楽園(4)
「どうしてその名前を?」
「卒業文集を見たんだよ。その中に、田中航汰という名前はなかった。妙だよな? お前は今年の三月、うちの学校を卒業したはずなのに。だけど卒場アルバムのほうには、ちゃんとお前の個人写真が載っていたよ。その写真の下にあった名前は、蟹江孝介」
もう一度名前を口に出すと、奴はきゅっと目を細めた。痛がっているようにも笑っているようにも見える不思議な表情で、俺に話の続きを促す。
「はじめは印刷ミスか何かかと思ったよ。だから直接お前に確かめようとした。でもお前、UFO合宿だなんだって理由つけて、ずっと俺を避けてただろう? だからこの間、電話でお前の叔父さんに確かめたんだ」
「叔父さんはなんて?」
「うちの甥は航汰なんて名前じゃないってさ。そうだよ、さすがに身内や学校に対しては、偽名使えないよな。俺のほうはまんまと騙されていたわけだけど。おじさん、お前のことをこうちゃんって呼ぶだろ? でも改めて考えてみたら、航汰でも孝介でも、こうちゃん呼びは成立する」
八年の間、表向きの顔は蟹江孝介として、しかしアイデンティティは田中桜汰の弟、航汰として、こいつは過ごしてきたのだろうか。
「田中はさっき、俺をれい君と呼んだ」
俺は拘束されたままの田中を一瞥した。まだ目を覚ます様子はない。
「この変態ブラコン野郎は、俺に死んだ弟を重ねている。でも、どうしてだ? 俺はもう八歳の子どもじゃない。なのにどうしてまだ俺に執着する? 俺はそんなにこいつの弟に似ているのか?」
「外見が似ている似てないは関係ないのですよ」
孝介は静かに首を横に振った。
「重要なのは、ここで生まれたこと。君がこの中から誕生したことなのです」
そうして収納庫を指差した。
「先生の中でこの箱は、子宮を意味しているのです。理屈はわかりません。先生がそう思うから、そうなのでしょう」
「マジかよ。狂ってるな」
俺はげえっと舌を突き出してみせる。
「ええ、狂ってますよ。でも先生は真剣なのです。子宮に見立てたこの箱に、子どもを閉じこめる。子どもはいつか自力で箱から出てくる。これはつまり、誕生の儀式なんです。そうして先生は、新たに自分の弟をこの世に誕生させようとした」
八年前、俺はこの箱から自力で脱出している。だから家族の元に帰れたわけだが、不幸にもそれが田中に執着の理由を与えてしまったようだ。
せっかく生まれ出た弟を、諦める気などなかった。五年の月日をかけて、田中は俺の消息をつきとめる。中学生になった俺の前に教師として現れ、自らの弱みを見せることで、俺の心の隙に入りこんだのだった。
その弱みもまた、田中の創作だったのだろうと、すべてを知った今ならわかる。
だがあの頃の俺は、純粋に田中の言葉を信じていた。
いつか監禁されていたことを思い出した俺が、田中を兄として慕いはじめる。奴はきっと、そんなストーリーを本気で信じていたのだろう。孝介を航汰化させたという成功例があるから、田中は自信を持って俺を待っていられた。
「こいつの思考のすべてが気持ち悪い」
俺は吐き捨てるように言った。
「そう思うなら、どうして小野塚くんはここへ来たのです? よくこの家の場所がわかりましたね」
「Y町にあるってことはわかってたから、ストリートビューで探ったんだ。この家の外観は、こいつのデスクに写真が飾られてたから、頭に入っている」
俺は田中のほうを顎でしゃくってみせた。
「実際見つけられるまで、かなり時間がかかるかと思ったけど、この辺は住んでる人自体が少ないから案外早く見つかったよ。ていうかこっちこそ疑問なんだけど、どうしてお前と田中は、俺が今日ここに来るとわかった?」
「小野塚くんの居場所は、GPSで辿れるようになっていますから。こちらへ向かっているとわかった時点で、車で先回りしました。それより、答えがまだですよ。なぜ小野塚くんはここへ来たのです? 自分が田中先生に監禁されていたと思い出したのなら、監禁場所だったかもしれないこの家には、恐ろしくて近づけないはずでは?」
「俺は今日ここに、四人を探しに来たんだよ」
「四人?」
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