後ろ(4)
事情を聞きたいという町屋さんに連れられ、近くの公園に入った。東屋のベンチに腰掛ける。
航汰が余計なことを話す前に、俺から口火を切った。
「まずはこれを見ていただけますか?」
コーヒーショップにいる町屋さんを撮影したものを、本人に見せた。
そこにはもちろん、背中に張り付く生霊もくっきり写っている。
町屋さんは「ひぃっ」と喉の奥で小さく悲鳴を上げた。
しかし動揺を見せたのは、一瞬だった。
すぐに落ち着いた様子で、
「どうせアプリか何かで加工したんだろう?」
と尋ねた。
「今知りたいのは、あなたたちが一体どういう意図で俺を撮影したかってことだ」
町屋さんが疑うのは、想定済みだった。
「お話しする前に、一つ試したいことがあるんですけど、いいですか? たぶんそれで、だいたいの理由はわかっていただけると思います」
俺は町屋さんに自分のスマホを渡し、カメラを起動させるようお願いした。
町屋さんは気味の悪いものを見るような目で俺を一瞥し、言われたとおりにした。事態を把握するためとはいえ、こんなおかしな奴らに声をかけるべきでなかった。町屋さんの顔からは、そんな後悔がありありと見て取れた。
「今見た通り、そのスマホには普通のカメラアプリしか入ってないことは、わかりましたよね? それでもう一度あなたを撮影させてください」
「そんなことでちゃんとした説明になる?」
「はい。加工じゃないことを証明します」
俺は妙な考えなどないことを示すため、真っすぐ町屋さんを見据えた。
町屋さんはなげやりに頷くと、航汰を見やった。
「じゃあ撮影はお兄さんがやってよ。こっちの弟さんのほうは、さっきから何か企んでそうな感じするから」
この清廉潔白、純真無垢な眼差しを受けて、なぜそんなことが言えるのか。
どうやら町屋さんは眼鏡では補いきれないほど、視力が悪いらしい。
俺と航汰が兄弟だという嘘を、簡単に信じたのも頷ける。
「ほう、今のお願いは、私を信用に値する人物と見込んでととってよろしいでしょうか? よろしいですね?」
航汰は嬉しそうだ。
「しかし非常に残念ですが、私には出来かねます」
「どうして?」
「生憎、私は霊感がないもので」
「は? 霊感?」
こいつら、二人揃ってそっち系かよ。そう言いたげに、町屋さんはうんざりした表情を浮かべた。
藤間さんから聞いた通り、彼は心霊やオカルトなどに傾倒する輩に対し、強い拒否感があるようだ。
「よくわかんないけど、じゃあ弟さんが撮影するんだね。はい、いいよ」
と、町屋さんはさっさとこの場を終わらせにかかる。
俺は改めて、加工アプリなどを立ち上げていないことを確認させ、町屋さんを撮影した。画面に表示された画像を、すぐさま見せる。
「こういうことです。俺、霊感があるからカメラ使うといつもこんなふうに霊の姿まで写しちゃうんですよ」
写りこんだ生霊を見て、町屋さんは何かを堪えるように、強く唇を噛んだ。
「嘘だ、こんなの。信じられない」
「本当です。あなたの背後に、女性の姿がしっかりと写っています。だけど振り返って確認してください。今現在、あなたの後ろに誰かいますか?」
町屋さんはほとんど首を動かさず、目だけで背後を確認した。まとわりついた何かを振り払うように、激しくかぶりを振る。
「いない」
「そうですね。つまりここに写った女性は正真正銘の幽霊――」
「違います、生霊ですよ」
航汰が急いで割りこみ、訂正する。
「イキリョウ?」
町屋さんが顔を上げた。
「生きた人間の念が、形を成したものですね。大抵は恨みや憎しみの念です。ということで、画像の女性に、心当たりはありますか? その女性から恨まれるようなことを、あなたはしましたね?」
俺はもう一度、町屋さんにスマホを突き付ける。生霊にズームした画面を見せた。
記憶を辿っているのだろうか。町屋さんは頭を抱えると、小刻みに視線を揺らした。
やがてぽつりと言った。
「……母だ」
「お母さん?」
訊き返した声が、裏返った。母親というには、生霊の姿は若すぎやしないか?
