地下室(4)

 後日、俺は航汰から、奴が監禁されるに至った経緯を聞いた。


 例のクリーニング店と酒屋がある土地について、過去に事件や変わったことなど起きなかったか。近所に住む人間に聞きこみをしてみよう。

 俺と話し合った翌日の午後、航汰はひとり、同じ場所を訪れた。そうして最初に通りかかった男に声をかけた。

 まさかそいつが酒屋の家主で、地下室で五人もの女性を監禁している人物だったとは、想像もしていなかっただろう。

 運がいいのか悪いのか、航汰は一人目で危険人物を引き当ててしまったのだった。


 どうやらうちのことを嗅ぎまわっている奴がいるな。

 監禁している女の身内か何かだろうか。

 

 危機感を抱いた男は、言葉巧みに航汰を家の中に引き入れ、顔を殴って抵抗する意志を挫いた後、地下室に放りこんだのだった。

 ちなみに航汰以外の被害者は、深夜の路上で突然男の運転する車に引きこまれ、攫われてきたらしい。


 持ち物を奪われ、手足を拘束され、口を封じられた状態で、航汰は体ごとすっぽり段ボール箱を被せられた。段ボール箱は、被害者同士がアイコンタクトなどで結託し、脱走の計画を立てないための処置だったと、後に逮捕された男は語ったという。


 そんな男の狙いとは別に、段ボール箱は被害者の精神を蝕むのに効果を発揮した。

 今がいつで、自分はどんな状況にあるのか、見当もつかない。段ボール箱によって視覚からの情報を奪われた被害者たちは神経をすり減らし、反抗する意欲を失っていた。


 航汰は監禁中、何度も気絶したらしい。外界からの刺激を得られない状況は、好奇心の塊のような奴にとっては拷問だったのだろう。



 容疑者の男は、事件が発覚した翌日、都内のホテルに潜伏していたところを逮捕された。

 男と一緒にいた女性も、その場で身柄を確保されている。


 ニュース番組で流れたその女性の顔を、俺は知っていた。

 あの地下室で、拘束を解いてあげた女性だった。「自分が一番消耗していないから、すぐに助けを呼んでくる」と言い、彼女は監禁場所から出て行ったのだった。

 

 しかし、地下室から出て来た俺たちの前に現れたのは、元長髪さんだけだった。事件の第一報では、保護された女性は四人となっていた。


 航汰を除く被害者の人数は、五人のはずだ。

 ひとり足りない。


 助けを呼ぶと言っていた彼女は、どこへ消えてしまったのか。

 

 彼女は地下室を出るとすぐに容疑者の男の元へ、現場を押さえられたことを知らせに走った。そしてそのまま男とともに、逃亡したのだった。

 彼女は男の仲間だったのだ。


 振り返ってみると、監禁された女性たちの中で、彼女だけ靴を履いていたことを思い出した。

 不審な点は他にもあった。

 女性たちはみんな手首や足首に締め付けられたような痕が残っていた。長期間結束バンドで押さえつけられたことによる、ひも状の痣もあった。一番監禁期間の短い航汰にすら、同じ痕が刻まれていた。

 しかし共犯者の彼女には、そのような痕跡が一切見られなった。



 事件は、予想以上に大きく報道された。

 捜査に入った警察は、店舗奥の業務用冷凍庫から、衣装ケースに詰められた九人の成人女性と思われる遺体を発見した。

 

 意外と多かったな。

 報道を見て、俺は思った。

 俺を地下室まで導いた黒い影。何体もの霊が重なってできた影の正体は、きっとその九人の女性たちだ。


 自分たちを殺した男が、ここにいる。

 今も尚、かつての自分たちと同じように監禁され、殺されようとしている女性たちがいる。

 それを誰かに知らせたくて、黒い影は出て来たのかもしれない。しかしそう易々とは、己の姿を正確に視認できる人物とは出会えない。

 誰か、わたしたちの存在に気づいてくれる人間はいないのか。

 出会いを求めて現場から離れ、人通りの多い交差点まで来るに至った。

 そうして、俺を見つけたのだった。

 どうやらこの人には自分たちの姿が見えているらしい。よし、この人を現場まで案内しよう。


 影の思惑通りに、俺と航汰は監禁場所まで連れて来られたのだった。


 そういえば、黒い影はどうなったのだろうか。

 監禁されていた女性たちを救助するのに必死で、俺はあの日、途中から影の存在を忘れていた。

 現在、例の交差点にも黒い影は現れていない。

 姿が見えなくなったということは、ひとまず彼女たちの願いは果たされたのだろうか。

 あるいは、移動したのかもしれない。

 災いをもたらすために。

 あの男の元へと――。


 航汰がネットで拾ってきた情報なので、真実かどうかはわからないが、逮捕後、男は「殺した女たちがずっと俺を見ている。夢の中にも女たちが出てくる」と怯えた様子で繰り返しているという。




