ポルターガイスト(2)
「やあ、こうちゃん、妙なことを頼んじゃって悪かったね」
「いえ、私のほうこそお礼を言わせてください。こんな面白い場に呼んでいただき、ありがとうございます」
「普通なら気味悪がるだろうに。はは、やっぱりこうちゃんは変わっているなあ」
そこで航汰の叔父は、俺のほうへと顔を向けた。
「やあ、君が小野塚くんだね。航汰からいつも話は聞いているよ。せっかくの夏休みだというのに、申し訳ないね。今夜はよろしく頼むよ」
航汰の叔父は申し訳なさそうに後頭部を掻いた。
「少し中を案内しよう」
階段を上ろうとすると、二階から作業服を着た二人組が下りてきて、
「お疲れさまでした」
「社長、お先に失礼します」
と、それぞれ航汰の叔父に向かって頭を下げた。
休日出勤の従業員だろうか。
もしかしたら二人のうちのどちらかが、さっき廊下で見かけたガキの親だったりするのだろうか。見るからに生意気そうなガキだった。おそらく、親の仕事が終わるのを待つ間、いたずらに社内をうろついていたのだろう。
ここはおもちゃ会社なわけだし、従業員のガキが多少遊び回っていたところで、咎められることもなさそうだ。
案内された部屋には、事務机のしまが縦二列となって並んでいた。壁際にはファイルなどが詰まった大きなキャビネットがあり、その手前に設置された台の上には、カラフルなおもちゃが山積みになっている。プラスチック製の飛行機や小さなままごとセットなど、安っぽいつくりの物が目立った。
「全部うちで作っている製品だよ」
航汰の叔父はそう言うと、山の中から一つのおもちゃを手に取った。
「そしてこれが、今話題の回転アザラシくん」
一見すると、のほほんとした顔のアザラシの人形だった。
「これをこうして……」と、叔父がネジ巻きの要領で尾の部分をひねってみせる。すると、アザラシの顔が奇怪な声を上げながら、360度回転をはじめた。なんとも狂気じみたおもちゃだ。俺にはさっぱり良さがわからない。
世間ではこのアザラシ人形が大人気で、現在も品薄状態が続いているというから驚きだ。
きっかけは、ある人気ママタレントのSNSだったという。外食中に娘がぐずりだし、困っていたところ、お子様ランチのおまけでついてきたおもちゃが、娘の機嫌を直すのに役立ってくれた。
そのような文面とともに載せられていたのが、回転アザラシくんの画像だった。
かわいいのか気味が悪いのかよくわからないビジュアルと、頭が回転するというシュールさが受けて、会社には回転アザラシくんへの問い合わせが殺到した。
航汰の叔父は今が勝負時と見て、大幅に事業を拡大、従業員も増やし、現在に至るという。
だが回転アザラシくんのヒット後、間もなくして、叔父はある問題を抱えるようになった。
朝、出勤してくるとオフィスが荒らされている。机や棚の中のものが床一面に放り出されているのだという。
夜間のうちに侵入者があったのか。しかし防犯システムが作動した形跡はなく、盗まれたものもない。
一体誰が、なんの目的でオフィスを荒らしているのか。
そこで叔父は考えた。
もしかして、オフィスでは夜な夜な、ポルターガイスト現象が起きているのではないか。
なんとも航汰の叔父らしい発想だ。
ただし叔父は航汰と違って、怖がりな性分だった。
自分の目でポルターガイスト現象の真相を確認する勇気がなく、オカルト好きの甥に代わりを頼んだ。
それで俺はというと、実家からの帰り道の途中に、たまたま航汰の叔父の会社の前を通るという縁で、今夜付き添うことになった。
ちなみに航汰の叔父には、俺が幽霊の姿を捉えられる云々の話は秘密だ。言えば普通に信じてくれそうだけど、そうなったらそうなったで噂が広まり、今後も人づてに心霊関連の頼まれ事をされる危険性が出てくる。藤間さんの相談を受けたのがいい例だ。彼女繋がりで、稲山さんの息子を尾行するはめになった。
厄介事を避けるために、簡単に霊感があるなんて口にしてはいけないのだ。
