第42話 夢

「パリト、こっちへおいで」


 私を呼ぶのは今は亡き母。手招きするその姿は若かりし頃のままだ。

 ……これは夢だ。

 夢でありながら夢であることを自覚している。


「パリト。大きくなったね。遠慮せずもっとお食べ」


 私は椅子に座り、言われたままに食事を口に運ぶ。優しい目でこちらを見つめる母に忘れかけていた安堵感をおぼえる。


「そっちは危ないわよ。こちらの道になさい」


 母の声に従い、左へと向いていた足を右に向ける。


「パリト疲れていないかしら。そろそろ休憩してみてはどう? ほら、あの館なんかいいんじゃない?」


 言われた通り館に向かう。中に入ると、とつじょ目の前が黒い霧に覆われた。それはすぐに晴れたが、やけに体が重くなったような気がした。


「あなたなら絶対大丈夫だと思ったわ。次はこちらに向かってはどうかしら?」


 母が前方を指差す。それは地下へと繋がる階段。おおよそ人を寄せ付けぬような不気味なたたずまいを見せる。


 私はふと足を止めた。なぜそちらへ向かわねばならないのかと。

 あの先にはなにがあっただろうか? 

 何だろう、何かを忘れている気がする。


 その時、肩にネットリとした空気が絡みつくのを感じた。

 そして気付く。疑問の答えは地下へと向かえば見つかるのだと。

 私はせきを切った川のように流れ、地下へとおりた。

 中は薄暗く、通路が先へと続いている。


「フフフ、あなた昔から目を離すと、暗いところに隠れていたものね。その程度は何てことなかったわよね」


 通路を歩く私に語りかける母。その甘く透き通る声に、母以外の面影を感じた。

 ――そうだ、私は誰かを探していたのだ。私にとって大切な人。

 誰であったか……。


「ねえ、パリト。私はもう少し奥にいるわ。あなた一人ならもっと早く辿り着けるはず。古い衣を脱ぎ捨てて前を目指すのよ」


 今度は別の女の声。だが、たしかに知っている声だ。

 ――古い衣……古い……。そうだアシューテだ。私は古き友、アシューテを探しに来たのだ。

 ここで、私に語りかけていた者が母でなく、アシューテでさえもないことに気がついた。

 お前は誰だ! 大声で叫んだ。だがその言葉は私の口から出ることはなかった。


「さあ、誰かしらね? でも私の言うとおりにしていればあなたの探し物はすぐ見つかるわ」


 声なき声に答えた女。その言葉に体の奥から激しい熱がわくのを感じた。

 気に食わないな。なぜ貴様に指図さしずされねばならんのだ。

 私は自ら考え、自ら動く。私に命じることが出来るのは私だけだ。


「あなたは強い、誰よりもね。でも他人を助けようとするその心は、あなたを弱くしているわ。あなたを縛る枷はいずれ貴方の命を奪うことになるのよ」


 知った風な口をきく女に、さらに苛立ちが増す。

 余計なお世話だ。私の運命は私が決める。お前の出る幕などない。


「そう、私の手を振りほどこうと言うのね。いいわ好きになさい。でも最後に一つだけ教えてあげる。あなたの予想通りアシューテは迷宮にいるわ。奥深くにいて、今もあなたの助けを待っているの。いかに彼女の願いが強くともそんなに長く持たないわよ。せいぜい急ぐことね」


 そう言うと声の主はいずこかへ消えてしまった。同時にまぶたが開き、宿の天井が映る。

 夢だったか。だが、ただの夢ではないだろう。


 頭の中にかかった霧が晴れ、思考がはっきりしている気がした。

 今まで時折感じていた肩にかかる粘っこい空気も、完全に消え失せているように思える。

 もしや、知らぬ間に操られていたのかも知れんな。この街に入ってから、どこか私らしからぬ行動が多かった。


「どうしたの? 随分うなされていたみたいだけど……」


 問いかけてくる女の声。

 目を向けると、ベッドから体を起こし、心配そうに私を見つめるリンがいた。


「なんでもない。ただの夢だよ」


 そう答えると彼女の髪を優しくなでた。


「私を縛る枷か……」


 上着を羽織るリンを見て、自然と夢で聞いた女の言葉が口からでた。



――――――



 食堂でテーブルを囲み、朝食を取りながら今後の予定を話し合う。

 私の隣にはリン。その距離はやけに近い。

 向かいの席にはアッシュ。やたらと密着している私とリンを冷めた目で見ている。


「あのさー、何でそうなるのさ。いくら何でも早過ぎない?」


 不満顔でアッシュが言う。いや、すまんな。

 昨日、食堂へと向かった私をリンが待ち構えていたのだ。

 一日考えた結果、仲間になると決断したらしい。


 迷宮探索の分け前は、私が二、アッシュとリンが一だ。均等ではないと不満がでるかと思ったが、むしろ喜んでいた。


 もっと少ない配分を予想していたのかもしれない。部隊の維持には金がかかる。その程度はちゃんと分かっていたようだ。

 まあ、部隊といっても三人だけだが。

 だが、ロバだって金がかかる。そのうちむしろ足らないぐらいになりそうだ。


「話し合いの結果だよ。少々熱がこもってしまったが」


 結論がはやくでるにこしたことはない。

 人が増えれば探索はもう少し楽になるさ。


「一体どんな話し合いをしたらそうなるんだか……」


 目玉焼きをフォークでつつきながら非難の目を向けるアッシュに、私は首をすくめた。


「子供が大人の話に首を突っ込むものじゃないわ」


 どこか勝ち誇ったような声でリンが言った。

 またイランことを……。


「なっ……後から入ってきて偉そうに言うなババア」

「なんですって! ガキンチョのくせして、いっちょ前の口きいてんじゃないわよ」


 アッシュとリンの言い合いは過熱さを増し、やがてののしり合いへと変わった。

 全く、どちらもガキだな。

 私は争う二人を尻目に朝食を平らげ、食後の珈琲を飲みながら今後の予定を考える。

 やはり情報収集だろうな、特にアシューテの居場所だ。

 夢のできごとは鵜呑うのみみにできない。たとえ真実でも自ら確かめる姿勢は大切だ。


 私が知っていそうな人物を思い浮かべ、片っ端から尋ねてみようかと思案していると、口論していた二人がこちらを見つめていた。


「ねえパリト……」

「アニキあいつが……」


 二人は私を自分の方へと引き入れようと相手の非を訴えてくる。

 知らんがな。



――――――



 情報収集の結果、やはりアシューテは迷宮に向かったまま帰って来てないようだ。

 けっきょく迷宮の探索を進めるのが、一番の近道であろう。

 三人の役割、連携等を軽く確認すると、われらは迷宮の深部を目指し地下へと進むのだった。

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