 放課後の図書室で、俺は新聞を捲る。

 事件についての記事の中で、共犯者の女性の身元が明かされていた。

 北関東に住む大学生で、一年程前に家族が捜索願いを出していたとある。


 その後の捜査で、女性と男の繋がりがわかってきた。

 女性は攫われて、男の家に連れて来られていた。

 彼女もまた、拉致監禁の被害者だったのだ。

 それがどんな経緯か、男の犯行を手助けするようになった。


 男は自分が家を空ける昼間、彼女に被害者たちの監視を頼んでいたという。

 そうして夜になるとこっそり彼女の拘束を解き、二階の自室で過ごさせた。驚くことに、男はたびたび彼女を外へ連れ出して、ともに外食や映画を楽しんでいた。二人の姿を見た者は、仲のいい恋人同士と思ったらしい。


 現在も彼女は取り調べで、男を擁護する発言を繰り返しているという。

 


「それって、ストックホルム症候群とかいうやつでしょ?」

 突然声をかけられ、振り返ると、垣内が立っていた。

 いつの間にか俺の肩越しに、事件の記事を読んでいたらしい。


「スト……何それ?」

「えっと、何だっけ、誘拐された人が、一緒に過ごすうちに誘拐犯のこと好きになって肩入れしちゃう? みたいなやつ」

「ああ、聞いたことあるかも」

「たぶんそこに書かれている女の人も、ストックホルム症候群になっちゃってたんじゃないかな。だって一年も犯人と一緒にいたんでしょ?」


 この事件の犯人って最低だよね、と垣内は肩をいからせた。

「だけど一緒に捕まった女の人は、ちょっとかわいそう」


 そうだね、と俺は答えた。

 自分を害した人物を好きになってしまうなんて、ものすごく悲惨だ。


「いくらイケメンでも、女の人を監禁するような奴なんて、普通の状況なら好きにならないよね」

 と言って垣内が見せてきたのは、犯人の顔写真だった。事件が報道された翌日には、高校の卒業アルバムの写真がネットに上がった。暗い目つきでカメラを睨みつけるその男は、なるほど整った顔立ちをしていた。


「いつも不思議に思うんだけど、どうしてニュースになるような事件を起こした人って、毎回卒業アルバムの写真出されるんだろうね。最近撮ったやつじゃだめなの?」

「写真自体がないんじゃないかな。家族や友達と一緒によく写真に写るような生活をしている人は、きっとこんな事件起こさないんだと思う」

「ああ、そうかもね」


 興味を失ったのか、垣内はカウンターのほうへと、戻りかけ、それからくるりと俺を振り返った。

「あ、そうだ、保管室から去年の卒業アルバムと文集を取ってきてほしいんだけど、お願いできる?」


「いいけど、そんなの何に使うの?」

「三年の先輩から頼まれたの。アルバム文集委員なんだって。参考にしたいから、去年のぶんを見てみたいって」


 垣内から図書保管室の鍵を受け取り、中に入った。元々ここは、貴重本や古い資料集などを保管しておくところだったらしい。個人情報の管理に厳しくなってからは、卒業アルバムや文集の類も、図書室から保管室へと移動になったと聞く。


 ガラス扉のついた棚を端から順に見ていき、去年の卒業アルバムと文集をまとめて引き出す。と、そこで思い立ち、文集のほうを開いた。

 確か、航汰は俺の三学年上だったはずだ。つまり、卒業したのは今年の三月。この文集には奴の作文が載っている。

 偏見かもしれないけど、卒業文集の中身なんて黒歴史のオンパレードだ。

 俺は航汰の恥を覗き見るつもりで、奴の名前を探した。


「あれ? おかしいな……」


 何度もページを往復し、隅々まで目を凝らした。

 だけど、田中航汰という名前はどこのクラスからも見つけられなかった。

 

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