航汰の叔父が会社を出て行った後、俺たちはカップラーメンを作り、来客用のソファに座って食べた。叔父からは、給湯室など、どこでも自由に使っていいと言われていた。
差し入れとして、タブレットとお菓子やジュースの入った袋を置いていってもらったので、ひとまず退屈はしなさそうだ。
「本当にポルターガイスト現象は起きるのでしょうか。いいですか小野塚くん、そのときはまたいつものようにお願いしますよ」
航汰が念を押すのは、撮影のことだろう。
「わかってるよ」
オフィスを荒らしているのが霊の仕業なら、一体どんな奴なのか、今回もまたその姿を撮影してやろう。
■ ■ ■
菓子を食いながらタブレットで映画を観て、夜は更けていく。
零時を回っても、異変は起きなかった。
最初のうちは気を張っていたものの、こうも何も起きないと、徐々にだらけてくる。
「今夜は幽霊も休みなんじゃねえの? 日曜だしさ」
ポルターガイスト現象が起きるどころか、オフィスには幽霊の姿さえなかった。
「幽霊も週休二日制なのですか?」
「知らねえけど」
一時を過ぎたところで、航汰が手洗いに立った。ひとりになると、立て続けに大きなあくびが出た。さすがに眠くなってきた。
コーヒーでも淹れるか。
ソファから立ち上がったとき、ぶつっと籠った音がして、オフィスの照明が落ちた。
「停電か?」
俺は窓の外に目をやった。周辺には倉庫と田畑しかないため、屋外の明かりは見つけられない。
突然、背後から左腕を引っ張られ、俺はよろめいた。
「うわっ、何?」
引っ張っているのは航汰ではないと、すぐにわかった。気配や息遣い、腕を掴まれる感触、人間らしいものが何一つ、伝わってこない。
つまり相手は、この世のものではない。
そう考えを巡らす間にも、見えない力は左腕から上半身、そして後頭部へとかかってくる。抗う隙もなく、俺の体は床に押しつけられた。
うつ伏せの状態からなんとか首だけを動かし、顔を横に向ける。
「おい、ふざけんな! やめろ!」
力の主に向かって怒鳴る。
夜な夜なポルターガイストを起こすという霊の仕業だろうか。そいつはなぜか今夜、オフィスには手を出さず、代わりに俺を襲うと決めたらしい。
見張るという行為が、奴の逆鱗に触れたのだろうか。
「わかった今すぐ出てくから。てめえのテリトリーなんだろ、ここは!」
叫んでみても、状況は変わらない。
「あ、嘘、嘘、なんで……」
ズズッ、と足を引かれた。最初は試すような力加減、だけど次の瞬間には、重たい家具を移動させるような勢いで、俺の体は後方へと引きずられていく。あまりの力に、体は大きくバウンドし、俺は何度もろっ骨を床に打ち付けた。
「くっそがぁぁぁぁぁ……!!」
痛みに悶絶する。
黙って引きずられるわけにいかない。俺はデスクの脚や何かのポールなど、触れたものを次々と掴んで、抵抗を試みた。どれも失敗に終わる。相手の力は強く、対して、俺の握力は泣きたくなるほど弱かった。無事にここを出られたなら、何かしらのトレーニング器具を買おう。今の俺に足りないのは、間違いなくパワーと筋肉だ。
明日からのことを考えて、脳内から『混乱』の二文字を追い出す。
腹や指先に伝わる感触が、ふつりと切り替わった。硬く冷たい床から、少しやわらかくてべたつく床へ。
どこだ? 俺は今どこまで引きずられてきた?
体感で、オフィスは出ただろうと見当をつける。
床からは、豚骨スープみたいな臭いがした。
思い出した。たぶんここは、カップラーメンのお湯を沸かすときに入った部屋だろう。ドアに、給湯室の札が付けられているのを見た記憶がある。ビニール製の床は薄汚れていて油っぽく、歩くたび、張り付いた靴底がベリッと音を立てていた。
空気が動くのを感じた。その後聞こえた音で、給湯室のドアが閉まったのだとわかった。
何の前触れもなく、照明が点く。と同時に俺の体は自由になった。
真っ先にドアレバーに飛びつく。ガチャガチャと音はするのに、手ごたえを感じない。ドアは開かない。
閉じこめられた。
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