冬の幽霊(2)
「え? 何を言って――」
「幽霊のふりして、死んだ人間のパソコンを俺に操作させようとしたな。理由は?」
「違う、そうじゃない。僕は本当に……」
しどろもどろに言い訳を絞り出そうとする奴の襟首を掴み、俺は言い聞かせた。
「せっかくだから教えといてやるよ。本物の幽霊っていうのはなあ、お前みたいにベラベラ喋らないもんなんだよ」
手を離すと、奴は面白いようにビビッて、飛び退った。
「それだけで、僕を幽霊じゃないと見破ったのか」
「いや、ちょっと疑う程度だったかな。決定的におかしいと思ったのは渡り廊下に出たときだ。お前の吐いた息は白かった」
「あ……」
「おかしいよなあ。幽霊は呼吸なんてしないからな。冬の寒い日に白い息を吐くのは、そいつが生きて呼吸してるって証拠だよ」
「くそっ」
奴が舌打ちするのを、俺はニヤニヤ笑って眺めた。
「で、下手な芝居してまで、どうして死人のパソコンにこだわる?」
「そこに傑作小説のデータがあるのは本当なんだ」
「はっ、まさかお前、書いた奴が死んだのをいいことに、盗作する気だったのか? 自分が書いたと偽って、コンテストに応募して」
「そんな、僕は純粋に親切心から、あいつの代わりに小説を発表してあげようかと」
「だったらはじめからコソコソとデータ盗み見る必要なんてないだろう。やましいことがあるから、幽霊のふりまでして俺をだましたんだろう? なんだ、いくら盗っ人でも、死人のパソコンを勝手に開くのは気が引けるか? だから代わりに俺にやらせようとしたのか?」
「違う!」
「違わないだろ」
「違うんだ。僕はただ……怖いんだ」
「盗作しようとするような奴が、何を今さら怖がることがあるんだよ」
「そ、そのパソコンは、呪われているんだよ」
怯えた顔で、奴はノートパソコンを指差した。
「最初は部長が、そいつを開こうとしたんだ。そうしたら突然熱いと騒ぎだして、見たらパソコンに触れていた部長の手は、火傷を負ったみたいに皮膚が爛れていた。データを見ようとパスワードを探っていた部員は、目に刺すような痛みが出はじめたとかで諦めた。他にも、電源を入れようとしただけで泡拭いて倒れた部員がいる。誰も、どうやってもデータに辿り着けない」
「だから呪われたパソコンってわけか」
「きっとあいつの霊が、データを守ろうとしているんだ。だけどはじめから小説に関心のない奴なら、触っても呪われないかもしれない。誰か文芸部員以外の奴にデータを開かせようと考えていたら、一年に霊感の強い男がいるって話を聞いて」
「馬鹿正直に事情を話せば、断られるかもしれない。だけど死者からの頼みなら、聞いてくれるんじゃないか。それで幽霊のふりをして、俺に近づいてきたんだな」
「すまない……」
「謝ってるけど、どうしますか?」
「は? どうするって――」
奴がぽかんと口を開ける。
「ああ、あんたには訊いてない。俺は今、この人に訊いてる」
幽霊のほうを差し示すと、奴の顔からさっと血の気が引いていった。
「じ、冗談だよな?」
「まさか。本気だよ。でなきゃすんなりログインできてないだろ。本人が直接パスワードを示してくれないと」
俺はキーボードをゆっくり指でなぞってみせる。
「こんなふうにして」
「じゃあ本当にいるのか、そこに。関口が」
「へえ、関口さんっていうんだ」
「すまない関口。僕、本気で盗む気なんてなかったんだ。お前、前回のコンテストで最終候補まで残ってただろ? す、すごいよな。ほんと尊敬するよ。だからさ、気になったんだ。今回お前はどんな傑作を書いたんだろうって。それでちょっと、読んでみたかっただけなんだ。どうか許してくれ」
奴はさきほど俺が示した方向に頭を下げると、声を裏返しながら何度も必死に詫びた。
「関口さんの小説を手に入れるのは、諦めた?」
俺は奴に尋ねた。
「もちろん諦めるよ。僕は呪われたくないからね」
「じゃあいいよ」
俺はしっしっ、と手で追い払う真似をする。後輩として相手を敬う気など一ミリもなかった。思えば、最初に感じた気持ち悪さは、こいつの持つ小狡さからきたものだったのだろう。
「あの、今のことは誰にも……」
「言わねえよ。いいからもうどっか消えろ」
そうして奴がいなくなると、俺は改めて幽霊――関口さんに向き合った。
「それで、関口さんは今でもコンテストに応募しておきたいもんなの?」
ここへ入ったときから、関口さんは存在していた。未練があるとすれば、やはり小説のことだろう。
「その気があるなら、手を貸すけど」
申し訳なさそうに微笑んで、関口さんが顎を引く。俺はそれから細かく質問していきながら、小説のデータを開き、印刷の準備をした。示された応募先をメモし、今日中に必ず原稿を送ると約束する。
プリンターが動きはじめた。出てきた原稿を一枚、手に取る。
「あの、ここまで手伝ったお礼として、さわりだけでも読んじゃダメっすか?」
盗っ人野郎が嘘をついてまで手に入れようとしていた小説だ。それほどの傑作なら、ぜひ読んでみたい。
関口さんが頷くのを確認して、原稿に目を落とした。だけど、そこに期待したようなものはなかった。
「何、これ……」
印刷されていたのは、古い新聞記事やネットニュースの文面をまとめたものだった。子どもの失踪について書かれた記事の中に、見覚えのある顔写真を発見する。
「なんでこんなものが? どうして」
俺は今、どんな表情をしているのだろうか。関口さんの反応を見れば明らかだ。
困惑の色を浮かべた関口さんが、紙面の右上を指差す。『資料・1』とあった。ここにまとめられているのは、小説を書く際に参考にした記事らしい。たぶん俺が設定を間違えていて、一緒に印刷してしまったのだろう。
「この資料は関口さんが集めたの?」
俺の問いかけに、関口さんは首を横に振った。
「じゃあ誰がどうやって?」
と、関口さんは今度、半身を捻り、ホワイトボードの隅を指し示した。文芸部に所属する者たちだろう、名前を記した縦長のマグネットが、一列に並んでいる。その中の一つを見据えながら、俺は今日までのことを思い返した。
学校を出てすぐ、航汰の番号を呼び出した。半ば予期したとおり、電源は切れている。その場で、航汰の叔父が経営するおもちゃ会社を検索した。出て来た番号にかけ、おじさんにつないでもらう。ここで丁寧に事情を説明している余裕など、俺にはなかった。挨拶もそこそこに、尋ねた。
「あの、航汰さんのことで聞きたいことがあって」
「こうた?」
イライラするほどのんびりした調子で、相手は訊き返してきた。
「こうたさんていうのは、誰かな?」
「あなたの甥の航汰さんです」
「んん? ちょっとわからないな。うちの甥はこうたなんて名前じゃないけど」
それからどうやって通話を切ったのか、覚えていない。
いつの間にか声が聞こえなっていたスマホを耳から離し、俺は呟いた。
「航汰お前、どこのどいつだよ……」
俺が四月からつるんでいた奴は、一体何者なんだ?
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