第25話 アッシュの過去
宿屋を出て、酒場を目指す。
着いた場所は『PUB』と書かれた扉。以前来た場所だ。
扉を開け中に入ると、まさに酒場といった喧騒であふれていた。
酒で満たされた杯を打ち鳴らす者、カード片手に賭け事に興じる者。
床には酔いつぶれたゴロツキがイビキをかいており、そのゴロツキの懐をまさぐる者までいる始末だ。
そして部屋の奥、聞き覚えのある声がする。
「そいつぁ這いつくばってヒィヒィ言いながら逃げるわけよ。そのケツがなんとも可愛らしいじゃねえか」
その男はテーブルに片足を乗せ、踏ん
やつは知っている。
――セオドアだ。
私は部屋を見回し、脅威になりそうな者を確認していく。
片隅でひっそりと酒をあおる男。賭け事に興じるふりをしつつもこちらに意識を傾ける男。会話を続けながらも、いつでも対処できるよう椅子から少し腰を浮かす二人組。
この程度であろうか。後は問題あるまい。
私とアッシュは目立たない場所を選び、席につく。そして、お互いなにを注文するかと言葉を交わした。すると次第に周囲の空気が緩和していくのを感じた。
見慣れぬ者はなにをしでかすかわからない。その心配が少し
しかし、いまだ緊張した面持ちの者がいた。アッシュだ。
やけに縮こまっている。どうやら目立ちたくないようだ。
ふむ。とりあえず飲み物でも買うかと席を立つ。
ちょうどそのとき、こちらに近づく者がいた。
二人組だ。
ひとりはヒゲ面で、革のブーツに布のチュニック、腰には短刀を差している。
もう一人は革の靴に布の手袋。小型のナイフに矢筒。
微妙に姿はちがえども、どちらも卑しい笑みを浮かべていることは同じだった。
「おう、坊や。どこかで見た事あると思ったらディグんとこの新入りじゃねえか」
ヒゲ面の男がアッシュに話しかけた。
どうやら前歯が一本欠けているようで、話すたび息が漏れている。
「奴はどうしたんだ? 一緒じゃねえのか」
臭い息でなおも話す男。私を無視して、アッシュに問い続けている。
フッ、ナメられたものだ。
もう一人の男は私の反応を伺っているようだが、どちらも大したことのない相手だ。
一呼吸もしないうちに命を刈れるだろう。
私は周りをみわたす。こちらに意識を向ける者は少数だが……セオドアと目があった。ほんの一瞬だ。だが、たしかに横目でちらりとこちらを見ていた。
「ディグさんは死んだ……と思う。他のみんなも」
アッシュは絞り出すように言った。
ディグね、私が殺した中の一人か。
「じゃあ何でおめえだけが生きているんだ?」
「……」
アッシュはうつむいたまま喋らない。まあ答えにくかろう。
私は横から口を挟むことにした。
「弱い者から死ぬのは当たり前だ。それと愚かな者も。アッシュが一番強く、知恵があった。ただそれだけだ」
まあ、殺したのは私だが。
「何だおめえは、見ねえ顔だな。新入りか? デカイ口叩きやがって。気に入らねえな」
ヒゲの男は、いかにも早死にしそうなセリフを吐く。小物丸出しだな。
「気に入らないか。安心したよ。アンタにケツを狙われなくて済みそうだ」
「なんだと!」
いきり立つヒゲの男。いままで黙っていた隣の男も身を乗り出してきた。
「おいおいおい、ちーと待てよ」
割って入ってくる者がいる。セオドアだ。
「こちらの旦那にゃ、ち~とばかりお世話になってな。俺の顔に免じて引いちゃくれねえか?」
男達を制し、恩着せがましい事をのたまうセオドア。どうせこの者共はお前の差し金であろう。つまらん小細工をするものだ。
「誰かと思えばロバの世話係じゃないか。今度は私のブーツでも磨いてくれるのか? そのよく回る舌で」
「けェ~、言うじゃねえか」
口をひん曲げるセオドア。
なにか言い返そうと考えているのか、視線をさまよわせる。
「……そういうピーターパン殿は、尋ね人を見つけたのかい? ウェンディさんと言ったかな」
「いや、まだだ。セオドアとか言うドブネズミは見つけたが」
「テメー」
セオドアの目に殺意がこもる。しかし、ちらりとその目をアッシュにむけると、いやらしい笑みにかわった。
「おんや~、そこにいるのはアッシュお坊ちゃんじゃないの~。さっそく新しいパパを見つけたのかい? 俺ぁ悲しいぜ、色々教えてやったのによ~。だが、俺は心優しいんだ。戻ってくるなら、俺のことをもう一度パパって呼んでくれてもかまわないんだぜぇ~」
アッシュは下唇をグッと噛み、うつむいたまま何も言わない。先程からの
セオドアはさらに続ける。
「なーるへそ、ピーターパン殿はこのウェンディちゃんを探してたつーことか」
指で輪っかをつくって卑猥な動きを見せるセオドア。
ふふ、やるじゃないか。
「これは失礼した。おまえはドブネズミではなくダニだったか。他人にとりついて血を吸う寄生虫」
そう言って剣の柄に手をかけた。
「おおー怖え怖え。ちょっとした冗談じゃねえか」
セオドアはわざとらしく笑みを浮かべながら肩をすくめる。
また、なにか言い返そうかと考えているようだったが、もういいだろう。喋らせる必要はない。
セオドアとの距離をはかる。
踏み込めば二歩。
奴が小細工を
が、そのときガチャリと扉が開き、青い金属鎧を着た者達が入ってきた。
数は四人。見覚えがある。以前墓場ですれ違った者達か。
セオドアが動いた。ヒゲ男たちを盾にするようなポジションにスルリと移動した。
やるな。
だが、この距離なら、三人まとめて首を飛ばす事も可能だ。
どうする? やるか?
……いや、アッシュの安全を確保できんか。
セオドアが狙うのが、私とは限らないからな。
すると、私の心理を読み取ったか、セオドアも二人組の肩を叩き、自分の席に戻っていった。
今日は情報収集は無理かも知れんな。早めに切り上げるとしよう。
酒場らしく、アッシュと杯を打ち合わせると、努めて明るい会話を心掛けた。
だが、アッシュの表情が晴れることはなかった。
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