異界(1)

 指定されたファーストフード店に入ってすぐ、窓際の席で手を振る藤間さんを見つけた。

 彼女の隣には、年配の女性が座っていた。目が合うと、丁寧に頭を下げてきたので、こちらも会釈を返す。


 とりあえず注文を済ませると身振りで示し、俺と航汰はカウンターの列に並んだ。


「あのおばさんが相談者?」

 俺がこそりと尋ねると、航汰は「そのようですねえ」と首を傾げた。

「若輩者の私たちに相談とは、いかなる困りごとでしょうか」


 知り合いが困っているので、相談に乗ってほしいと藤間さんから連絡があったのは、一昨日の夜のことだった。

 直接会って話すほうが早いだろうと待ち合わせの約束をしたが、肝心の相談者や内容についての詳細は聞いていない。


「藤間さん、以前にお会いしたときより肉付きが良くなりましたねえ」

 航汰の言葉を受け、俺は藤間さんのほうをちらりと見た。

 確かに、今日の藤間さんは顔色が良く、魅力的だったふくよかな頬も復活している。

 元恋人が殺人を犯していたと知ったショックからか、一時は別人のようにやつれていたけれど、その後無事に立ち直れたようだ。


 ドリンクを乗せたトレイを手に、席に着くと、藤間さんは俺たちに相談者を紹介をした。

「こちら、稲山裕美さん」


「稲山です。本日はお忙しいところご足労いただき、申し訳ございません」

 稲山さんは俺や航汰みたいなガキにも、丁寧に挨拶してくれた。


 自然と、俺は居住まいを正す。


「裕美ちゃん、そんな改まらなくてもいいよ。わたしに話すのと同じ感じで大丈夫だと思う」

 藤間さんは稲山さんの肩をぽんぽんと叩いて言った。


「でも悪いわ。学生さんの時間って、とても貴重なものでしょう? それをわたしなんかのために消費させちゃって」

 稲山さんはいたたまれないといった様子で、視線を忙しなく動かしている。


「小野塚くんも航汰さんもそんなケチくさい人じゃないから、気にしなくていいよ。ねえ?」


 藤間さんから同意を求められ、俺と航汰は頷いた。今日は元々予定がなかったし、航汰に関してはニートだからいつでも暇を持て余している。


 それにしても、藤間さんと稲山さんはどういう関係なのだろう。年齢差があるわりに、稲山さんに対する藤間さんの態度はカジュアルだ。親戚か何かだろうか。叔母と姪とか?


「失礼ですが、お二人はどういったご関係なのでしょうか?」

 航汰が尋ねた。


「あ、裕美ちゃんとはね、バイト先が同じビルに入ってて、なんかいつの間にか仲良くなったんだ」

 藤間さんは言い、稲山さんへ一瞬目を向けてから、俺たちのほうに向き直った。

「ほら、ちょっと前にわたし、かなり落ちこむことあったじゃない?」

 と、やや声を潜める。


 元恋人が起こした事件のことを言っているのだろう。

 まさか藤間さんのほうから話題にするとは思わなかった。あの一件は、すでに彼女の中で過去のものとなっているらしい。

 俺と航汰はひとまず頷いてみせる。


「そのときにね、裕美ちゃんが色々話聞いてくれたり、ごはん差し入れてくれたりしたんだ。わたし、ひとり暮らしで実家は遠いし、こっちに友達はいるけど、気軽に頼れるような関係じゃなくて……。裕美ちゃんの支えがなかったら、わたし今でも落ちたままだったと思う」


 そう語る藤間さんを、稲山さんは愛娘へ向けるような眼差しで見守っている。


「だから今度はわたしが、困っている裕美ちゃんの力になりたいって思ったの。でも、よくよく話を聞いたら、わたしより適任がいそうだなって気づいて……。そう、それで小野塚くんたちに相談してみようって流れになったんだ」


 いよいよ相談内容が明らかになりそうだ。

 俺は身構えた。

 藤間さんは「いいよね?」と小声で確認をとり、稲山さんが頷いたのを見て、切り出した。

「裕美ちゃんには高三の息子さんがいるんだけど、最近その子の様子がおかしいっていうの」


「おかしいというのは、具体的にどういったご様子なのでしょう?」

 航汰が身を乗り出した。


「はい……」

 稲山さんはおずおずと口を開いた。

「息子は先月から塾に通いはじめたのですが――」


 間もなくして、息子は塞ぎこむことが多くなった。口数が減り、食欲が落ちた。明るく賑やかった息子の変わりように、稲山さんは動揺した。何か心配事でもあるのか。話を聞き出そうとすると、息子は「勉強が大変だからだ」と答えた。

