帰省(4)
航汰は注文したハンバーガーに手を付けず、俺が戻って来るのを待っていた。
「悪い、トイレ混んでた」
俺は嘘をついて、向かいの席に座った。
「さきほど親切な学生の方が、ハンバーガーの割引き券が余っているからと、譲ってくださいましたよ」
「へえ、そうだったんだ」
今日が使用期限の割引き券を余らせて捨てるくらいなら、誰かに譲ってしまおうと、さっきの三人組はあの場にいたらしい。俺と航汰を観察していたのは、注文カウンターに向かうかどうか、見極めるためだった。
なんだ、俺のことを噂していたんじゃなかったのか。
ほっと息をついて、ハンバーガーに手を伸ばす。その瞬間、航汰に手首を掴まれた。
「は、何? 触んなよ」
振りほどこうとしたが、意外に力が強くて動かせない。
航汰を見上げると、訴えるような目でこちらを凝視していた。
「私と小野塚くんは友達ですよね?」
そう問いかけた声には、切実なものが宿っていた。
俺が黙っていると、航汰は尚も続けた。
「割引き券を譲ってくれた方に、小野塚くんとは兄弟ですかと訊かれました。ですから私なりに判断して、友人だと答えましたが、良かったのでしょうか? 友人の定義というものが、私にはよくわからないので、確信が持てないのです。私と小野塚くんの関係は、友人ですか?」
俺はぐっと奥歯を噛んだ。それからそっぽを向いて言った。
「友達なんじゃねえの? よくわかんねえけど」
「ならば教えてください。実家に戻られてから、小野塚くんの様子がおかしいのはなぜですか? さきほど学生の方が話しかけてきたときもそうです。小野塚くんは同年代の方と接するのを避けているように感じました。それはどうしてですか? 友人とは、なんでも話せる間柄のことだと、あらゆる創作物が語っています。お願いです、小野塚くんが胸の内に何かを抱えているのなら、どうか私に打ち明けてくれませんか?」
俺は力いっぱい身を引き、航汰の手をふりほどいた。航汰は一瞬、傷ついた顔をした。
「違う、待って、ちゃんと話すよ。でも、どこから説明したらいいのかわかんねえんだ」と急いで弁解する。
「聞かせてください」
航汰が真剣な顔で頷いた。
俺は一呼吸おいて、話しはじめた。
「実は俺、八歳の頃の記憶が一部、抜け落ちてるんだ」
当時の大人たちの話と、その後に自分で調べたことを繋ぎ合わせてみた結果、どうやら俺には行方不明となっていた時期があるらしいとわかった。
習い事の帰り道に姿を消した俺は、それから二か月後、自宅から五十キロメートルほど離れた民家で発見、保護された。
それまでどこで何をしていたのか。
警察の問いかけに、八歳の俺は何も答えられなかった。
俺には、行方がわからなくなっていた間の記憶がなかった。気が付くと、古い民家の中にいた。そこまでの経緯を、俺は何一つ説明できないという状態だった。
民家には俺の他に、老人がひとり、生活していた。老人は認知症を患っており、俺を実の孫と思いこんで、世話をしていたらしい。俺自身も記憶が曖昧な中で、老人を祖父と信じこんでいた。
様子を見るため、時々その家に通っていたという老人の娘の証言から、俺は十日ほどを、その家で過ごしていたものと推定された。それ以前はどこにいたのか、手がかりは残されていなかった。
保護されたとき、俺は軽度の皮膚病を患っていて、筋肉や関節の動きにも多少の問題が見られた。しかし栄養状態は概ね悪くなかったという。警察は、何者かが俺を拉致、監禁していたものと判断した。
どのようにして、俺は監禁場所から脱出できたのか。あるいは、解放されたのか。
犯人自らが俺を逃がしたのだしたら、そこにどういった経緯や思惑が生じたのか。
誰が、俺を攫ったのか。
肝心の俺に記憶がなく、証拠なども乏しい。警察は発見場所となった民家周辺を聞きこみしたが、怪しい人物は浮かんでこなかった。
現在に至るまで、犯人は逮捕されていない。
幸いなことに、俺の事件は大きく報道されなかった。同時期に九州地方で大きな災害が起こり、マスコミは連日関連ニュースを流すのに大忙しだったからだ。
