地下室(3)
阿吽の呼吸で、俺たちは二手に分かれた。俺が女性たちの拘束を解き、その間に航汰は他にバンドを外すのに使えそうな器具がないか室内を探す。見つけ次第、俺を手伝う。
俺は犯人によって髪を切られたらしい女性の拘束を解いた。名前がわからないから、彼女のことは頭の中で元長髪さんと呼ぶことにしよう。
「急いで逃げて。助けを呼んで来てください。警察に連絡も」
声を落とし、元長髪さんに指示を出す。ここへ入って来るのに使った扉を指差して言った。
「あそこから外へ出られますから」
元長髪さんは小さく頷くと、自分で口のスカーフを解いて、よろよろと立ち上がった。
いつから監禁されていたのか、明らかに体力が落ちた人の動きだ。加えて、彼女は靴を履いていない。裸足のまま、どのくらいのスピードで助けを呼んで来られるか。
「んん!! んんー!!」
背後で、誰かが呻いた。
元長髪さんの動きに気を取られていた俺は、はっとそちらを振り返った。五人目に段ボール箱をどけてやった女性が、髪を振り乱し、必死にアピールしている。俺は急いで彼女に駆け寄り、拘束を解いた。
「たぶん、この中ではわたしが一番消耗していないと思います。すぐに助けを呼んで来られます」
スカーフを解くや否やそう早口で告げると、彼女は素早く立ち上がった。なるほど、元長髪さんとは違い、足取りもしっかりしている。床を蹴る靴音が、なんとも力強く頼もしかった。
「頼みます」
駆け出した彼女の背中に声をかけて、俺は残りの女性たちの救出に戻った。
■ ■ ■
ふらつく者には肩を貸し、なんとか全員で地下室を出た。裏手にあった格子扉の結束バンドを壊し、ぞろぞろと脇道を通って、表通りに出る。
斜め向かいの家から、肩に毛布をかけた元長髪さんが出てきた。
「ああ、良かった。心配していたんです」
彼女の傍らには通話中の中年男と、髪を紫色に染めた老婆がいた。
「こちらの方に保護していただいたんです。今、警察を呼んでもらっています」
元長髪さんが言う。
中年男は困惑の色を浮かべながらも、電話口に向かって冷静に状況を説明している。その横で、老婆は拝むような仕草を見せていた。
「びっくりしたよお。いきなりこの子がうちに駆けこんで来て、助けてくれとか言うんだもん。だけんど、そこの酒屋から逃げて来たって言うだろお。あたしは前から、あすこんとこの倅がおかしいと思ってたんだよお。なんだか小っちぇときから気持ちの悪い子だったあ、いっつもじとーっとした目でこっちを見てくるようなさあ。親が亡くなったときも、ちいとも泣きもしないし。最近じゃあんまし姿も見せねえで、道ですれ違っても挨拶もなし、まったく男の独り暮らしなんてろくでもねえよなあ」
長々と呟き、老婆は忌々しげに酒屋のシャッターを顎でしゃくった。
通話を終えた中年男が、
「母さん、俺は向こうの通りに出ておくよ。そのほうが警察が見えたとき案内しやすいし」
と老婆に向かって言い、駆け出す。
老婆は「ああ、頼んだよ」と息子の背中に返すと、女性たちのほうを振り返った。
「外は冷えるねえ。良かったらみんな警察が来るまで、うちん中にいなさいよ」
そうして返事を待たずに、さっさと家の中に引っこんでしまう。
女性たちは顔を見合わせ、それからおずおずと老婆の後を歩き出した。
俺は被害者たちの背中を見送った。それから、放っておいたらうっかり彼女らについて行ってしまいそうな航汰を、慌てて引き止めた。
「鞄の中身で、なくなったものはない?」
犯人に取り上げられた鞄を、航汰は地下室の隅で見つけ、脱出の際に持って来ていた。
「スマホは壊されていますが、他は大丈夫そうですね。なくなったものはありません」
鞄の中を探り、航汰は言う。
良かった、これで少し不安は解消された。
あの地下室に、航汰が監禁されていたという大きな証拠は残っていない。
地下室では段ボール箱を被せられていたから、被害者たちは互いの顔をじっくり見る余裕などなかったはずだ。加えて、航汰は監禁犯に殴られていたのでいつもと人相が変わっている。
もちろん女性たちの証言や、指紋などの問題は残るが、六人目の被害者がどこの誰かまでは警察も突き止められないんじゃないだろうか。
一方で俺に関しては、誰かに顔を覚えられていないことを願うしかなかった。ただし、薄暗く視界の悪かった地下室と、被害者たちもあの差し迫った状況下ではまともに記憶力がはたらかなかっただろうことを踏まえ、俺の逃走成功率は高いと見ている。
「それじゃあ今すぐここから逃げるぞ」
「ええ? どうしてです?」
「だって俺、なんであの地下室に人が監禁されているとわかったか、警察に訊かれても答えられねえよ」
近くの交差点にいた黒い影を追って来たら、その影に監禁現場を教えられたなんて説明、警察が信じるわけない。
おかしなことを言って、監禁犯の仲間と疑われる危険もあるだろう。
今回のことで、警察から家に連絡が行くのもまずい。息子の行方不明事件だけで、俺の親は一生分の不安と恐怖を味わわされたのだ。これ以上の負担を、二人にかけたくなかった。
「お前だってさっさと家帰って寝たいだろ。今から警察に色々事情訊かれるのとかだるくね?」
「あ、それもそうですね」
航汰がパチンと両手を打つ。その手首に残された、結束バンドの痕を一見て、俺は尋ねた。
「ところで、お前はなんで監禁されてたんだ?」
ショートヘアの美女でもないのに。
「そうですねえ」
航汰はもったいつけた仕草で、顎をさすった。
「まあ、しいて言うなら、すべてを知ってしまったから――ですかね」
そう言って、片目をつむってみせた航汰はシンプルにキモくて、腹立たしかった。俺は地下室のときの数倍の力をこめて奴の頬を張ろうとし、寸前で踏みとどまった。
外灯に照らされた航汰の顔はとても疲れていて、いつもより十歳くらい老けて見えた。
それから俺たちは、静かにその場から姿を消した。
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