ポルターガイスト(1)

 車は田舎道をびゅんびゅん走り、実家の景色は遠ざかっていく。曇に覆われた空は、見ているぶんには涼しそうだが、実際に窓から入ってくるのは強烈な熱波。メランコリックな気分に浸りたいのに、これでは台無しだ。夏のギラついた空気は、俺の感性を鈍化させる。


「冬休みにはまた帰って来なさいよ」と両親から見送られたのは、ついさっきのことだ。

 俺は再び家族のもとを離れ、ひとり生活する部屋に戻る。後ろ髪を引かれる思いをするだろうと、昨日の夜から覚悟していた。

 だけど、いざ家の前で手を振る両親を見ても、俺の心は少しも痛まなかった。

 

 認めたくないけど、隣に航汰がいたからかもしれない。

 良くも悪くも、こいつがいれば退屈しない。つまりは感傷を抱く隙すらないのだった。


「ご実家を離れるのは、やはり寂しいですか?」

 航汰の問いかけに、俺は「別に」と答えた。


「航汰だって夏休み中家を離れてたけど、寂しいとかないだろ?」


 うちに滞在中、航汰は一度も自分の家に関する話題を出さなかった。親と連絡を取っていた形跡すらない。

 俺はそれを不思議に感じたが、まあ航汰も一応は成人なわけだし、そうすると特別用がない限り、親とは関わらないのかもしれない。元々、航汰の親は放任主義らしいし。


「そうですね。まったく寂しくありません」

 航汰は晴れやかにそう言い切った。

「私の家は少し特殊ですから」

 薄く微笑んで、それはとても穏やかな表情のはずなのに、どうしてか航汰のその顔を見たとき、俺の背筋は寒くなった。


「ああ、親、仕事が忙しくてあんまり家にいないんだったっけ?」

「はい。でも特殊なのはそこではなくて――」


 航汰にしては珍しく、そこで悩むような表情を見せ、一度言葉を切った。

 それから、意を決したように、

「あの方たちは、昔から私に関心がないのです。正直に言いますと、私は親という存在がどういうものなのか、把握できていないのです」と言った。


「え、それって……」

「ああ、もちろん血の繋がりはありますよ。しかし面と向かっても、目の前の二人が自分の親だという意識がわきません。生活費を援助してくださる、親切な遠い親戚というような感覚なのです。そういえば、私が最後に両親と顔を合わせて話をしたのは、十年以上前になります」


「本当に? 十年以上、親と会話してないの?」

 航汰は普段、鬱陶しいほどのお喋りなのに?


「そうですね。しかし連絡事項などはメールで伝えあうので、不便はないですよ。子どもなんてお金さえ与えておけば後は勝手に育つという考えの方たちなのです。そのお陰で私は今この通り、自由を謳歌しているわけで、不満はありませんけど。子どもの頃は叔父が時々遊びに連れ出してくれましたし、両親と会えなくて寂しいと感じたことは、今までありませんね」

 

 車内に沈黙が流れた。

 もしもこの先、両親と直接話す場があったとしても、航汰は今のように丁寧語で話すのだろうか。

 俺はふと、そんなことを疑問に思った。

 航汰の目に、俺と両親の関係はどんなふうに映ったのだろう。


 空気が重くなったのを感じたのか、しばらくして、航汰は明るい調子で話を振ってきた。

「そういえば、訊こうと思って忘れていました。小野塚くんは日常的に幽霊を目にしていて、これまで憑りつかれたことはなかったのですか?」


「ないよ」

 俺は即答した。

 悪意を持っていそうな霊はたくさん見かけるけれど、無差別に攻撃してくるようなのは稀だ。こちらがおかしな真似をしない限り、憑りつかれたり呪われたりする危険はない。

「憑りつかれるような奴はさ、元々その霊に恨まれていたとか、理由があるんだよ」


「そうですか、理由がなければ、霊に憑りつかれることもないのですね」

 航汰は声に落胆の色をにじませた。


「もしかしてお前、憑依されたいとか思っている?」

「それはそうでしょう。オカルト心霊好きなら、誰もが一度はそのような経験をしてみたいと考えるはずです」

「はあ、そういうものかねえ」

 常時、霊を見続けている俺からしたら、信じられない感覚だった。


「しかし実際、憑依された場合はどのようにお祓いなり除霊なりを受けたらいいのでしょう? 私、知り合いに霊能力者や除霊師や陰陽師などいないのですよ。まずその辺りの人脈を確保してからでないと、危険でしょうかね」


 真剣に悩みだした航汰は放っておくことにして、俺はシートを倒した。

 今夜は眠れないかもしれないから、仮眠をとっておく。



 午後五時すぎ、俺と航汰は町外れの倉庫街で車をおりた。

 砂利敷の駐車場から少し歩いた先にある、『株式会社トイズ・カニエ』の門を通る。敷地内は広く、ガラス扉の二階建て社屋の奥に、シャッターの下りた倉庫、その隣に大きな工場と続き、片隅には従業員の休憩場所となっているらしい、自販機とベンチが置かれたスペースがあった。


 航汰がガラス扉を開き、ずんずんと中へ入っていく。俺はその後に続いた。受付らしきカウンターは無人だった。俺は今日が日曜日だと思い出した。工場からも、機械の音は聞こえてこない。


 航汰がカウンターに設置された呼び出しボタンを押す。

 ふと視線を感じて、俺は通路の先を見た。

 子どもがひとり、立っていた。

 赤色のワンピース姿で、長い髪を二つに分け、両耳の下あたりで結んでいる。


 子どもはなぜだか仁王立ちで睨んでくる。生意気なガキに対し、俺は目を見開いて歯を向きだし、威嚇のポーズを返した。ガキはくるりと身をひるがえすと、どこかへ消えた。俺の般若顔に、恐れをなしたらしい。


「小野塚くん、何をおかしな顔しているのですか? ひょっとして、緊張してます?」

 航汰が気遣うように、俺を見てくる。

「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。とても気さくな叔父ですから」

 

 航汰が勘違いしているとわかったが、面倒なので否定しない。


「ふふふっ、それにしても今の小野塚くんの顔」

 航汰は腹を押さえ、笑い声を洩らした。

「ゴリラみたいでしたよ。小野塚くん、緊張するとあのようなお顔になるんですねえ」


 航汰のぶんざいで俺をからかおうとしているのか。

 奴の脳天めがけて俺が片手を振り上げたとき、

「ごめんごめん、出迎えられなくて」

 と、頭上から男性の声が降ってきた。


 俺はさっと手をひっこめ、階段のほうを見上げた。

 一階と二階の間の踊り場に、気弱そうな顔の中年男性が立っている。

「よく来たね。外、暑かっただろう」

 男性は階段を駆け下りると、俺たちのもとへ歩み寄った。


「叔父さん、お久しぶりです」

 航汰が挨拶する。

 汗じみの目立つポロシャツにへたったスラックス姿のこの男が、航汰の叔父らしい。近くで見ると、確かにぎょろりとした目と細い顎の感じが航汰とそっくりだった。

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