冬の幽霊(1)
放課後の教室で俺はひとり、時計を睨んでいた。
帰りのホームルーム直後に暖房は切られていたが、教室の空気はまだ暖かかった。
今、国語資料室に直行したところで、田中先生はとうぶんやって来ない。職員室では、緊急の会議が行われている。週末に二年生の男子生徒が事故で亡くなったらしく、その対応を話し合っているのだ。
(会議って、どのくらいで終わるんだろう……)
時計から目を離し、なんとはなしにスマホをいじる。
メッセージアプリを開き、航汰とのトークを見直した。
〔話があるんだけど〕
二ヵ月前に俺が送ったメッセージに対し、
〔すみません、今オフ会で知り合った方々とUFO合宿に来ているので、お話は帰ってからでもよろしいですか〕
と航汰は返してきている。
以降、俺が何度催促しても航汰は〔まだ合宿から帰れそうにありません〕と繰り返すばかりだった。
どうにも疲れてきたので、最近ではこちらから連絡をするのはやめている。航汰からは、時々意味不明なスタンプが送られてくる。
避けられているんだろうな、とは察しがつくが、その理由まではわからなかった。
なんだかもう、面倒くさい。
どうして俺が航汰なんかに振り回されなきゃいけないんだ。
奴の気色悪い顔を思い出すたび、イライラする。
あんな奴のことなんて、さっさと忘れてしまおう。
ふいに、足元に冷たい空気の流れを感じた。俺はスマホの画面から顔を上げた。
ちょうど、男子生徒が教室に入って来るところだった。上履きの色から、二年生だと判断する。
誰かを探しに来たのだろうか。
「みんな帰りましたけど」
と教えてやると、相手は親しげに、「やあ」と俺に向かって片手を上げた。
「えっと、初対面ですよね?」
「そうだね」
「俺に用ですか?」
「こんにちは、はじめまして」
「はあ」
「僕は幽霊です」
「ああ、事故の」
自分を幽霊と言ったそいつは、うさん臭い笑顔を張り付かせ、一歩進み出た。
「君には、僕の姿が見えているね?」
「もちろん見えてますけど」
「良かった。今日は君に一つ、お願いがあって出て来たんだ」
俺は日常的に霊を視る。だいたいの幽霊は、生きている人間と区別のつかない姿で存在している。だが稀に、死んだ直後の姿のまま、さまよい続けている霊もいる。首に絞められたような痕がある霊、頭から血を流している霊、正直グロすぎるタイプの奴も何度か見てきた。
そういうわけで、俺は自分を、グロいのやキモいのに耐性があるほうだと思っていた。
だけどこいつはちょっと、耐えられそうにない。
外見は生きている人間と変わらない。それなのになんだろう、一つ一つの表情や仕草から作為的なものが感じられて、とても気持ち悪いのだ。
視界に入れるだけでむかむかしてくる霊なんて、初めて遭遇する。
「お願い? なんすか?」
俺はあえて態度を崩した。相手をどうでもいい存在と位置付ける。だってキモいんだもん。
「僕の代わりにパソコンの操作をお願いしたいんだ」
幽霊の事情はこうだった。
生前、所属していた文芸部の活動で、小説を書いていた。自分で言うのもなんだが、傑作を書き上げられた。これを世間の目に触れさせないのは惜しい。そこで、小説のコンテストに応募してみることにした。絶対に大賞を取れるはずだ。だが、応募に向けて準備をはじめたところで、事故により命を落としてしまった。このままでは成仏しきれない。どうか自分の代わりに、完成した小説をコンテスト事務局まで送ってくれないか。
「じゃあその小説のデータが入ったパソコンを俺が操作して、応募までやればいいんすね?」
幽霊はゆったりと顎を引く。
「ありがとう。助かるよ」
「こちらこそ、説明がわかりやすくて助かりました。先輩、幽霊なのにおしゃべりっすね」
幽霊の案内で、パソコンが置いてあるという文芸部の部室へと移動する。
「先輩が事故った件で、今緊急の職員会議やってるんすよ」
「迷惑をかけるね。申し訳ない」
「事故ったときのことって、覚えてますか?」
「僕も不注意だったんだ」
「信号はよく見ないとだめですよ」
「そうだね。気を付けるよ。といっても、もう遅いけど」
「あはは」
校舎を出て、渡り廊下に差し掛かる。強い北風が吹いていた。俺たちの吐いた白い息が、あっという間に流されていく。
「文芸部の部室って暖房器具ありますか?」
「ハロゲンヒーターが置いてあるよ。壊れかけで、ほんのりとしか熱が出ないけど」
「ないよりはマシですね」
写真部と新聞部の部室を通りすぎた、突き当りの部屋が文芸部の部室だった。スチール製の本棚が二面の壁を覆い、中央には長テーブルが置かれている。窓と机の間の狭いところに、部誌の発行についての注意点などが書かれたホワイトボードがあり、俺は何気なくそちらを一瞥した。
「で、パソコンはどこに?」
幽霊は無言で本棚の上を指差した。
俺は背伸びをして、そこから黒色のノートパソコンを下ろす。
「これ、先輩の私物なんすか?」
「そうだよ」
「これ、先輩のものなんですか?」
「なんで同じこと二回訊くの?」
パソコンの電源を入れ、尋ねる。
「パスワードは?」
「それが実は、忘れてしまったみたいなんだ」
先輩は困った顔で、頭をかいた。
「事故に遭ったショックでですか?」
「そうなんだよ」
「でもちょっとくらい、覚えてるんじゃないですか。なんとなくでもいいんで、これかなっていうのを教えてください」
「じゃあ、たぶん――」
奴が答えた、名前と生年月日と思われる文字の羅列を打ちこむ。ログインできない。
「パスワードが正しくありません、だそうですけど」
俺はパソコンの持ち主に向かって尋ね直した。
「正しいパスワードは?」
それから改めて、教えられたパスワードを打ちこみ、ログインした。傍らで画面を覗きこんでいた先輩が、ごくり、と唾を呑んだ。俺は先輩に向かって言った。
「お前、幽霊じゃないだろ」
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