第23話 スペクター
前後を挟まれたか。コイツはマズイな。
すばやく決断しなければならない。
鉢合わせ覚悟で出口へとむかうか、さきほどの部屋が密集した場所に戻るか。
前者なら一本道。スペクターと会うのは避けられない。
後者は袋小路だ。だが、数ある部屋のひとつに飛び込めば、うまくやり過ごせるかもしれない。
どうする?
――部屋が密集した場所へ戻る決断をした。
アッシュの「スペクターはわざわざ逃げる相手を追ったりしないよ」との言葉を受けてだ。
ならば小部屋のひとつでやり過ごしたほうがいい。
だが、そんな我らをあざ笑うかのごとく、走り出してすぐに不気味な影を見つけた。
灰色のローブを着た、人のような姿。
フードの奥は真っ黒でなにも見えず、手足があるのかさえ定かではない。
ただ、前方に浮く黄色のハンドベルが、ときおりチリリンと鳴り響く。
コイツがスペクターか。
たしかに危険なかおりがする。
スペクターは体を左右にゆらしている。
なんとも不気味な動きだ。意図が分からぬため、より一層不気味に感じる。
だが、見たところスペクターは一体のみ。横をすり抜けるか?
剣がきかぬとはいえ、一体だけならかわすこともできるのではないか?
――ん? 何だ。
視界におかしな影をとらえた。
壁にぼんやりにじみ出る淡いシミ。
それはまたたくまにローブを着た人の姿となった。
壁から湧いて出た? いや、壁をすり抜けて来たのか!
チリン。
また鈴が鳴った。
振り返ると、ローブを着た不気味な人影がいくつも、地面を滑るように近づいてくる。
「アッシュ、前だ! 小部屋へ急げ!!」
かいくぐって進むしかない。
少しでも数が少ない小部屋へと戻る道をえらぶ。
またシミだ。前方の通路の壁からスペクターが湧いてくる。これで三体目。
だが、今なら間に合う。これ以上数が増える前に横をすり抜けるのだ。
左!
すばやく横を駆け抜ける。
大丈夫だ。動きはノロイ。
なんなくかわして通路の奥へとたどりつく。
しかし……。
「アッシュ!」
アッシュが遅れた。すり抜けようとする彼にローブの
すかさずナイフを投擲。
しかし、ナイフはローブを貫通するのみで、スペクターにはまるで効果がないようだった。
それでも、捕まえようとする妨げにはなったようで、アッシュは無事に横をすり抜けることができた。
「止まるな! 走れ!!」
アッシュが私の横を駆け抜けていく。立ち止まるなと声で背中を押す。
……意外に遅いな。アッシュの走る速度は想定よりゆっくりだ。
まあ、荷物を背負っているから仕方がないか。
すこし足止めが必要だな。
ふたたびスペクターにナイフを投擲。
頭部、肩、胸と場所を変えつつ弱点をさぐる。
しかし、すべてのナイフはローブを貫き、反対側へと抜けていくだけだった。
チッ、ダメか。
まったく効果のない様子に舌を巻く。
厄介な相手だ。何か対策を考えねばならないだろう。
前から来たスペクター、後ろから来たスペクター、合わさって一つの集団になると、まるで操り人形のように同じ動きでこちらに向かってくるのであった。
――――――
「はあ、はあ」
大きく肩を動かすアッシュ。
我らはひとまずスペクターを振り切り、一息ついているところだ。
アッシュが選んだのは右奥から三番目の部屋。
この小部屋で、やつらをやり過ごすしかなさそうだ。
「アニキ。な……んで、そんなに……足が……はやいの」
息も絶え絶え、話すアッシュ。
たしかに私は足が速い。アッシュがべつに遅いワケではないのだ。
「修練だ。荷を背負ったまま速く走る修練をつむ」
荷と背中にすき間をつくらない、荷を揺らさない足運びなど技術技法は多々あるが、結局は普段の積み重ねがものをいう。
「訓練……しても……そんな、はやく……走れないよ。コボルドより速い……」
コボルド?
