失われた都市ジャンタール――出口のない迷宮――
ウツロ
第1話 女からの手紙
暗く、ジメジメした通路を進んでいく。周囲を僅かに照らすのはランタンの光。
このほのかな明かりが生み出す光の境界線が、生者と死者を隔てる壁に思えてくる。
チリン。
鈴が鳴った。
またかと、私は唇を噛みしめる。
音は聞こえど姿は見えず、薄暗い視界にうつるのは無機質な迷宮の壁のみだ。
チリリン。
今度は背後で鈴が鳴った。あわてて振り向きランタンをかかげるも、光の届かぬ通路の先は漆黒の闇が広がるばかりだ。
ここは危険だ。そう考えると、音の出どころを探る。
今、私を追っているのは死者の群れだ。
体温を失った彼らは、私という命の
チリン。
近い! まるで耳元で鳴ったかのような音色を奏でる鈴の音。
弾かれた様に足を踏み出すと、いつしか私は走り出していた。
鈴の音を響かせる死者達。なにせ彼らには剣が効かないのだ。確かにそこに存在すれども剣は空を斬るばかりである。
前方に見える十字路を左に曲がる、次は右だ。
かなりの距離を走り、もう巻いたかと後ろを振り向く。
……誰もいない。
安堵の息をつくと、壁に背中をあずけ息を整える。
もう鈴の音は聞こえない。静まり返った通路に響く、はあはあという声は私のものか。
――そのとき! 首筋に悪寒が走った!!
あわてて身を屈める。
見上げると青白い手が壁から突き出していた。
クソッ、来やがった。
壁から生えた手の周り、じわりと
それは瞬く間に人の姿を形どると、やがてぬるりと壁から抜け出してローブを着た人となった。
お前も死者の仲間入りしろってか? お断りだね。
強く剣を握りしめると、悪態をつきながら今の状況に至る経緯を思い出していた。
――――――
『親愛なるパリトへ。ジャンタールにて救援を待つ』
事の起こりは一通の手紙、古き友アシューテからの便りだった。
私の手元にそれが届いた時には、すでにクシャクシャになっており、文字も
届けてくれた者の話によると、瓶に入れられ川を流れてきたという。
おそらく同じ文面の手紙をいくつも書き、川に流したのであろう。
それだけ切羽つまった状況だと推測出来る。
アシューテ。
目をつぶると、今も彼女の姿がまぶたにうつる。
燃えるような赤い髪。
最後に会って三年は経とうとするが、ともに過ごした思い出と共に、今も色あせることなく私の脳裏に焼きついている。
――彼女には借りがある。
荷物を乗せたロバの首筋をなでる。
するとロバは「バフフ」と鳴き、嫌がる素振りを見せた。
ここまで一緒に旅をしてきたメスのロバだ。どうやら他の女の事を考えていたのが気に障ったらしい。
私は首をすくめて眼下を見下ろした。
小高い丘から見えるのは、広大な耕作地。またその中にポツンと塀に囲まれた街がある。城塞都市ティナーガだ。
ここで水や食料の補給をして、手紙に記された座標を目指す。
残り少なくなった水筒の水を一口あおると、ゆっくりと都市に向けて歩を進めていくのであった。
街へ足を踏み入れると、人の多さに驚いた。
大声で誰かを呼ぶ者、
それらを、せわしなく行き交う人々の姿が包み込んでいる。
ティナーガは城塞都市だ。見回せば国同士が争ったなごりの防衛施設が目に映る。
が、それも過去のこと。戦争が終わり百年あまり。国が統一された現在はほとんど使われていない。
帝都から遠く離れた、いわば僻地にあるこの街は、もっとのどかな雰囲気であったのだが……
これは難儀しそうだ。
まずは寝る場所を確保するべく宿屋を巡ってみる。
「あいにく部屋に空きはないねぇ」
「他をあたりな」
手当たり次第に声をかけてみたものの全て満室。やはり、最近この都市を訪れる者の数が急激に増えたのだろう。
原因はアシューテの手紙か。わたしに渡らなかった手紙のいくつかが、ジャンタールに眠る財宝を求める者どもを呼び寄せたのだ。
仕方がない。
野宿を覚悟した私は、せめてまともな食事でもと、再び街をさまようこととなった。
夜のとばりが降りるころ、一軒の酒場を見つけた。
窓からはランプの光が漏れており、近づくにつれ人々の騒ぐ声が耳に届くようになる。
なかなか繁盛しているようだ、空席があればよいのだが。
木製の上下が広く開いたドアを押し、店内に足を踏み入れる。
二十席ほどのカウンターは全て埋まっており、テーブルもほぼ満席だ。
やはりというか、客の大半は旅人風のいで立ちで、その対応に追われた店員が四苦八苦している。
さて、空いている席はただひとつ。相席となるテーブル席だけだが……。
そこに座る先客は黒髪を後ろで束ねた女で、腰には剣、胸元の大きく開いた革鎧を身にまとう。
一人でテーブル席を占領する彼女は、大股をひらきながら肉に
何とも近寄りがたい雰囲気だ。
正直、やっかいごとの匂いしかしない。が、他に席はない。
覚悟を決めた私はその場まで近づき、座っていいかと空いている椅子を指さした。
「満席だよ。そこは私の足を置く場所さ、色男さん」
見た目は美人と言っても差し支えないが、かなり鼻っ柱が強そうな女だ。空いていた椅子にデンと片足を乗せてきた。
こいつは面白い。
さて、どう対応するか。
争いを避けるなら、回れ右して店から出ていけばよい。が、それではつまらんな。
気にせず足の上に座るか?
あるいは、家畜小屋で育ったのか? とつぶやくか。
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