 それまで息子は、部活一筋の学校生活を送っていた。大学受験のためとはいえ、突然勉強モードには切り替えられないのだろうと稲山さんは理解した。食欲が落ちたのも、部活を引退して運動量が減ったからかもしれない。

 あまり根を詰めすぎないようにと忠告し、しばらくは遠くから息子を見守ることにした。


 そんなとき、たまたま夜間のシフトから早く上がれる日があった。

 稲山さんが零時過ぎに帰宅したとき、息子の姿はなかった。塾が終わるのが夜の十時前、そこから家までは十五分の距離だ。どんなに遅くとも十時半には帰宅していないとおかしい。


 心配した稲山さんはすぐに息子へ電話をかけた。呼び出し音が続くばかりで、応答はない。

 真面目な息子のことだ、まさか遊び歩いてはいないだろう。もしかして、帰宅途中に事件や事故に巻きこまれたのではないか。

 いてもたってもいられず、行方を探しに家を飛び出そうとした矢先、息子は帰って来た。

 今までどこへ行っていたのかと尋ねれば、帰宅途中にたまたま友達と出くわし、話しこんでいたという。

 稲山さんは息子の態度を不審に感じた。母親と目を合わさず、さっさと話を切り上げようとする振る舞いから、何か隠し事があるのだろうと確信した。


 それから注意深く様子を窺っていると、息子は週に二、三度、深夜遅くに帰宅していることがわかった。

「毎回こんな夜遅くまで、外で何をしているの」

 そう尋ねた稲山さんに、息子はなぜか魂が抜けたような顔で答えたという。

「異界に行っていた」と。


「異界ですか?」

 オカルト好きの航汰が、早くも目を輝かせはじめた。

「息子さんはどうやって異界へ行ったのでしょう? 異界とはどのような場所なのでしょう。是非知りたいですね」


「は、はあ……」

 航汰の食いつきに、稲山さんは困惑の表情を浮かべた。

 そうとは気づかず、航汰は矢継ぎ早に質問を投げかける。

「異界へ行くには手順があるのでしょうか? それとも個人の資質が関係しているのでしょうかね」


 二人のやりとりを眺めていると、俺の肘を藤間さんが突いた。やや身を乗り出して俺のほうへ顔を寄せると、

「心配しないで。裕美ちゃんには、小野塚くんに霊の姿が見えるってことは内緒にしてあるから」

 と小声で言った。


「内緒も何も、今回俺関係なくない?」

 俺を相談役に選んだ時点で、心霊絡みの相談だろうとは予期していたが、まさか異界なんてワードが出てくるとは思わなかった。完全に専門外だ。

 霊が見えようが見えなかろうが、相談には乗れそうにない。

 だいたい、異界なんて本当に存在するのか? 稲山さんの息子は夜遊びを咎められ、咄嗟に意味不明なこと口走って母親を煙に巻こうとしたんじゃないか。

 そうだとしても、高三の発言にしては幼稚すぎるのが気になるが……。


「奇妙さでいったら、霊も異界も似たようなものじゃない?」

 と藤間さんの捉え方はざっくりしている。

 

「全然違うから」

 俺は苦笑いを浮かべた。


 そのとき、航汰がひと際大きな声を上げた。

「では、明日から塾帰りの息子さんを尾行しますね!」


 ぎょっとして顔を向けると、いつの間にか航汰と稲山さんの間では話が進んでおり、稲山さんは感激した様子で何度も礼を口にしている。

「よろしくお願います。田中さん、小野塚さん、本当にありがとうございます」

 

「え? ちょっと待って俺も? ていうかなんで尾行?」

「果たして本当に異界は存在し、稲山さんの息子さんはそこへ出入りしているのか、尾行をすれば確かめられるじゃないですか」


 航汰は至極当然といった顔で、俺に解いた。


「だからって何勝手に話つけてるんだよ」

 俺はテーブルの下で、思いっきり航汰のふくらはぎを蹴った。


「痛い! 痛いですよ小野塚くん、やめてください」

 

 大袈裟に顔をしかめる航汰を一瞥してから、藤間さんは稲山さんに微笑みかける。

「ね? 二人ともすごくやさしくて、頼りになるでしょう?」

 それから俺を見て、にっこりと笑った。

「ありがとう。二人が実際に動いて、確かめに行ってくれるなら安心だな」


 藤間さんの笑顔って一見すると穏やかなんだけど、謎に凄みがあるんだよなと、今になって気づいた。

 これが辛酸を嘗めた女の顔か。

 俺はいよいよ、このおかしな一件に足を踏み入れざるを得なくなった。

「はいはい、尾行ね。やりますよ、やればいいんでしょう」

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