「これはまた、随分お若いお母様なんですねえ」
俺の手からするりとスマホを奪い、航汰はしげしげと覗きこんだ。
「母は、俺が小学生の頃に亡くなっているんです」
「はあ、それはまたお気の毒に」
「だから写真を見せられても、すぐには母と一致しなくて。でも間違いない、そこに写っているのは俺の母ですよ」
「それでは生霊というのは、私の早とちりでしたか。申し訳ない」
ぺろりと舌を出し、航汰が俺に目配せする。
そうだ、こいつが言い出したことだった。女の姿を見て、真っ先にあれは生霊だと断言したのだ。
まったく、人騒がせな奴。
俺は今後、航汰の言葉を鵜呑みにしないと心に決めた。
「母はずっと俺の傍にいて、見守ってくれていたんですね」
ふと気付くと、町屋さんの目の色が変わっている。
夢見るように視線を遠くへ向け、声のトーンもなんだか甘い。
「そうか、母は俺の守護霊だったんだ」
先程までの態度とうってかわり、町屋さんは霊の存在を受け入れたようだった。
いや、正確に言うなら、急逝した母親が今日まで自分を守ってくれていたというストーリーを勝手に作り出し、酔いしれている感じだった。
「ありがとうございました」
町屋さんは突然、俺と航汰に向かって深々と頭を下げた。
「正直言うと、あなた方を問い詰めたこと、後悔していたんです。やばい人たちに突っかかっちゃったかなあ、あのまま盗撮に気付かないふりしておけばよかったかなあって」
「あ、結構態度に出てたんで、それは最初から感じてました」
俺は笑って言った。
「俺たち別に、あなたにお礼を言われるようなことしてませんよ。あと、盗撮してすみませんでした」
「いえ、あなた方のお陰で母の姿を見られたんです。いい体験ができましたよ」
町屋さんは晴れやかな表情で言った。
公園を出て、俺と航汰は町屋さんと別れた。最後に町屋さんは、
「もしまた誰かの背後に気になる霊を見つけても、盗撮はいけませんよ」
と、冗談めかした口調で釘を刺してきた。
俺は無言で頷いた。
「そういえば」
町屋さんの姿が遠ざかると、思い出したように航汰が口を開いた。
「彼、小野塚くんに画像を送ってくれと言いませんでしたね」
「ああ」
俺は目で自販機を探しながら、適当に返事をした。一仕事終え、喉が渇いていた。
「それがどうした?」
「だって貴重な画像ですよ? 小さい頃に死に別れたお母様の姿が写っているんですから」
「母親とはいえ、霊が写りこんだ画像なんて気味悪くて持っていたくねえんだろ」
「はあ、そういうものですかねえ」
「それに、色々事情があるんだろうから。あの母親、普通に病死とか事故死とかじゃないっぽいし」
「へえ、そうなんですか? 小野塚くんはそういった事柄も見抜けるのですねえ」
「いや、普通はわからない。だけど今日のは、あの霊のほうからアピールしてきたからわかっただけ」
「アピール?」
俺は右手のひとさし指を首筋に当て、横に動かした。
「母親の首に、こんなふうな痕が残ってた。細い紐か何かで絞められたような感じの」
町屋さんを尾行中に俺は叫び声を上げ、彼から見咎められるきっかけを作った。
その直前、俺は母親の霊と視線を合わせていた。俺からよく見えるようにしたかったのだろう、相手は頭をそらし、自分の首元を強調してみせた。そこに残る痕を、俺に確かめさせようとする動きだった。
「あの母親は絞殺されたか、あるいは首つり自殺したか」
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