黒影(3)
先生が事故に遭った現場を見に行くと言うと、案の定、航汰はついて来た。
「あの交差点で事故が多発しているのは、怪異の影響と見て間違いないでしょう」
と、すでにどこからか黒い影の噂を入手していたらしい航汰は、例によって興奮の色を浮かべていた。
しかし、オカルトマニアも今回ばかりは単純にはしゃいでいられない。田中先生が被害者となったからだ。
交差点に着くと、航汰は一転して表情を引き締めた。
「黒い影の正体を突き止めて、もうここで事故が起きないよう対策できればいいですね」
もちろん俺もそのつもりで、ここまで足を運んだ。
別にどこの誰が事故ろうが俺には関係ないが、今後も田中先生が通勤でこの交差点を通るのならば、放置はできない。
ただ霊が視えるだけの俺に、できることはないかもしれない。それでも、黒い影発生の原因がわかれば、何か一つくらい対処方法を編み出せるのではと、期待していた。
交差点には、痛々しい事故の爪痕がくっきりと残されていた。
ガラスの細かい欠片が歩道の隅に転がり、歩道脇のブロック塀が崩れている。街路樹の一部は折れ曲がり、周囲のタイルにはひびが入っていた。道路のほうを見ると、黒々としたブレーキ痕が長く尾を引いていた。
そのような景色から少し離れたところに、問題の黒い影は漂っていた。
「すげえ、こんなの初めて見る」
純粋な驚きから、俺は言った。
一体、何がどうしてこうなったのか。
じっくり観察したいところだが、まずはいつものように、航汰用に撮影をはじめる。黒い影へとスマホのレンズを向けた。
俺が撮影した動画には、そこにある怪異が映る。霊を視る力がない航汰でも、動画を通してその全貌を知ることができるというわけだ。
スマホを構えた俺に対し、航汰は言う。
「いいえ、小野塚くん。今日は撮影してもらわなくても大丈夫そうです」
「なんだよ、見たくないの?」
「見えているんですよ、今」
「はあ?」
「影はあそこ……ですよね?」
航汰はしっかりと黒い影の位置を指し示していた。
どういうことだ? こいつ、いつから霊を視認できるようになった?
俺は驚いて、航汰と影を交互に見やった。
「薄くぼんやりですけど、見えてます。あそこだけ周りの空気と明らかに違います。小野塚くん、一体あれはなんなのでしょうか?」
「あれは――霊のホットドッグ? 霊サンドイッチ?」
「ほほう、食べ物縛りで例えているのですね」
「いや、違う。しっくりくる表現が見つからねえんだよ。なんていうかほら、ケーキでさ、薄いのがいくつも重なっているようなやつあるだろ?」
「ミルフィーユですか? それともミルクレープ?」
「ああ、そうそうそんな感じの」
影は、いくつもの霊の姿が重なってできていた。重なることで濃い黒となっていたのだ。
霊を視ることのできない航汰でも、今回その存在を感知できているのは、濃さが関係しているのかもしれない。
薄いものも、重ねれば存在感が出るという理屈なのか?
「霊の数が多すぎて、何体いるのかわかんねえな。そもそもどうしてこいつらは重なってるんだか」
まさか、今までこの交差点で事故に遭った連中すべてが地縛霊と化し、重なっているのか。
そのことを伝えると、
「事故の件数自体は多いですが、死亡事故は起きたことありませんよ」
と航汰は言う。
「じゃあこの霊たちは、どっから現れたんだよ」
「そうですね、考えられるとしたら、昔この場所は墓地だった、あるいは処刑場だった、とかですかね? 怪談としてはありがちな設定で申し訳ないのですが。どうも真相を知るためには、この場所の歴史を調べる必要がありそうですね」
「調べものとかだりぃわ」
俺がしかめっ面を作ると、航汰は無言で生ぬるい目を向けてきた。
「なんだよ、言えよ。気持ち悪ぃな」
「いえ、百戦錬磨の小野塚くんでも、まだ見たことがないタイプの怪異が存在したのだなと思いまして」
「百戦錬磨って」
「小野塚くんでも遭遇するのは初めての怪異を、私は今、自分の目で見ている」
「だからなんだよ?」
「うらやましいですか?」
「はあ?」
「小野塚くん、私がうらやましいんじゃないですか?」
「なんでだよ」
「だって私は初めてでいきなりレア怪異を引き当てたんですよ?」
「ああ、そういう話ね」
「どうです? 私がうらやましいでしょう?」
答える代わりに、俺は航汰のみぞおちに肘鉄を食らわせた。
「げえ」と崩れ落ちる航汰を横目に、改めて黒い影を観察する。と、そこで影が動きを見せた。
「……もしかして、呼んでる?」
俺が呟くと、涙目になった航汰が訊き返した。「呼ばれているんですか?」
影は明らかに俺に向かって、手招きする仕草を見せた。それからおもむろに移動をはじめる。歩道をすべり、角を曲がって姿を消した。
「俺について来いって言ってるのか?」
体勢を立て直した航汰が尋ねる。
「影を追いますか?」
好都合だ。
地道に資料を捲って土地の歴史を調べるより、実際に体を動かして確かめるほうが性に合っている。
「追うに決まってるだろう」
俺は答えた。
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