後ろ(3)
待ち合わせのコーヒーショップで、町屋さんらしき人物は窓際のカウンター席に座っていた。俺たちはそれを、通りを挟んだ向かいの雑貨屋の前から確認した。藤間さんに送ってもらった彼の顔写真と照らし合わせ、本人と判断する。かけている眼鏡のフレームカラーが個性的だったため、わかりやすかった。
待ち合わせ場所に向かう途中で、藤間さんは住んでいるアパートの管理会社から呼び出しを受けた。藤間さんの部屋から異臭がすると、多数の苦情が寄せられているのだという。
「今すぐ部屋を開けさせてほしいって話なの。絶対何かの勘違いだと思うんだけど。部屋に臭うものなんて置いてないし」
藤間さんはそう言って唇を曲げた。
「もうこれで何度目よ……」
「以前にも苦情を受けたことがあったのですか?」と尋ねた航汰に、藤間さんは苦い顔で頷いた。
「ここ一か月半、ずっとこんな調子なの。彼と会う約束をしても、土壇場で駄目になっちゃうんだ」
デート当日になって、藤間さんにどうしても外せない用事ができたり、今日のようなトラブルが発生して呼び出されるなどが続き、二人はまったく会えていないのだという。
そういえば先程、最近の町屋さんについての説明を聞いたとき、藤間さんの口ぶりに違和感を覚えていた。自分の目で見て確信を得たというより、人づてに彼の様子を聞いたような話し方を、藤間さんはしていた。
「お二人にはせっかくここまで動いてもらったのに、ごめんなさい」
謝る藤間さんに、俺は言う。
「じゃあ俺たちだけでちらっと見て来ようか?」
町屋さんと接触しないで済んで、正直ほっとしていた。わざわざ対面するなんて面倒だと思っていたのだ。
悪霊が憑いているのかいないのかの判断など、一瞬、その姿を視界にとらえるだけで事足りる。
「今すぐには彼との約束はキャンセルしないでおいてよ。少しの間、待ち合わせ場所に引き留めておいて。俺は遠くからこっそり町屋さんを確認するから」
俺のスマホに町屋さんの顔写真を送ってもらい、俺たちは藤間さんと別れた。去り際、藤間さんはぽつりと言った。
「こんなに彼と会えないなんて、何か見えない力で邪魔されているみたい。これも悪霊の仕業なのかな」
不幸続きの彼と、毎回何事かに阻まれて彼に会えない彼女。
その原因を探るため、俺は目を凝らした。
カウンター席で、町屋さんはゆったりとコーヒーカップを口に運んでいる。
彼の背後には、長い髪の女性が立っていた。
女性は深く首を傾け、じっと彼の頭を見下ろしている。人々が寛ぐ店内で、コーヒーも飲まず立ち尽くしたままの女性というのは、異様な存在だった。だけど客は誰ひとり女性を気にすることなく、思い思いに過ごしている。
まるで、そこに女性など存在していないかのよう。
ずっと背後をとられている町屋さんも、素知らぬ顔でいる。
「間違いない、あれは憑いてるな」
俺は断言した。
「憑いているのですか?」
航汰が目を輝かせる。
「どういうのですか? 見たいです。小野塚くん、写真撮ってください」
俺がスマホで撮影した写真には、以前に動画を撮ったときと同様に、霊の姿がくっきりと写った。
想像していたものと違ったのだろう。写真を見た航汰は、悔しそうに唸った。
「悪霊と疑われるくらいですから、もっと恐ろしく禍々しい姿を想像していたのですが――」
「なんか普通にかわいい感じだよな」
俺は言った。
拍子抜けもいいところ。悪霊のイメージからは程遠い。
町屋さんには、丸顔が印象的な、若い女の霊が憑いていた。
「彼にフラれた女性が、未練がましく憑いているのでしょうか。そうですよ、これは間違いなく生霊ですよ!」
航汰が息巻く。
また生霊か。
俺はうんざりした。女ってのは、みんなここまで情念が強いものなのか?
「確かにそれなら、毎回トラブルが発生してデートが流れているっていう藤間さんの話にも、説明がつくな。あの女の生霊が、藤間さんと彼を会わせないよう邪魔しているんだろう」
女の生霊に心当たりはないか、後で藤間さんに尋ねるため、俺たちは町屋さんの傍に寄って、その姿を観察することにした。
距離が近くなれば、隠し撮りは難しくなる。その場合、生霊の外見的特徴を覚えるだけにとどめておこう。特徴だけでも伝えれば、藤間さんのほうでピンとくるものがあるかもしれない。
コーヒーショップの前に移動すると、ちょうど町屋さんが中から出て来たところだった。藤間さんから待ち合わせをキャンセルする連絡が届いたのだろう。
俺と航汰は距離を取り、町屋さんの後をつけた。
そうして、彼の背後につく女の生霊を観察した。
髪は暗めの茶色。身に付けているのはカーキ色のハイゲージニットと白のパンツ。足元は黒のヒール。そして肝心の顔は――、
「げぇっ!」
町屋さんを追い越すタイミングで、生霊の顔を近くから見た。
目が合った瞬間、生霊は勢いよく頭を後ろにそらした。その拍子に髪がなびき、耳元のアクセサリーが揺れた。
俺は思わず叫んでしまった。
俺の声に驚いたらしい町屋さんが、びくりと両肩を跳ね上げた。それからぎょっとした顔を、こちらに向けた。
ばっちりと目が合ってしまう。
「あ、えっと……」
視線を泳がせた俺のところに、すかさず航汰が駆け寄ってきてフォローする。
「こらこら、駄目じゃないかまた外で大声上げて~。あ、すみませんねえ、驚かせてしまったようで。この子、私の弟なんですがね、定期的に濁音を発しないと、激しい発作に襲われるという体質なんですよ」
いや、そんな体質ねえよ! という叫びをなんとか呑みこみ、俺は愛想笑いを張り付かせる。
「あはは、そうなんです、どうもすみません。げげげげげ、べべべべべ。うん、これで発作もおさまったよ、お兄ちゃん」
町屋さんは少しの間無言で俺たちを見据えていた。
それから決心したように息を吐き、
「気づいてました。お二人、俺のことつけてましたよね?」
と確信に満ちた声で言った。
自分の顔に、平仮名三文字が書かれているところを想像した。や、べ、え。
俺たちの焦りを、町屋さんは見抜いている。
畳みかけるように、彼は言った。
「さっき店にいたとき、向かいからこっそり俺のこと撮影してたのも、気づいてました」
もう言い逃れはできないと覚悟した。
「すみませんでした」
俺と航汰は揃って頭を下げた。
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