ああ、最初に出会った、あの犬人間か。たしかに犬だけあって走るのが速いな。
「犬と勝負するつもりか?」
「いや、しないけど……」
どちらも同じだけの荷を背負えば、アッシュの方が速いのではないか?
得意分野の問題だ。
が、まあ、そんなことはどうでもいいな。
今はスペクターだ。追ってきていないとは限らない。
「アッシュ。スペクターに弱点はないのか?」
「わかんない。倒したって話は聞かない。剣で切ってもダメ、矢でもダメ。奴らからはとにかく逃げろって言われてる」
「なるほど。では、火を試したやつはいるか?」
「駄目だ! 奴ら火に集まってくるんだ。明かりを持ってる奴が一番先に狙われる」
火もダメか……。
コイツはちと困ったな。倒す手立てが思いつかない。
避けるしかないか。
注意を引きつけ、すり抜けるのが一番マシか。
背負い袋から松明を数本抜くと油を垂らす。そして、ポケットから火炎石を取り出した。
「え!? だから火は――」
「シッ!!」
気配を感じ、アッシュを黙らせる。
いるな。近くに。
視線をさまよわせる。
扉か? 今、あのあたりにいるのではないか?
じりじりと後ろに下がる。トンと壁に背中がついた。
これ以上は下がれない。
そのまましばしの時が流れる。ほんの一瞬が永遠にも感じた。
うつる視界に変化はなかった。
通り過ぎたか?
いや、気配はまだ近い。今、扉を開けば鉢合わせだ。
このまま壁を背に、やつらをやり過ご……。
――壁を背に?
マズイ!!
とっさにアッシュに体当たりをする。
振り向くと、後ろの壁から青白い手が伸びていた。
「ヒッ」
アッシュが短い悲鳴を上げる。
手は後ろの壁だけではなく、左右の壁からも出ていた。
そうだった。こいつらは壁をすり抜けるんだった。
やがて、滲み出るように不気味なローブがあらわれる。
その数はどんどん増えると、またたくまに取り囲まれてしまう。
「うわっ、来るな」
アッシュが矢をはなつ。
だが、矢は貫通。スペクターは何事もなかったかのように近づいてくる。
ボッと炎が上がった。私が松明に火をつけたからだ。
顔は見えぬがスペクターの意識が、こちらに向いたのを感じた。
「これが欲しいのか?」
遠くに松明を投げる。
われ先にとスペクターは、松明に群がっていった。
フン、まるで蛾だな。
そんなに欲しけりゃもう一本くれてやる。
「アッシュ、走れ!」
ふたたび松明に火を灯す。
ビクリと体を震わせたアッシュは弾かれたように走りだした。
よし、それでいい。
松明をふたたび投げると、自分も扉へとむかう。
さて、いつまでもつか……。
松明に群がるスペクターを見る。
すでに一本目の松明は消えており、二本目へと向かっているところだった。
「あっ……」
驚くような、ささやくような、アッシュの声。
見れば彼はドアノブへ手をかけたまま、ペタンと床に座り込んでいた。
スペクターだ。扉のむこうにも潜んでいたのだろう。アッシュが扉を開こうとした、まさにその瞬間、むこう側からアッシュの手をつかんだのだ。
「アッシュ!」
スペクターは扉をヌルリと抜けて、全身を現す。そして、アッシュに覆いかぶさろうとした。
させるか!
間合いを詰めると剣を振る。
すくい上げるような一撃で、アッシュをつかむスペクターの手を狙った。
青白い手が宙を舞う。腕は斬れる! ならば体は!?
続けて振り下ろす頭部への一撃で、ローブを真っ二つに裂く。
裂けたローブは、ひらひらと床に舞い落ちる。そして、肝心の中身だが、何もなかった。
ただ、ローブが床にうすく広がるのみである。
クソ! 実体がないのか?
――いや、それよりアッシュだ。
座り込む彼を見ると、顔は青白く、血の気が失せていた。
「アッシュ! 逃げるぞ!!」
アッシュは私の呼びかけには反応した。しかし、立ち上がろうとしても足に力が入らないようだった。
クッ、マズイ。
放り投げた松明を見る。
群がるスペクターたちが青白い手をかざすと、炎はまたたくまに小さくなり、やがて消えた。
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