後ろ(2)

 藤間さんには一つ年上の恋人がいる。大学の先輩で、名前は町屋聡大。真面目で穏やかな性格で、誰からも好かれる好青年だという。

 その彼が、最近立て続けに不幸に見舞われているらしい。


「はじめは駅の階段から落ちて、足首を捻挫。次に乗っていたバスがスリップして、頭を三針縫う怪我。バイト先では店長さんと先輩バイトさんが揉めて、仲裁に入った彼は危うくその先輩バイトさんから刺されそうになったの。彼、その騒ぎで転倒して、左の手首を折る大怪我をした。それから住んでいたアパートが火事で全焼して、次に入居した部屋はすぐに水漏れが起きて住めなくなった。だから今は彼、友達のところに居候させてもらってる状態なんだ。他にも挙げていったらきりがないくらい、タイミング悪く事故や災難に巻きこまれるってパターンが続いてて……。周りからも何か悪いものでも憑いてるんじゃないか、お祓いに行ったほうがいいんじゃないかって言われているみたい」

 藤間さんはそう言うと、目を潤ませた。

「このままだといつか彼、死んじゃうんじゃないかって、わたしも心配で。でも彼自身は、こんなに悪いことが続いているのに妙に楽観的なんだよね。元々、霊とかお祓いとか全然信じないタイプだし、むしろそういうものの存在を信じる人たちを、胡散臭いと感じてるみたい」


「実際見てみて、もし悪霊が憑いていたとしても、本人がそういう考えなら、素直にお祓いなんて受けないんじゃないすか」


 俺が指摘すると、藤間さんは大きくかぶりを振った。

「大丈夫。そこはわたしがなんとかして説得するよ。頑張る。本当なら今すぐにでも彼にお祓いを受けさせたいくらいだし」

 そこで自信なさげに目を泳がせた。

「でもいざ彼をお祓いに連れて行って、何も憑いていませんでしたってなったら大変じゃない? だからまずはそういうのが視える人に、確かめてもらいたいの。彼の不幸はただの偶然なのか悪霊の仕業なのか、はっきりさせておけば、わたしも行動を起こしやすいし」


 だからお願いします。藤間さんからまたしても丁寧に頭を下げられ、俺は動揺した。

 藤間さんは正統派美人って感じではないけれど、清潔感があって髪の毛がきれいで、全体的にいい匂いがする。家ではお花を育てて、かわいい小鳥なんか飼っていそうなイメージ。

 そんな人の頼みを、むざむざ断れるだろうか。

 何も難しいことを要求されているのではない。

 霊を視るなんて、普段から無意識にやっている。


 俺が「いいっすよ」と答えると、藤間さんはぱっと目を輝かせた。

「ありがとう。すごい助かる」


 話がまとまると、それまで我関せずといった顔でドーナツを食べていた航汰が、意気揚々と提案した。

「それでは早速今から、町屋さんに会いに行きましょう」


「うん、そうだね」

 傍らに置いたバッグからスマホを取り出すと、藤間さんは彼に向けてメッセージを送信した。

「彼、今はバイト中なんだけど、この時間なら忙しくないはずだからすぐ返事来ると思う」


 藤間さんの読み通り、一分も待たずに返信が来た。六時にバイトが終わるというので、その後に会う約束をとりつける。


「俺たちまで正面から町屋さんに会いに行ってもいいんすか?」

 俺としては、物陰からこっそり見るので十分なのだが。


「え、なんでそんなこと聞くの?」

 藤間さんは意外そうに眉を上げた。


「いや、色々と面倒かなと思って。俺たちのこと、町屋さんにどう説明するんすか?」


「あ、そっか。えー、どうしよう?」

 藤間さんが首を傾げる。まだそこまで考えるに至ってなかったらしい。

 そこで藤間さんは思いついたように言った。

「確か航汰さんはわたしと同い年なんだよね? それなら高校の同級生で、偶然再会したことにすればいいかな。小野塚くんはー……航汰さんの弟ってことで」


「え、それはさすがに無理くないすか? 俺たち全然似てないし。せめて従弟ってことにして」

 いくら振りだとしても、こんな死にかけの山羊みたいな男と兄弟になんてなりたくない。


「そうかな? 二人、雰囲気とかそっくりだけど」

 藤間さんの言葉は、俺の心を深く抉った。


 町屋さんとの待ち合わせまで、俺たちはお茶をして時間を潰すことにした。

 俺は先程から疑問だった、航汰と藤間さんの関係を尋ねた。

 航汰に友達はいないと聞いていたし、先程藤間さんは航汰に年齢を確かめていた。二人はお互いをよく知らない関係なんじゃないか。


「昨日、わたしが変な占い師に絡まれていたところを、航汰さんに助けてもらったんだ」

 藤間さんは言った。


「そうなんです。なんと私、人助けをしたんですよ、人助け!」

 と航汰が強調する。


 藤間さんは昨夜、路上で台を広げる占い師に、町屋さんのことを相談したのだという。

 あなたの恋人には強力な悪霊が憑いている上、先祖の呪いまでかかっている。このままではいずれ彼自身も悪霊となってしまうだろう。鑑定結果を聞いて動揺した藤間さんは、占い師からすすめられるまま、浄化のブレスレットなるものを購入しようとした。しかし提示された金額を聞いて、躊躇した。ブレスレットは藤間さんのバイト代半年ぶんにもあたる金額だった。

 やっぱり買えないと伝えると、占い師の態度は突然荒っぽいものになり、このブレスレットがなければ彼だけでなくあなたまで不幸になると脅してきた。

 腕を掴まれ、その場から逃げることもできない藤間さん。

 絶体絶命。

 そこへ割って入ったのが、ひとり夜の散歩を楽しんでいた航汰だった。


 航汰は英雄譚でも語るかのような口ぶりで言った。

「ふと見ると、女性が困っている様子だったので、これはいけないとすぐさま私は渾身の力でもって叫んだんですよ。お巡りさーん、こっちでーす、と。すると占い師は慌てて荷物をまとめ、走り去って行きましたよ」

 

 警察呼んだだけかよ。お前自身が助けに入ったわけじゃなかったのか。

 俺は内心呆れたが、人助けは人助けだ。お陰で藤間さんは悪徳占い師から解放された。


 藤間さんはいまだ激しく動揺していて、航汰は彼女が落ち着くまで話相手になっていたらしい。そこで恋人に悪霊が憑いているかもしれないという藤間さんの悩みを聞き、俺と引き合わせたらどうかと閃いた。

 自分の知り合いに霊感のある人物がいる、その人に恋人を見てもらったらいいという航汰の提案に、藤間さんはあっさり飛びついた。

 二人はその場で連絡先を交換し、航汰は俺を呼び出すべく、メッセージを送って来たのだった。


「まあ、とにかく、藤間さんが変なブレスレット買わされずに済んで良かった」

 そう伝えると、藤間さんは顔を赤くした。

「今までだったらああいう詐欺っぽいのとか、すぐ気づいて警戒してたんだけどね。昨日はすっかり騙されちゃった」


 それだけ、恋人の間で精神的に追い詰められていたのだろう。

 今だってかなり危うい状態だ。悪徳占い師に絡まれた後で、知り合ったばかりの男の話を信用し、会う約束をしてしまうくらい、藤間さんの判断力は鈍っている。

 

 ここまでの流れで一つ希望があるとしたら、俺の能力が本物ということだ。


 約束の時間が近づき、俺たちはドーナツショップを出た。

 

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