地下室(2)

 何がどうなって、航汰は今あそこにいるのか。

 変わり者とはいえ、少なくとも俺が知る航汰は、頭から段ボール箱を被ったりしない。意味不明な奇行はしない奴だ。

 あれは、本人が望んでいる姿ではないだろう。

 じゃあなんだ?

 監禁、の二文字が頭に浮かんだ瞬間、足元からぞぞぞっと不快なものが這い上ってきた。


 航汰なんか監禁したところで何も得しないだろうに。むしろ犯人にとって負担でしかないだろう。

 とはいえ、このまま放ってはおけない。航汰の他に五人もの人間が、自由を奪われた状態にあるのだ。

 第一に、俺自身が、他人を閉じこめてどうこうしようという奴が許せない。

 こんな最低なことをする奴は、堅く重たい金庫にでも押しこんで、海の底に沈めてやりたい。


(……うわ、想像したら気持ち悪くなってきた)


 俺は慌てて海底に沈む金庫のイメージを頭から振り払った。


 犯人を捕まえるとか懲らしめるとかは、俺の役目じゃない。

 今俺がすべきは、六人を地下室から逃がすことじゃないか。


 神経をとがらせ、周囲を警戒する。

 監禁犯は今、どこにいるのだろうか。すでに俺の気配に気づき、中で息を殺してやり過ごそうとしていたら?

 安易に助けに入るのは、俺自身が危険かもしれない。


「なあ、今俺が助けて行っていいと思う?」

 試しに、黒い影に訊いてみる。影はまたしても渦を巻いて見せた。


「それとも先に警察呼ぶべき?」

 影はわずかに迷うような隙を見せた後、渦を巻くのをやめた。


「警察より先に救助?」

 再び渦を巻きだす。


「あの部屋の中に、監禁犯が潜んでいるとかない?」

 変わらず渦巻き。


「それってつまり、イエスってこと?」

 渦巻き状態を維持。

 なんだよこのコミュニケーション。


 とにかく黒い影は俺にGOと訴えている。俺は覚悟を決め、腕まくりをした。すると影はつつっと地面をすべり、プランターや植木鉢が並ぶほうへ行く。植物の枯れた茎が刺さったままのそれらを、俺は影に促されるまま移動させた。すると、錆びついた鉄製の扉が露わになった。地下室への入り口だ。

 見るからに重そうなその扉を、力いっぱい引き上げる。経年劣化で脆くなっていたのだろう、チェーン式の鍵は数回扉を上げ下げしただけで、ふつりと外れた。

 扉の先は、階段になっていた。下りた先にはまたしても扉。しかし鍵はかかっていない。

 腕に強い抵抗を感じながら、扉を押し開いた。

 どうか、監禁犯と鉢合わせしませんように。心の中でそう願った。


「うげぇぇ……」

 黴臭さと同時に、饐えた体臭のようなものが鼻をついた。

 なるべく口で呼吸をするようにして、薄暗い部屋の中を進んだ。


 段ボール箱を被った人間たちは今、扉と俺の足音に神経を集中させているだろう。緊迫した空気が伝わってきた。

 一番近いところにあった段ボール箱をどけると、怯えた目をした若い女性の姿があった。ねじったスカーフのようなものを咬ませられ、手首と足首はそれぞれ結束バンドで固定されている。


 俺の顔を見ると、女性は鼻息を荒くし、目を白黒させた。俺は彼女を安心させるために、「大丈夫です、俺は犯人の仲間とかじゃないです」と訴えた。


「これから他の人の無事を確認するので、もうしばらくこのまま辛抱してください」


 女性は涙目になり、こくこくと頷いた。

 

 次の段ボール箱をどける。出てきたのは女性で、一人目と同じように拘束されている。その次の段ボール箱からも、拘束された女性。彼女はファッションに疎い俺が見てもわかるほど、珍妙な髪をしていた。プロの仕事とは思えない、明らかに素人の手によって切られた髪型だった。


 また次の段ボール箱どける。半ば予期したとおり、髪の短い女性が出てきた。

 一人目、二人目の女性も、ショートヘアだった。どうやら犯人は、ショートヘアの若い女性を監禁したい趣味の持ち主らしい。

 三人目の髪は、好みの条件に当てはめるため、犯人自身が切ったのだろう。

 

(そうか、航汰も一応ショートヘアではあるしな。男だけど)


 俺は最後に、航汰の段ボール箱をどけた。

 航汰は、両膝の間に頭をねじこむようにして体を丸めていた。


「おい」

 そっと声をかけた。航汰は反応しない。俺は奴の体を大きく揺さぶった。力を入れすぎたのか、航汰の体が斜めに傾く。

 床に倒れこんだ航汰の顔を覗いたとき、俺は悲鳴を上げそうになった。

 航汰は白目を剥いて気絶していた。


「おい、大丈夫かよ。起きろ」

 しばらく体を揺すっていると、航汰の黒目がぐるりと動いた。俺は奴の口に貼られたガムテープをはぎ取ってやった。女性はスカーフを咬ませられていたのに、航汰だけ口に直接ガムテープな点、扱いの差が感じられた。女性たちはひとりが髪を切られている以外、見えている部分には暴力を受けたような痕はなかった。しかし航汰の頬は、痛々しく腫れあがっている。


「よお、久しぶりだな」

 と声をかけてから、航汰の目つきが正気じゃないことに気づいた。奴は目の前の俺を見ていない。


「……置いていかないで」

 焦点の合わない目で、航汰はうわ言を繰り返した。それから突然、俺にすがりつき、

「僕もここから連れ出してよ。ひとりにしないで」

 と悲痛な声を上げた。


 俺は力を加減して、航汰の腫れていない側の頬を張った。


「え? ああ……小野塚くんじゃないですか」

 航汰の目つきが正常に戻る。


「よし、大丈夫そうだな」

「あれ? 私は今……」

「うん、なんかちょっと、おかしくなってた」


 なんでもないように言ったけど、実はさっきの航汰の様子は本気で怖かった。

 知らない誰かを相手にしているみたいだった。


「何も言わなくていい。たぶんだいたいの状況はわかってる」

 と俺は言う。

 この局面で、長々と説明を受けている余裕はない。監禁犯がいつ部屋に入って来るかわからない。


「今日までのパターン通りなら、おそらく犯人の戻りは夕方から夜かと」

 航汰も俺の考えを察して、素早く返してきた。顔色は青白いを通り越してどす茶色、目の下にはくっきりとクマがこびりついている。それでも見た目ほど、疲れや思考力の低下はないみたいだ。


「今、午後六時だけど」

「じゃあそろそろかもしれませんね」

「わかった、急ぐぞ。立て」

「立てません」

「なんでだよ」

「これ、外していただかないと」


 航汰が両腕を上げ、結束バンドの爪部分を俺の前に突き付けてくる。


「ちょっと待ってろよ」

 俺は室内を物色した。はさみかニッパーでも見つかればいいのだけど、そう都合良くはいかない。俺が犯人なら、監禁部屋に、脱出に使えそうな道具を置いておくなんて間抜けはしない。


「こんなもんしかなかったわ」

 木箱の傍で拾った、一見して拷問器具のようなものを航汰に見せる。持ち手と思しきリングの下にはバネがついていて、左右の歯車の先はなだらかなアームのようになっている。


「ワインオープナーですね。使えますよ」

 航汰が目を輝かせた。

 奴に教えられるまま、オープナーのアーム部分を、結束バンドの爪とバンドの隙間に差し入れる。そのままバンドを引くと、ずるりと動き、簡単に外せた。

 同じようにして、足首のほうのバンドも外す。

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