くだ。
「――いや、やっぱり待て。なにかおかしい」
送り出そうとしたところで呼びとめた。
村の様子に少し変化があったからだ。なんというのか、淀んでいた空気が流れ出したというか。
「リンはここで待機。私が様子を見に行く」
さすがにこの状態で送り出すわけにはいかない。
みずから、気配を殺し集落に近づいていく。
――あった。くくり罠だ。
途中、若木のふもと、草に隠れるように置かれたロープを見つけた。
こいつは木のしなりを利用したワナだ。獲物が足を入れるとロープを締めあげるようにして引き上げる。古典的ではあるが、作りやすく効果も高い。
つぎに見つけたのは鳴子だ。
木と木の間にロープが張られ、そこに何かが触れると、ぶら下げたものが鳴る。
貝殻や乾いた木を利用することが多いが、こちらは動物の骨を使っているようだ。
ふむ。ワナはジャマだが、見つけて逆に安心か。
少なくとも、いま誘い込まれている可能性は少なくなった。
そして、さらに集落に近づいていくこと少し。
空気の変化の理由が分かった。
ぞろぞろとゴブリンどもが小屋から出てきたのだ。
こちらに気づいたわけではない。
水を飲むもの、用を足すもの、なにかの作業を開始するものと、さまざまな動きを見せ始めた。
なるほど、夜行性だ。
ゴブリンは昼間寝て、夜活動を始める。
日が落ちた今がゴブリンの活動時間というわけだ。
そっと、気配を殺したまま集落から離れていった。
襲撃するなら昼間だ。今じゃない。
それに、ゴブリンの数が予想以上に多い。
姿を見せたのは五匹ほどだったが、気配はもっと多く感じた。
まだ、小屋の中にたくさんいるのだろう。
リンと合流すると、これまで来た道を引きかえしていく。
撤退の合図はださない。あれは緊急用だ。
光を見られれば、我らの存在がバレる。それぐらいの知能は持っているだろう。
途中何度か振り向いてゴブリンの動きを観察した。
ヤリを持って南へと向かう集団がひとつ。同じく西へと向かう集団がひとつ。
おそらく狩りだ。
ゴブリンは集団で狩りを行っているのだろう。
だから、昨日は数が少なかった。
ここはこれまでの迷宮とは違う。
みな、獲物を狩り、食事をし、睡眠をとる。
生命の営みを感じるのが地下五階なんだろう。
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