第43話 悪意

 迷宮を進んでいく。

 現在、地下二階を歩いているところだ。だが、その足取りは軽い。

 リンだ。彼女は地下三階まで潜ったことがあるらしく、探索の手間がはぶけているのだ。

 とはいえ、彼女は地図を持っていなかったため、自分たちで描く必要がある。

 階段までのルートを聞きながら、その周辺を埋めていく形だ。


 また、リンは索敵能力が高い。音や振動を検知するのに長けている。

 そして、床に残る痕跡を見つけるのもうまい。

 私も索敵や獲物を追跡するのは得意な方だが、ここは少々勝手が違う。

 なにせ土のヘコミ、草の折れ、そんなものとは無縁の場所だからだ。


「止まって! ここを見て」


 さっそくリンが何かを見つけたらしい。

 彼女が差し示す場所に目を向けると、うっすらと足跡が見えた。

 動物だな。四足歩行。コボルドか!


 この迷宮では一定の時間が過ぎると、物や痕跡がなくなる。足跡が残っているならば、本体は近い可能性が高い。

 だがリンの訴えたいことはそこではない。

 点々と続く足跡が、ある場所で忽然と消えているのだ。


 ――コイツは落とし穴だな。

 いずれ出てくると思っていたが、ここでか。

 古来より落とし穴とはワナの代表みたいなものだ。

 いつくるか分からない侵入者を撃退する最も有効な手段。


 だが、疑問も残る。

 落とし穴を誰が元通りにしたんだ?

 落ちたばかりなら穴が開いていなければならないはず。

 しかし、穴など全く見えない。物がなくなるのと同様、自然に閉じるのか?


 ――確かめて見るか。

 ロバの背からハンマーを取り出す。

 狂信者から奪ったハンマーだ。一本だけならと売らずに置いていた。


 そのハンマーを足跡が途切れていた場所めがけてポンと投げる。

 パカリ。

 床にハンマーが触れた瞬間、落とし穴が姿を見せるのだった。

 やはり落とし穴か。

 ハンマーは穴へと落ちていく。

 その後、しばらくすると開いた床は静かに閉まり、なにごともなかったかのような元の通路となった。


 コイツは厄介だな。

 存在を見極めるのがかなり難しい。穴の深さがどの程度か分からないが、落ちたらタダではすまないだろう。


「アッシュ。しっかりと場所を記しておけ」


 引っかかることのないように気をつけなければな。


「ムダよ」


 ところが、リンは首を振る。

 ムダ? 位置を記すのがなにゆえムダなのか。


「なぜだ?」

「落とし穴の位置はね、移動するのよ」


 移動? まさか……。


「こうしてしばらくは同じ場所にあるの。でも、次の日来てみるともう落とし穴はない。それどころか、いままで落とし穴なんかなかったところに、新たな落とし穴ができたりするの」


「なんと。それでは命がいくつあっても足りないではないか」

「大丈夫、死にはしないわ。下の階に落ちるだけ。まあその後、無事に帰って来られるか分からないけど」


 死にはしないか。だが落ちる高さによっては無傷とはいくまい。それに現在位置も分からぬ未探索区域に落とされれば、帰還は絶望的だ。


「でも珍しいわね。地下二階には、ほとんどないはずなんだけど」


 珍しいか。私には判断がつかぬが、彼女が言うならそうなんだろう。

 しかし移動する落とし穴か……いや、待てよ。

 もしや壁に書いた印が消えるのも、これが関係しているのか?

 落とし穴だけでなく床や壁も動いているとしたら?

 いや、迷宮のつくりそのものは知る限り変化はない。動くとしたら表面か。

 床や壁の表面が液体のようにゆっくりと流れているとしたら?


 全てが想像だが、これならば説明がつく。

 だが問題はどのような法則で動いているかだ。


 そのとき、体がフワリと浮いた。

 景色が急速に上へと流れていく。

 ――これは! 落とし穴か!!


 近づく地面。空中で体勢を立て直すとストンと足から着地した。

 トン、ゴン、ドゴン!

 リンは軽やかに着地。アッシュは足から着地するも、踏ん張り切れず尻もちをつく。

 そして、ロバは大きな音をたてて背中から落下した。


「メゲエェ~」


 苦しそうな声を上げるロバ。

 いかんな受け身が取れないロバはダメージが大きい。


「痛!」


 アッシュが声をあげた。どうやら足を痛めたようで、彼は立ち上がろうとして再び座り込んでしまった。


「何だよコレ。落ちたの? なんで?」


 納得のいかぬ様子で天井を見上げるアッシュ。

 私も同感だ。納得出来んな。

 あの時我々は動いていなかった。動いたとしたら落とし穴の方か。しかし、そんな都合よく我らの方へ向かって来るものなのか……。


「近くに魔物の気配はないわ。目につく罠もない。今のとこる差し迫った危険はないようね」


 周囲を捜索してリンはそう言った。

 それは不幸中の幸いか。

 ロバの様子を見たところ、思ったより怪我は大事には至らなかった。

 背中の荷物がクッションになってくれたようだ。

 ただ、しばらく歩けそうにない。

 アッシュも同様だ。ムリに歩かすのはやめたほうがいいだろう。


「少し休憩するか」


 現在、我々は南北に連なる通路にいる。とうぜん、帰り道は分からない。

 おそらく、地下三階のどこかだろうが。


「しかし、おかしいわね。こんなに急に、しかも見ている前で落とし穴が移動するなんて……こんなことは今までなかった」

 

 そうか、初めての現象か。何やら作為的な臭いがするな。


「あんた何かしたでしょ」

「何かって何だよ。逆に何したらこうなるのか教えてくれよ」


 アッシュに食ってかかるリン。

 よせ、アッシュのせいではない。つまらぬことを言うなと、私はリンをいさめた。


「でも……」

「原因を究明するのも大切だが、いまはこの場をどう乗り切るか考えよう」


 アッシュは手を貸せばなんとか歩けそうだ。

 ロバの荷は私が持つ。それでなんとか頑張ってもらおう。

 それで休み休み行くしかない。


 それにしてもリンの言った『何か』か。

 ……心当たりがある。今朝の夢。恐らくあの女の仕業だ。

 どうやったかは知らぬが故意に落とし穴を動かしたのであろう。

 さっそくやってくれるではないか。


 まあ、とにもかくにも休憩だ。

 アッシュとロバには包帯でも巻くとするか。

 そう思い携帯用救急箱を取り出そうとして、――動きを止めた。


 何やら不穏な空気を感じたのだ。

 リンも気づいたようで、ショートソードに手をかけている。

 

 とっとっとっと。

 軽快な足音と共に姿を見せたのは四足歩行の犬人間。コボルドの群れだ。その中には、あの白いコボルドの姿もあった。

 しつこい野郎だ。


「アニキ。後ろ」


 背後を振り向くと、別のコボルドの群れが音も立てずに忍び寄っていた。

 挟み撃ちか……。


「アニ……」


 アッシュが再び何かを言おうとして言葉を詰まらせた。

 それもそのはず。白いコボルドのさらに後ろ。灰色のローブを身に纏った不気味な人影がいたのだ。

 まさか……。


 チリン。

 鈴の音が鳴り響いた。

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