閉所(2)
四方から迫って来る闇に、押しつぶされる。
そんな想像が、頭の中を駆け巡る。パニックになった俺は、外で騒いでる連中に許しを乞う。
「出してよ。お願い、出して」
連中は笑っている。
俺をロッカーに閉じこめて、何がそんなに面白いのか。
叫んで暴れて、最後には泣きじゃくって、ようやく開かれた扉から、俺は転がり出た。
光、色、風、ゆるんだ空気。遮断されていた感覚が戻り、飛びこんできた情報量の多さにめまいがした。
気持ちが悪い。
反射的に、膝をつく。胃が痙攣しているのがわかった。消化途中の給食を、盛大に吐き戻す。
「うええ、汚ねぇな、こいつ吐いてるよ」
連中のうちの誰かが言い、別の誰かが笑う。
嘲笑を耳に、俺は何も言い返せない。ただ泣き続けている。悔しくて情けなくて、自分がとても恥ずかしい。
■ ■ ■
「良かった、気がついたんだね」
目を覚ましたとき、俺は保健室のベッドの上にいた。
傍らには田中先生がいて、心配そうに俺の顔を覗きこんでいた。
「掃除用具入れの中で気を失っているのを、僕が見つけてここまで運んだんだよ」
先生の指先が、俺の頬に触れた。
「可哀想に……泣いたんだね。一体あそこで何があったんだい?」
俺は先生の問いに答えず、言った。
「夢を見ていました」
「夢?」
「小学生の頃、不登校になる前の……。夢の中で、僕をいじめた奴らが笑っていました」
田中先生と出会う以前、頻繁に見ていた夢だった。
数人の生徒が、俺をロッカーに閉じこめる。
連中の感覚では、ただの悪ふざけだったのだろう。だが俺は、その場にいた全員がドン引きするようなパニックを起こし、醜態を晒すに至った。
この一件がきっかけで、俺の閉所恐怖症はクラス中に知れ渡った。以来、俺はからかいの対象になり続けた。
ロッカーの中、トイレの個室、体育館の舞台下にある物入れ、跳び箱の中、校庭の隅にある倉庫、図書室のカウンター脇に設置された大きな戸棚、調理室の棚の下段、多目的室に置かれた段ボール。校内で狭く閉じた場所を見つけてきては、連中は俺をそこに閉じこめた。そうして毎回恐怖し、取り乱す俺の姿を見て面白がった。
ある朝、学校に行くため玄関から踏み出した足が、ぴたりと固まって動かなくなった。悲しくもないのに涙が溢れてきて、俺はその場にしゃがみこんだ。
それからは学校に行くのをやめ、両親にすすめられたフリースクールへと通うにようになった。
「誰かが、僕を無理やり掃除用具入れに閉じこめたんです。それで……」
口に出す声が、かすかに震えた。
今になって、腹の中ではどす黒い感情が燃え上がっている。
閉じこめられていたときは本当に恐ろしくて、怒る余裕などなかった。殴られ、蹴られた背中の痛みも、蘇ってくる。
先生が眉根を寄せた。
「誰がそんなひどいことを」
先生は、俺が閉所恐怖症だということを知っている。
だからこそ、深刻に捉えてくれた。
相手はどんな奴だったのか。顔をわからずとも、学年くらいは見当がつくんじゃないか。普段から今日のような目に遭っているのか。
先生は矢継ぎ早に尋ねた。
「背は僕より高かったです。力もあったから、たぶんそれなりに体格もいいのかな。それで、えっと、袖口が見えたんですけど、黒かったから、ブレザーを着ていたのかな。でもそれだけじゃ学年はわからないですよね」
俺の答えは、犯人を突き止める決め手に欠ける。
俺は平均より背が低いほうだし、筋力もない。おそらく大抵の奴が、今言った条件に当てはまるはずだ。
「こんなことは初めてです。まさか校内にいて、人に襲われるなんて」
先生は神妙な顔で唸った。
「しばらくは、放課後に資料室へ来るのはやめたほうがいいな」
「そんな、どうして」
「健斗を襲った相手がわからないうちは、用心しておいたほうがいいだろう。そもそも相手は健斗を狙ってやったのか、たまたま人気のない場所にいる健斗を見つけて、いたずら感覚でやったことなのか」
「僕が閉所恐怖症だと知る人間はこの学校にいないはずだから、たまたま運悪くおかしな奴に目をつけられただけで……」
「そうだとしても、他人に危害を加えようとする人間が校内にいることは見過ごせない。また同じ相手に襲われるかもしれないと考えたほうがいい。だから健斗は放課後、まっすぐ帰って、」
「嫌だ」
咄嗟に俺は起き上がり、先生のアームカバーを掴んだ。子どものような振る舞いを、恥ずかしがっている余裕などなかった。
先生の言い分は理解できるし、俺を思ってのことだとも推し量れる。
だけど、俺はどうしても先生との時間を失いたくなかった。
先生と過ごす時間だけが、俺にとっての【楽園】なのだから。
「僕は平気です。今日はちょっと動揺しただけなんで、先生もそんなに重く考えないでください。次にこんなことがあったら相手を返り討ちにしてやりますよ」
「健斗には、そんな乱暴なことしてほしくないな」
先生は少し落胆した様子で言った。
「ああ、ごめんなさい。でも、本当に平気なんです。だって僕は、あの日誓ったから。決して過去に負けないって、先生と誓い合ったじゃないですか」
それは、田中先生と出会ってもうすぐ一年が経とうという日だった。俺と先生は、俺の元同級生たちが通う中学校の前に来ていた。
俺をいじめた連中が、今どんな生活を送っているのか確認するためだった。
誘ったのは、先生だった。
改めて連中と向き合うことが、俺が一歩を踏み出すきっかけになるだろうと、先生は言った。
俺が着るはずだった制服の一群が、校門から出て来る。見覚えのある顔をちらほら見つけたが、その誰も、俺の存在に気づく様子はなかった。俺は先生の車の助手席から、隠れるようにして彼らを観察していた。
「あいつだ」
しばらくすると、俺をいじめていたグループのリーダーだった奴が出て来た。
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