地下室(1)
航汰の様子を見に行く。
田中先生とそう約束したものの、俺は奴がどこに住んでいるのか知らなかった。
〔お前いい加減にしろ〕
〔今何してるんだよ〕
続けて〔田中先生も心配してるんだけど〕とメッセージを打ち、考え直して『も』を『が』に変え、送信する。
やはり航汰からの反応はない。
待っているだけは性に合わないので、ひとまず俺は、今年オープンしたばかりというおにぎり専門店の場所を調べ、行ってみることにした。
以前に航汰が、その店が家の近くにあると言っていたのを思い出したのだ。
おにぎり専門店の周辺で、田中という表札が出ている家を探し歩いた。見つけたのは、こじんまりとした二階建て住宅。失礼だけど、特に裕福そうには見えない。一応インターホンを押してみたが、対応してくれたのは人の好さそうな老夫婦だった。航汰の名前を出すと、二人は揃って「知らない」と答えた。
俺はそこでの捜索を諦め、最後に奴と別れた場所へと移動した。
影に案内されたどり着いた、クリーニング屋と酒屋の前だ。
周辺での聞きこみの結果、航汰はこの二店舗について、有益な情報を入手したんじゃないか。そして、さらなる調査に夢中になるあまり、連絡を忘れているんじゃないか。
ここでなら、案外すぐに航汰の足取りを掴めるかもしれない。
今回もまた、二店舗からは人の気配が感じられなかった。
さて、航汰はどこに……。
周囲を見回したとき、視界の隅にあの黒い影を捉えた。
「また出て来たのか」
いつの間にか俺の傍らには黒い影――いくつもの霊が重なった姿が、出現していた。
今回は例の交差点付近ではなく、はなからこの場所で姿を見せた。
(まるで、俺を狙ったみたいに登場してくるのな)
と、そこで俺は影の目的がなんなのか、思い至った。
「お前ら、俺に会うために現れたんだな」
確かめるように言った。黒い影は俺の問いかけに呼応するように、激しく揺らめいた。
「なんだよ、俺に何かしてほしいことでもあるの? 悪いけど、今は後回しな。連れを見つけるほうが優先だから」
だけど、と俺は黒い影を睨みつけた。
予感があった。
「もし、お前らが俺の連れの行方を知っているなら、手を貸してやらないこともないけど?」
再び、黒い影が激しく揺れる。
間違いない、航汰の行き先に、こいつらは関与している。
「お前ら、航汰に何をした?」
黒い影がぴたりと静止した。一瞬、意思疎通の拒否かと思った。だけど違う。すべるように影は移動をはじめる。二店舗の間の細道へ、するりと入っていく。確か、前回もそうして奥へと姿を消したはずだ。
俺から五歩くらい先のところで、影が止まる。
今回は、俺の視界から消えない。
目も鼻も口もない、表情のわからないこの集合体から、俺は明確な意思を感じ取る。
「ついて来いってか? いいよいいよ、行ってやるよ」
俺は勢いをつけ、細道に飛びこんだ。再び動き出した影の後を追う。
案内された先に何があるのか。好奇心がむくむくとわきあがってくる。
認めよう。俺はだいぶ航汰から影響を受けているみたいだ。いい影響じゃなくて、悪い影響のほう。
だってまともな奴なら、こんな妙な影の後を、のこのこついて行ったりしない。
少し進むと、ブロック塀に突き当たった。行き止まりだ。黒い影が右手にある格子戸をすり抜け、酒屋の裏手へと侵入する。辺りには雑草が広がり、プラスチックケースが乱雑に投げ置かれていた。長く放置されているのだろう、ケースはかなり退色が進んでいる。
「俺もそっちに行けって? ていうかこの戸、動くの? お前らみたいにすり抜けるとか、人間様はできないんだけど。一応お前らも元人間なんだろうから、その辺り理解してるだろ?」
押したり引いたりしてみたが、戸は動かなかった。よく見ると、結束バンドで固定され、開かないようになっている。
越えられない高さでないことが救いだった。
俺は片足を格子の隙間にかけると、もう片方の足で弾みをつけて地面を蹴り、戸を飛び越えた。
「ふう」
もちろん黒い影からねぎらいの言葉はなく、淡々と先へ進んでいく。
今俺がしていることって、不法侵入になるのかな?
一瞬、そんな疑問が頭をよぎったが、こんな塀と建物に囲まれた空間に足を踏み入れたところで、目撃できる人間もいないだろう。
それでももし誰かに咎められたなら、猫を追いかけていて、ついうっかり入ってしまったとか言い訳しよう。
静止し、耳を澄ませてみても、店舗の中からはやはり、生活音や人の話し声など聞こえてこなかった。
十中八九、人の出入りはないと見ていいだろう。
黒い影は、外壁に立てかけられたベニヤ板の前まで来ると、おかしな動きを見せた。
ゆっくりと渦をまきはじめたのだ。
「何何その動き、初めて見るんだけど」
一体、俺に何を訴えようとしているのか。さっぱりわからない。もしかしてと、その場で俺も回転してみたけど、影が求めているリアクションとは違うらしい。
色々と試した末、ベニヤ板を移動させてみると、影は元の状態に戻った。
「ああ何、これを退けてほしかったの? だったら最初からそう言えよ――あれ?」
そこで俺は、長細いガラスの存在に気づいた。ちょうどベニヤ板で隠れていた部分、地面すれすれの位置に、泥まみれの窓があった。
と、そこで影が襲いかかるかのように迫って来た。
「うわっ、急になんだよ」
咄嗟に身を低くすると、窓ガラスの向こうが覗けた。
「部屋だ……」
どうやらこの窓は、地下室の明かりとりのために作られたものらしい。
地下室は薄暗く、中の様子はよくわからなかった。俺は服の袖を使ってガラスについた泥汚れを拭い、少しの間、目を細めたり見開いたりしてみた。
そんな俺を、影は今度、静かに見守っているようだった。
さっき迫ってきたのは、おそらく俺にこの窓を覗かせるためだったのだろう。
目が慣れてきて、ようやく地下室の中を把握することができた。
壁際には木でできたケースがいくつか積まれていた。雰囲気から見て、洋酒を入れていたものなんじゃないかと推測する。この地下室は、酒屋が在庫管理をするのに使っていたのかもしれない。
部屋の中央には大きな段ボール箱が六つ、等間隔で置かれていた。
「んん?」
一瞬、見間違いかと思った。
だってこんな光景、異様だろう。
段ボール箱と床の隙間に、人間の足が挟まっている?
俺は一度顔を上げ、瞬きを繰り返してから、再び窓ガラスに顔を近づけた。
やはりどの段ボール箱も、床との隙間から人のつま先が覗いている。
箱の高さから判断して、中の人は今、座った状態にあるのだろう。
一体、何事だ?
閉店した店舗の地下室で、六人の人間が頭からすっぽり段ボール箱を被り、じっとしている。
「怖っ、何これなんかの儀式?」
六人のうち、四人は裸足、二人は靴を履いていた。
一方の靴に、覚えがあった。
海外の高級ブランドが出している、光沢のある真っ白なスニーカー。
いつも好き勝手なタイミングでうちに押しかけてくる、はた迷惑な奴なのに、玄関では毎回必ず腰を落として脱いだ靴を揃える、行儀の良さを見せていた。だから、強く印象に残っている。
「お前、そんなところで何してるんだよ……」
窓の向こうの地下室で、航汰の靴先を見つけた。
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