しかし、当時住んでいた田舎町では、あっという間に噂が広まった。家庭環境が悪いせいで、あそこの家の息子は家出していたんじゃないか。監禁されていたなど嘘で、本当は自らすすんでどこかの変態に飼われていたんじゃないか。あらぬ疑いをかけられ、俺たち家族は逃げるようにその町から引っ越したのだった。
移り住んだ先では、誰も俺を拉致監禁事件の被害者とは見なかった。俺は再びごく普通の小学生として、学校に通いはじめた。少し時間はかかったが、転校先のクラスにもなじんだ。
だけど、平穏な日々は長くは続かなかった。クラスメイトのひとりがふざけて、俺をロッカーに閉じこめたからだ。俺は閉所恐怖症の発作を起こし、みんなの前で醜態を晒した。
それまでの俺は、暗く狭い場所を恐れるような子どもじゃなかった。拉致監禁の後で、閉所恐怖症の兆候が見られるようになったという。
そこからは転げ落ちるように、からかいの標的となっていった。俺が発作を起こすたび、クラスメイトたちはその様子を面白がって笑った。そしてますます、悪意を持って俺を閉所に押しこめるようになった。
俺は、学校に通えなくなった。
「その小学校に通えてたのは短期間だったし、そのまま地元の中学にも行かなかったから、俺は近所に住んでいる同級生の顔をよく知らない」
俺はそこで一つ、深い息をついた。
我ながら、自意識過剰だと思う。
それでも、同級生の目がどうしようもなく怖い。
俺のほうはそいつの顔に覚えがなくとも、向こうはまだ俺の失態を記憶しているんじゃないか。「あ、あいつは小学生のとき、ロッカーに閉じこめられて泣いてゲロ吐いていた転校生だな」と、俺の顔を見て思い出すんじゃないか。
だから実家近くで、同年代と接するのを避けてきた。
ショッピングモールような、俺くらいの歳の連中が集まりそうな場所には、なるべく近づかないようにしていた。
「なんか気まずくてさ、できるだけ同級生と関わりたくないんだよ。ほら、憶測とかで色々と変な噂立てられたりとかしたくないし」
俺はそう言ってごまかした。
ロッカー閉じこめられ事件については、恥ずかしくて航汰に詳しくは打ち明けられない。それでも言葉尻から、俺の思いは奴に伝わっているだろう。
――あれ? いつから俺はこんなに航汰を信頼するようになったのだろうか。
航汰はふっと両肩の力を抜いた。
「そういう事情があるなら、なぜ小野塚くんは今日、ここへ来たのです?」
「うちのばばあが勝手に連れて来たんだろう。俺は来たくなかった」
「家の中であれだけご両親に横柄な態度をとっている小野塚くんなら、お母様の誘いなど簡単に断れるはずでは?」
「いやいや、ばばあがせっかく気を利かせてるんだから、息子としてそこは普通、言うこときいてやるだろう」
それに、航汰がいい加減が出かけたがっているのは感じていたから、付き合ってやることにしたんだ。
「今回の帰省もそうです。小野塚くんが実家に戻るのではなく、ご両親を今のお部屋に呼ぶこともできたはずです。どちらにせよ家族水入らずのときを過ごせるのに変わりはありません。むしろご両親を呼び寄せたほうが、小野塚くんの心理的負担は減ったのでは?」
「それじゃあ意味がないんだよ」
「意味がない?」
「どんな理由があっても、あの家が俺たち家族の家だし、俺の帰る場所だから。そこで家族が一緒に過ごすのが一番自然なことじゃねえか」
帰って来るという行為自体が重要なのだ。行方不明だった二か月間、息子が生きて帰ることを信じて待ち続けてくれた両親に、俺は何度だって「ただいま」と言ってやりたい。
あんなひどいことはもう起きない。
あんたたちの息子は必ず家に帰って来るんだと、繰り返し刻みつけて、安心させてやりたい。
航汰が胸に手をおき、天を仰ぐ。
「感動しました。小野塚くん、何も考えていないように見えて、実はご両親のことを深く思っていたのですね」
こいつはいつも一言余計だ。
「ご両親をおやじばばあなどと呼ぶ、傍若無人でどうしようもない息子だと誤解しておりました」
と、そこで珍しく航汰のスマホが振動する。
「もしもし?」
通話をはじめた航汰は、瞬時に瞳を輝かせた。
「ええ? ポルターガイスト現象ですか?」
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